哀川潤「雛見沢連続怪死事件ね……オーケー。引き受けてやる」 いーちゃん編

Last-modified: 2009-05-20 (水) 19:53:03

降り注ぐ陽射しに辟易しながら、ぼくはバスを降りた。
目の前に広がるのは、どこかから切り取ってきたような『田舎』の風景。

「ふぅん……。ここが、雛見沢、か」

呆れるほどに自然と一体化したその村は、都会っ子のぼくにはほんの少しだけ新鮮だった。
なんて平和そうな村だろう。こんな所で事件が起こっているなんて、簡単には信じがたい。

「いや、だからこそ、なのかな」

わかったような独白とともに、ぼくは目的地へと歩き始める。
他に降りる人はいなかったのか、すぐにバスが走り出した。
そして、踏み出した足が――止まる。

「……?」

誰かに見られているような、嫌な、気配。後ろを振り向くが、あるのは寂れたバス停だけ。
気のせいだろう。そう思い直し、視線を空に向ける。雲一つ無い快晴の中――蝉の声が、響いていた。

事の発端は、いつものように哀川さんだった。

『はろろーん、調子はどうだい、いーたん?』

「……まあ、それなりには。
それで、今日はどんな用事なんですか?」

通話口から聞こえる陽気な声に、ぼくは警戒を強めて答える。

『会話でいきなり本題に入る奴はもてないぜ? 今日は、お仕事の依頼だ。
雛見沢って村、聞いたことあるか? そこで、連続怪死事件が起こっている』

「連続――怪死、事件?」

いきなりヘビーな事件だ。
確かに仕事を回してくれるよう頼んだのは自分だが、初仕事から殺人とは。
しかし、最初から大仕事とは、ある意味哀川さんらしいような気もする。

「それで、詳しい話を聞かせてもらえますか?」

なんとなく短期的な連続殺人をイメージしていたが、その予想は大きく裏切られた。
哀川さん曰く、年に一度の祭りの日、一人が殺され、一人が失踪するのだという。

『こっちも会って話した訳じゃねえから、詳細は依頼者に聞いてくれ。
その事件を個人的に捜査してる、大石っつう刑事だ』

「そんな大雑把な話だけでよく引き受けましたね」

いや、ぼくが請け負うのを前提で引き受けたのかもしれない。
と思っていると、哀川さんは、

『ん? 何も知らないところから始める方がおもしれえだろ?』

などと楽しそうに話すのだった。
ぼくは小さな溜息をついて、数秒の沈黙の後に、応える。

「わかりました。その事件、ぼくが請け負います」

件の大石刑事は、隣町である鹿骨市の興宮署に勤務していた。

「どうも、大石です。んっふ、あなたが『請負人』の方ですか」

柔和そうな顔つきで自己紹介をする大石さん。
太っているように見えるが、よく観察すればその体は筋肉質で、その戦歴を容易に想像させた。
大石さんはその大きくごつごつとした右手を、ぼくの前に差し出してきた。

「はあ……」

適当に返事をして、彼の腕を取る。何故だろう、やはり警察の人はいまだ慣れない。
ぼくの曖昧な様子に不審さを感じ取ったようで、訝るような表情の大石さん。
そりゃあ、哀川さんの経歴(というより戦果か)を聞いていただろうから、違和感を感じるのも無理はない。
ぼくはこれまでの経緯、そして自分が請負人として初仕事だということを説明する。

「そう……ですか。いやはや、参りましたなあ。
しかし、かの哀川潤、《赤き征裁》の推薦ということは、やはり期待が持てます」

最悪な形の過大評価だ。ぼくは、哀川さんに仕事を依頼したことを後悔した。

「……そして、今年の祭りにも死者と失踪者が出る、という訳ですか」

「ええ、それを食い止めるために、あなたには教師として雛見沢に行ってもらいます」

事件の詳細と村について、大石さんから話を聞いた。
それによると、村人はよそ者に過剰なまでに厳しいのだという。
そのために、臨時教師として潜入し、子供たちを足がかりに情報を仕入れてくれ、ということらしい。

