新ロシア帝国の歴代皇帝

Last-modified: 2024-04-20 (土) 13:46:15

初代皇帝 レオンチイ・プラトーノヴィヂ・ベゾブラゾフ1世(2006-2081)

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レオンチイ・プラトーノヴィヂ・ベゾブラゾフ1世は、新ロシア帝国ベゾブラゾフ朝の初代皇帝。ロシア帝国の海軍将校、およびロシア民主党副総統、ロシア民主政府初代副大統領、ロシア国防軍初代総司令官、ロシア民主共和国初代大総統。
帝政末期における海軍将校、そして民主派・革命派の指導者として活躍し、2031年に一月革命を成功に導き、ロシア民主政府の樹立に貢献した。2033年にロシア民主共和国を樹立して初代大総統に、次いで2034年に新ロシア帝国を建国、ベゾブラゾフ朝を開闢し初代皇帝に即位した。

経歴

ロシア民主党副総統任期2026年2月12日-2032年5月7日
ロシア民主政府初代副大統領任期2031年1月26日-2032年5月7日
ロシア国防軍初代総司令官任期2031年1月26日-2032年5月7日
ロシア民主共和国初代大総統任期2033年6月14日-2034年3月31日
新ロシア帝国初代皇帝在位2034年4月1日-2045年10月6日

個人情報

生没生誕:2006年4月14日
(ロシア帝国連邦シベリア連邦管区イルクーツク州)
死没:2081年9月9日
(新ロシア帝国帝都サンクトペテルブルク)
配偶者正室:アンナ・グレプスフスカヤ
側室:
側室:
プラトーノ・ニコラエヴィヂ・ベゾブラゾフ
マリア・フリッツェヴナ・ジェルジンスキー
出身校イルクーツク高等学校
ソヴィエト海軍兵学校
兄弟アレクセイ・プラトーノヴィヂ・ベゾブラゾフ
グリゴリー・プラトーノヴィヂ・ベゾブラゾフ
クセニア・プラトーノエヴナ・ベゾブラゾフ
アレフチナ・プラトーノエヴナ・ベゾブラゾフ
オルガ・プラトーノエヴナ・ベゾブラゾフ
子供ミハイル・レオンチイノヴィヂ・ベゾブラゾフ第一皇太子
アナスタシア・レオンチェヴナ・ベゾブラゾフ第一皇妃
マトローナ・レオンチェヴナ・ベゾブラゾフ第二皇妃
アレクセイ・レオンチイノヴィヂ・ベゾブラゾフ第二皇太子
後継者ミハイル・レオンチイノヴィヂ・ベゾブラゾフ1世

概要

2006(帝国暦286)年、ロシア帝国シベリア連邦管区イルクーツク州の寒村の農家に生まれる。幼くして一家共々流浪し、両親の死後は親類に引き取られて苦学を重ねた。2022(帝国暦302)年に海軍士官に任官し、海軍部内および政界の有力者と関係を強めつつ主に参謀として頭角を現していった。学生時代から革命運動や民主化運動に関心を持っていたが2025(帝国暦305)年ごろから本格的に活動に参加し始め、カール・エンゲルスとともにロシア民主党を結成。皇帝・あああの死後の2028(帝国暦308)年に軍事クーデタを起こして皇帝・いいいを追放、帝政を崩壊させて全ロシア帝国軍の実権を掌握した。しかし政治的主張の細微な違いの積み重なりが大きな軋轢を生み、民主党内でカール派のボリシェヴィキとレオンチイ派のメンシェヴィキに分裂した。2029(旧帝国暦309)年、内部不調和から臨時政府が瓦解しクーデタは失敗。復活した皇帝・いいいに逮捕され、シベリアに流刑となるものの、脱出し再び反帝国運動に身を投じる。以降は革命の中心的人物として各地でのデモやテロを主導し、2031(旧帝国暦311)年の一月革命で再び帝政を崩壊させ、いいいを処刑した。直後に成立したロシア民主政府では副大統領兼ロシア国防軍総司令官に就任するが、以前から火種が燻っていたカールとの対立が顕在化。翌2032年にカールによって要職を解任され、イルクーツク方面軍司令官という閑職に追いやられる。同年中にカールによって国家反逆罪の罪を着せられ民主政府軍と交戦状態に突入するも、これを破り首都モスクワに進軍。カールを降伏させ民主政府を解体し、自ら臨時大総統として民主議会の頂点に君臨した。2034年、議会を解散に追い込み「神聖にして絶対不可侵なる皇帝」を称して新ロシア帝国ベゾブラゾフ朝を開き、この年を帝国暦1年と定めた。

