新ロシア帝国

Last-modified: 2024-04-21 (日) 19:37:42

帝室家系図

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歴代皇帝の事績

<初代皇帝 レオンチイ・プラトーノヴィヂ・ベゾブラゾフ1世>
生没:2006-2081
在位:2034-2045
新ロシア帝国の建国者。ロシア帝国の農家の子に生まれ、軍人として戦功をあげた。ベゾブラゾフ公爵家の名跡を継いだのち、皇女ソフィアを娶って帝室に入り、帝国宰相にまで上り詰める。皇帝ドナート2世死去後に新たに即位したマルク3世を破り、ロシア民主共和国の成立に貢献した。その後議会を廃し、自らが「神聖にして絶対不可侵なる皇帝」であると称してベゾブラゾフ朝を開闢、専制君主制を敷いた。
旧帝国ロマノフ王朝時代の貴族はほとんどその身分と権威を剥奪し、多くの庶民階層の者を新たな貴族として登用した。
小作人である農民を土地に縛り付ける土地緊縛令(2035)を出す一方、身分による社会的制約を部分的に撤廃するペテルブルク勅令(2038)を発布し、農奴解放につなげた。
内政重視の姿勢を取ったため軍事力を強化せず、官僚機構の整備に努めた。そのため文官が武官よりも権勢を振るうようになり、これに不満を持った武官がのちのセルゲイ1世の恐怖政治期において侵略外交を展開するセルゲイを支持することとなる。
退位後は後見として子・ミハイル1世の治政を支えた。一時、子・ミハイル1世の暗殺による帝政の断絶で宮廷を追いやられるも、孫・セルゲイ1世が即位したことで復帰。しかし2081年、セルゲイ1世により殺害された。

<二代皇帝 ミハイル・レオンチイノヴィヂ・ベゾブラゾフ1世>
生没:2026-2048
在位:2045-2048
レオンチイ1世の長子。母は旧ロマノフ王朝最後の皇帝・マルク3世の妹。若くして皇帝に即位するが、帝政に反発する共和派の爆破テロによって暗殺された。
内政面においては、モスクワ大公国時代からのロシアの歴史をまとめた史書『スラヴ集史』の編纂を命じた。

<三代皇帝 セルゲイ・ミハイルノヴィヂ・ベゾブラゾフ1世>
生没:2042-2090
在位:2056-2080
ミハイル1世の長子。父帝ミハイル1世が非業の死を遂げたのち、共和派のクーデタにより一族とともに宮廷を追われる。皇帝不在によりさまざまな勢力が権力を握るなかで長く幽閉されていたが、帝都サンクトペテルブルクに戻り14歳で三代皇帝に即位した。
即位後すぐに共和派をはじめとする反対勢力の弾圧を開始し、共和派の民衆20万人近くを処刑した。

軍事力の強化を目指して臣民皆兵制(2062)を導入し、幾度もの外征によってラトヴィア、リトアニア、エストニア、モンゴル、キルギスを併合。ドイツ帝国や清と対立した。
国内での恐怖政治は続き、従弟のガウリイル大公や妹婿のヤコブ卿といった一族の者までも粛清し、さらに長男・ミハイル皇太子を廃嫡して愛妾の娘であるマルガリータ皇妃を皇帝として即位させた。その後マルガリータを自殺させ、もうひとりの娘であるエレオノーラ皇妃を即位させるが、ミハイル元皇太子の助言を受けたエレオノーラ1世に毒殺された。
祖父・レオンチイ1世が発布したペテルブルク勅令を撤廃し、再び徹底的に身分に基づく社会体制を構築した。

<四代皇帝 マルガリータ・セルゲイノヴィヂ・ベゾブラゾフ1世>
生没:2069-2084
在位:2080-2084
セルゲイ1世の次女。新ロシア帝国初の女帝。父帝セルゲイ1世の溺愛を受けて皇帝に選ばれるが、父の暴政ぶりに反発したことからセルゲイ大帝によって婚約者・アルマリク公爵とともに自殺に追い込まれた。

<五代皇帝 エレオノーラ・セルゲイノヴィヂ・ベゾブラゾフ1世>
生没:2074-2091
在位:2084-2091
セルゲイ1世の三女。新ロシア帝国二番目の女帝。姉・マルガリータ1世の自殺によりセルゲイ大帝から皇帝に指名される。追放されていた兄・ミハイル元皇太子と協力してセルゲイを毒殺するが、自身もミハイルによって暗殺された。

<六代皇帝 ミハイル・セルゲイノヴィヂ・ベゾブラゾフ2世>
生没:2057-2097
在位:2091-2097
セルゲイ1世の長男。マルガリータ1世、エレオノーラ1世の異母兄。
10歳で父帝セルゲイ1世に廃嫡され、皇族の身分を失って母と共に市井を流浪した。
農家の娘を娶り、靴職人として生計を立てるなどおよそ以前の身分からは考えられない生活を送っていたが、ひそかにセルゲイ大帝に不満を持つ一部の貴族と連絡を取り、再起の機会をうかがっていた。やがて異母妹・エレオノーラ1世の信頼を得、セルゲイの暗殺を決行する。
直後にエレオノーラも殺害し、自ら皇帝に即位した。
ペテルブルク勅令を再発布するなど、父帝時代とは真逆の方針を取った。いっぽう侵略主義は継続し、ポーランドに進出してドイツ帝国軍と戦火を交えた。
2097年のポーランド親征中、落馬により事故死した。
<七代皇帝 ローベルト・ミハイルノヴィヂ・ベゾブラゾフ1世>
生没:2080-2122
在位:2097-2120
ミハイル2世の長男。父帝ミハイルが宮廷を追われていたころ、農家の娘との間に生まれた子。ミハイル2世の崩御に伴い即位するが、各地からの撤兵を命じてドイツ帝国や清、フィンランド王国と停戦協定を結んだ。国力の増強に力を入れ、貴族から大土地を没収し中小農民に分与する農政改革をおこなった。また、サンクトペテルブルクからモスクワに遷都し、身分による社会的制約を完全に撤廃するモスクワ勅令(2114)を発布した。
長く続いた帝国内部の混乱を終息させたことから、帝国黎明期の名君と称される。