「面倒くさいことになってきたなあ……」

聞こえないように愚痴をこぼすぼくに、大石さんは不思議そうな顔をする。

「説明は以上です。何かあったら、この番号に」

そう言ってメモを手渡し、大石さんは席を立った。

「よろしくお願いしますよ、《いーちゃん》さん?」

それにしても……連続殺人事件、ね。
警察が私怨で捜査しても解決しない事件に、ぼくのような駆け出しにどうしろというのだろうか。
哀川さんなら、こんな事件はすぐに解決、いや、終結させてしまうのだろうが。
しかも、教師だなんて。似合わないにもほどがある。
ぼくは本当に、請負人として、やっていけるのだろうか。
こんな現状を見たら、あの殺人鬼は笑い出すに違いない。
本当に――傑作だ、と。
気分が沈んでいくのが自分でも分かる。
ウェイトレスにコーヒーのおかわりを注文し、ぼくは自虐的な思考に歯止めを掛けた。

ぼくがそのファミレス――エンジェルモートというらしい。
素晴らしい店だ――を出たのは三十分後のことだった。
満ち足りた気分で扉を開けると、なにやら喧騒が響いていた。
どうやら、学生がいちゃもんをつけているらしい。
学生は三人で、いずれもワルが服を着て歩いているような外見だ。
喧嘩を売られているのは、眼鏡をかけた聡明そうな男性。どうやらバイクを倒してしまったらしかった。
まあ、助ける義理もない。立ち去ろうとしたその時、男性の――眼鏡が、光った。

突如、彼は語り出した。それは言葉の奔流とでも言うべき雄弁さだった。
彼の弁舌は、巧みで、勢いがあり、何より――メイドへの愛に溢れていた。
混乱した表情の三人組も、気押され、聞き入り、そして――いつのまにか、感涙していた。
彼らは何かを悟ったように互いに頷き合い、そして涙を拭うことも無く、バイクを駆る。
去っていく三人組。残されたのは、眼鏡の男性、ただ一人。
ぼくは戦慄をもって、彼に話しかけた。

「い、今のは?」

ニヤリと笑って、彼は返す。

「ただ彼らに、メイドについて語っただけですよ。
ほんの少し、使ってしまいましたがね――固有結界、メイド・イン・ヘブンを」

固有結界という言葉の意味は分からない。それでも、言えることはある。
彼が『本物』であるということ。そして、おそらくJOJO好きだということ。

「雛見沢の診療所で働いています、入江京介です。なんとなくあなたとは――話が合いそうだ」

再度エンジェルモートからイリーと出たのは僅か一時間後のことだった。

「そうですか、まさか生メイドに会った人がいるとは」

「ただの偶然ですよ。むしろ、あなた程のメイド愛をもつ方が稀少だと思います」

よく分からない賞賛を送り合いながら、彼の車に乗り込む。
運よく彼も雛見沢に向かうところだったらしく、同乗させてもらうことになったのだった。

「少し、メイドから離れた質問をしても構いませんか?」

「ええ、どうぞ」

「雛見沢の、連続怪死事件について、なんですが」

ミラー越しに、彼の目を凝視する。明らかな緊張が、そこには現れていた。
ぼくは無言でドアを閉める。何かの始まりを――何かの終わりを、告げるように。

「――貴重なお話、ありがとうございました」

「あなたは、いったい、」

「ただの、駆け出しの請負人ですよ。この村の事件を――真実を、明らかにしたいだけなんです」

口を閉ざす入江先生。少し、警戒させすぎたかもしれない。
数秒の沈黙の後、車が止まる。降りると、その先に分校らしき建物が見えた。

「それでは、入江先生。息災と、友愛と、再会を」

どこかで聞いたような捨て台詞とともに、ドアを閉める。
入江先生は、一瞬だけぼくを睨むようにして――車を走らせた。
小さくなってゆくそれを、一人道路にたたずみ、見送る。
よし。自分の中のエンジンがかかってきた。視線を再度、分校に向ける。