出生

父・プラトーンは農家の一人息子、母・マリアは村長の娘だった。兄弟は兄と姉がそれぞれ二人、妹が四人、弟が一人の十二人家族であった。母の実家にある程度の貯蓄があったことで、都市部であっても窮乏している家庭が多かった帝政末期としてはそれなりに恵まれた生活を送っていた。

少年期

レオンチイは幼いころから非常に人見知りな性格であり、両親や兄弟以外との交流を楽しまず、農作業を手伝うか読書している時間が長かった。村長で母方の祖父に当たるフリッツ・ジェルジンスキーがドイツ帝国に知己を持っていたために祖父の家には英・米・独で出版された書物が数多くあった。レオンチイはフリッツの家に足繁く通い、それらの本を愛読していた。フリッツから手ほどきを受け、ドイツ語や英語の本も原書で読んでいた。兄弟の中では2歳年下の妹であるオルガと最も仲が良く、家に籠ってばかりだったレオンチイが人が変わったように活発に外で遊ぶときは必ずオルガと一緒だった。また、隣家に住んでいて村役人の三人娘であるエヴァ・ナシノフスキーマリーヤ・ナシノフスキーユリヤ・ナシノフスキーとも親しく、家族同然の付き合いをしていた。
順風満帆な家庭だったが、2015(帝国暦295)年、モスクワの大学に進学していた長兄・アレクセイが第二次民主化革命(通称「モスクワの雪解け」)で革命軍兵士として皇帝・あああの暗殺未遂事件に関与したとして銃殺刑となる。それに連座する形で一家は村を追われ、親族に金銭的援助を受けつつ国内を流浪することとなった。父は大工、レオンチイは次兄・グリゴリーとともに靴磨きの仕事、そして母や姉たちは内職をして何とか日銭を稼いでいた。レオンチイは何とか学校に通っていたが、学費の関係で次兄と姉二人は退学せざるを得なかった。2018(帝国暦298)年にプラトーンが事故死し、次いで同年にマリアも病死したことで、残された兄弟たちは父方の伯父、オシップ・マルトフの家に引き取られることとなった。

青年期

伯父・マルトフは学校の教師で、聡明だったレオンチイを特に可愛がり、学費を工面して教育水準の高い中等学校に進学させた。当時のロシア帝国では将校の速成教育を奨励したため士官学校の入学者は低年齢化しつつあり、2020(帝国暦300)年、レオンチイも弱冠14歳で海軍兵学校に入学する。海軍士官を志望した動機は、海軍兵学校は学費無償で衣食住が保証され、そのうえ学生の段階で既に一定額の俸給が支給されるからだった。レオンチイの志望動機は決して珍しいものではなく、実際に当時の帝国の陸軍士官学校や海軍兵学校の学生の大半はかつてのような貴族出身者ではなく家庭が困窮している苦学生であった。兵学校では成績は優秀だったが問題行動の多い学生であり、夜間に外出して暴力事件に巻き込まれたり、寮則を破って寮内で酒を飲んだり賭け事に興じたりしていた。一時、兵学校長のユーリー・カウツキーはレオンチイを何度か退学させようとしたが、マルトフの嘆願でそのたびに何とか事なきを得ていた。
在学時、のちに政治家に転身して民主派の急先鋒となる同期生、カール・エンゲルスと知り合い、カールの影響を受けてこのころから兄のアレクセイが身を投じていた革命運動に興味を持つようになった。革命家の著作を多く読んだが、なかでも「モスクワの雪解け」を推し進めた運動の指導者イリヤ・ザスーリチの著書『民草の夜明け』を気に入っていた。思想は徐々に先鋭化し、卒業時には皇帝を筆頭に皇族や貴族といった特権階級の者を軒並み処刑して帝政そのものを転覆させるしか道はないとの結論に達し、反帝国的思想に染まっていった。カールとともに『国民の調べ』という機関紙を発行していたが、レオンチイはあくまで帝国に反発しているだけであってカールのような民主主義を是とする思想にはそれほど共感していなかった。
そして2年の正規教育を経て、2022(帝国暦302)年、兵学校を首席で卒業。首席卒業者の慣例で同年中に大尉にまで昇進し、黒海艦隊の旗艦に配属された。非常に優秀な参謀であったが頻繁に船酔いを起こすという海軍士官としては致命的な欠点を持っていたため、艦隊内では軽蔑されていた。「モスクワの雪解け」で革命勢力の主要構成員だったアレクセイの弟であるということもレオンチイを軽視する一因になった。
独り立ちしてからも弟や妹のことを何かと気遣っており、俸給を使いマルトフやグリゴリーと分担して彼らの学費や生活費を援助してやっていた。特に、妹・オルガは2024(帝国暦304)年、ヴァイオリニストを志して世界的に名高いペテルブルク音楽学校へ進学した。その高額な学費は教師のマルトフや地方役人のグリゴリーの収入では払いきれず、レオンチイが自らの俸給はもちろん生活を切り詰め、借金をしてまで工面していた。
2023(帝国暦303)年に少佐に昇進し、海軍大学校に入校。翌年卒校し、黒海艦隊の主任参謀となる。同年にコーカサス独立戦争が勃発し、黒海海戦でドイツ帝国が支援していたコーカサス海軍の最新鋭艦隊を全滅させるに至る作戦を立案。これが大いに評価され、皇帝あああから直々に帝国勲章と子爵位を授与され、貴族となった。海軍部内でも一等勲章を与えられるなど注目を浴び、時のバルチック艦隊司令長官フェリックス・ロジェストヴェンスキーの計らいで異例の二階級特進を果たし、大佐に昇進。加えてバルチック艦隊の参謀長に就任するという大抜擢を受けた。