<八代皇帝 フュードル・ローベルトヴィヂ・ベゾブラゾフ1世>
生没:2099-2161
在位:2120-2148
ローベルト1世の長男。父帝の方針を受け継ぎ、内政に注力した。
法律家・クロパトキンに命じて『モスクワ法大全』を編纂させた。
2140年、フィンランド王国と露芬同盟を結ぶ。

<九代皇帝 ローベルト・フュードルノヴィヂ・ベゾブラゾフ2世>
生没:2124-2175
在位:2148-2170
フュードル1世の次男。
フィンランド王国との同盟のためフィンランド王ヤーコッピ1世の長女・テレサと結婚。夫婦仲は大変睦まじく、生涯ひとりも愛妾を持たなかった。テレサとの間に三男八女をもうけ、長女・リーナ皇妃の懐妊時には義父であるヤーコッピ1世との会見を延期にして離宮に駆け付け、出産を見届けたという。

<十代皇帝 アレクシス・ローベルトノヴィヂ・ベゾブラゾフ1世>
生没:2157-2193
在位:2170-2190
ローベルト2世の三男。母はフィンランド王族出身。
非常に病弱であったとの記録が残る。

<十一代皇帝 セルゲイ・アレクシスヴィヂ・ベゾブラゾフ2世>
生没:2175-2211
在位:2190-2211
アレクシス1世の長男。ポーランドを征服した。ワルシャワ親征中に捕虜としたポーランド王アルバート3世の次女・ノエルを娶る。

<十二代皇帝 アンナマリア・セルゲイノヴィヂ・ベゾブラゾフ1世>
生没:2194-2226
在位:2211-2226
セルゲイ2世の次女。母はポーランド王族。兄の早世により、ほかに適齢の男子がいなかったため父帝セルゲイ2世に指名されて女帝として即位する。
賢帝と称えられ、非ギリシア正教徒への人頭税を廃止し、宗教間の平等を実現した。
その反面、母の影響で宮廷においてはポーランド風の儀礼や風習を重んじ、さらにポーランド征服後に従ったポーランド系の貴族らを純ロシア系貴族より格上としたため、貴族層からの反発を招いた。
生涯、夫は持たなかった。

<十三代皇帝 ベネディクト・ペトロ―ヴィヂ・ベゾブラゾフ1世>
生没:2202-2245
在位:2226-2245
セルゲイ2世の義兄で、ポーランド王族であるピュートル卿の子。先帝アンナマリア1世は従姉にあたる。
即位した当初は先帝のとった方針によりポーランド貴族が宮廷で幅を利かせており、その排斥に動いた。そのためベネディクト1世の治世下において、ポーランド的要素はそのほとんどが宮廷から抹消された。
毒殺を恐れ、料理人には任せず自ら調理して食事を作ったといわれる。

<十四代皇帝 ソフィア・ベネディクトヴィヂ・ベゾブラゾフ1世>
生没:2225-2290
在位:2245-2254
ベネディクト1世の長女。ベネディクト帝の唯一の息子・レオンチイ皇太子が幼齢のうちにベネディクト帝が崩御したため、中継ぎ的に姉であるソフィア皇妃が即位する。
権力欲がまったくなく、異母弟・レオンチイに譲位したのちすぐに皇籍離脱した。そして駆け落ち同然にイギリス出身の商人の男と結婚してロンドンに移住し、一庶民として生涯を終えた。

<十五代皇帝 レオンチイ・ベネディクトヴィヂ・ベゾブラゾフ2世>
生没:2236-2285
在位:2254-2277
ベネディクト1世の長男(庶子)。愛妾の子としては初めての皇帝であったため、その劣等感を払拭しようと自らの権威付けに努めた。
皇室憲兵隊を帝国特高警察局に昇格させ、皇帝の行使できる警察権を拡充した。
ノルウェー・スウェーデンを征服し、スウェーデン国王ヴァレンティン6世の三女・ヴェロニカと結婚した。

<十六代皇帝 アブラハム・レオンチイノヴィヂ・ベゾブラゾフ1世>
生没:2261-2302
在位:2277-2302
レオンチイ2世の長男。母はスウェーデン王族。
「征服帝」の異名で知られる通り、16歳で即位したその年から数多くの親征を行い、わずか10年の間にルーマニア、モルドバ、ハンガリー、セルビア、スロヴェニア、クロアティア、スロヴァキア、オーストリア、ブルガリア、マケドニア、モンテネグロ、コソボ、アルバニア、デンマーク、オランダ、ベルギー、アルメニア、アゼルバイジャン、カザフスタン、ウズベキスタン、トルキスタン、アフガニスタン、パキスタン、イラン、華北を征服。
朝鮮半島やアラビア半島にまで勢力を広げた。
ドイツ帝国、清、オスマン帝国、神聖ムガル帝国と多方面で交戦しながらも連戦連勝し、とくに2296年のライン川の戦いでは600万の大軍を率いてドイツ帝国軍の防衛線を撃破し帝都ベルリンを包囲、皇帝ヴィルヘルム4世を降伏させた。
清との戦いでは