ベゾブラゾフ公爵家の継承

アンナ・グレプスフスカヤと結婚。同年中に中将に昇進した。

帝国海軍大逆罪の密告

2025(帝国暦305)年2月、ロジェストヴェンスキーを中心とするバルチック艦隊の海軍幹部らによる帝政転覆未遂事件(通称、海軍大逆事件)が発生した。

革命運動への参加

レオンチイは身分を偽り、密かにではあるが、少将に昇進した2025(革命暦109)年ごろから本格的に革命活動に身を投じ始めた。レオンチイがこの地下活動を通じて知り合った同志のなかでもとくに著名なのは、海軍兵学校時代の同期生で当時中佐のカール・エンゲルス、モスクワ大学で教鞭を取っていた政治学者のゲオルギー・サブロフ、若くして活動に参加した小売商の娘のアンフィサ・オシペンコらである。さらにこのころ、幼い時分に親しかったナシノフスキー家の三姉妹と再会。三人ともモスクワ大学および大学院で物理学を修める才媛として活躍しており、彼女らもレオンチイの政治的主張に賛同して革命運動に協力することとなった。
2025(革命暦109)年3月22日、カールは革命組織兼革命軍として「民衆騎士団」を創設し、自らを騎士団長、レオンチイを副団長に任命して組織的な活動を本格化させた。創設当時、加盟者はおよそ200人程度であり、年齢も職業もバラバラであった。当時既に雨後の筍のごとく帝国支配に抵抗する革命組織は首都サンクトペテルブルク中心に無数に存在していたため、民衆騎士団もそれほど話題になることはなかった。しかし同年5月12日、ああが寵愛する大蔵卿、ラヴレンチ・フマロフ公爵をサンクトペテルブルクの街道にて白昼堂々爆殺し、同日にはモスクワで休暇療養中のああの実弟、うう大公を射殺するという大胆な暗殺計画を実行したことで、同じ革命家からも帝国側からも一躍注目を浴びる存在となった。この二件の暗殺事件を境に民衆騎士団の加盟者は公式に登録されているだけでも1万人ほどに急増し、革命運動を取り締まる帝国特高警察の最重要警戒対象に加えられた。

二代皇帝 ミハイル・レオンチイノヴィヂ・ベゾブラゾフ1世(2026-2050)

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三代皇帝 セルゲイ・ミハイルノヴィヂ・ベゾブラゾフ1世(2042-2097)

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四代皇帝 マルガリータ・セルゲーエヴナ・ベゾブラゾフ1世(2069-2086)

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五代皇帝 エレオノーラ・セルゲーエヴナ・ベゾブラゾフ1世(2074-2090)

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六代皇帝 ミハイル・セルゲイノヴィヂ・ベゾブラゾフ2世(2057-2095)

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七代皇帝 ローベルト・ミハイルノヴィヂ・ベゾブラゾフ1世(2084-2112)

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八代皇帝 フュードル・ローベルトノヴィヂ・ベゾブラゾフ1世(2099-2161)

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