「さて――そんじゃこの事件、殺して解して並べて揃えて晒してみるか」

「申し訳ありません、遅くなりました」

「いえ、今日中であればいつでも構いませんでしたよ?」

聞くところによると、知恵先生は分校唯一の教師だそうだ。
正確には校長である海江田先生もいるが、正規に授業を担当しているわけではないのだという。

「教室も、何より生徒たちも少ないので、まとめて授業を行っているんです。
そうですね。あなたには、高学年の生徒さんと、その子たちと仲の良い生徒、数人を担当して頂きます」

知恵先生の言葉により、少しの安堵が生まれる。ある程度は「会話」が出来なければ――《戯言遣い》は凡人以下だ。

「わかりました。それでは、ぼくの担当する生徒たちの名簿を見せていただけますか」

「はい、こちらです」

手渡される一枚の紙。そこにあるのは、全て聞いたことのある名前だった。

『園崎魅音、竜宮礼奈、北条沙都子、古手梨花――そして、前原圭一。
生徒の中で特に気をつけて欲しいのが、この五人です。』

大石さんは言った。

『園崎魅音は一年目の被害者、ダム工事の監督とやりあってました。
北条沙都子は二年目、古手梨花三年目の事件で親類を亡くしています。
そして竜宮礼奈は、引越し前の茨城で《オヤシロ様》に関する傷害事件を起こしています』

『えっと、その《オヤシロ様》って何ですか?』

『村の神様で、村民から異常なほどの信仰を集めています。
私はそのあたりも事件に繋がっているのではないかと疑っています。
最後の前原圭一ですが、彼は転校したてで、村の伝統や戒律に染まっていません。
その意味でかなり特殊な立ち位置にいるんですよ』

まさにその五人がぼくの担当になるとは。
何かに動かされているような、操られているような――嫌な感じだ。

夜になり、大石さんに用意された空き家で過ごす。
授業は明日の月曜、十三日から始まる。
そして今年の祭りは日曜、十九日。
考えてみれば、ぼくには一週間しか時間が与えられていないのだった。
あれ?
地味にきつい気がするぞ?
しかもただ調べるのではなく、小中学生に勉強を教えながら、である。
まあ、授業の方はどうにかなるだろう。家庭教師をしてたこともあったし。
しっかし、捜査の方は――と。
携帯の着信音が鳴った。その、番号は。

『うにー、いーちゃん』

「く、なぎさ? どうして――」

『聞いたよ、潤ちゃんから。請負人に就職したんだってね』

「しゅ、就職っていうか……って、手術の方は!?」

『うん、とりあえず喋れるほどには回復したんだよ。
それより、今になって請負人って、どういうことなのかな』

「……あぁ、確かに、今である必要がないのは分かってる。
でも、ぼくと狐さんとの因縁が一区切りしてから、考えたんだ。
『これから』を生きることについて、ね」

『……』

「今までのぼくは、重すぎる『過去』や、目の前の『今』にだけ目を向けてきた。
そういう意味で、やっぱりあの十一月は――節目、だったんだ。
狐さんと一生付き合ってやろうって、『未来』を見たことが」

『……いーちゃん』

「それは、お前の事も含めてだ、友。
生きていくために、前を見ることを――恐れてちゃ、いけないんだ」

『それが、請負人になった理由なのかな?』

「確実にきっかけではあったよ。あと、哀川さんの存在はやっぱり大きかったけど」

『……うに、わかったんだよ。
少し、怖かったんだ。潤ちゃんを含めて、いろんな人に、いーちゃんは会って。
僕様ちゃんを選んでくれてるって、わかってても――変わってしまう、ことが』

「うん。だからこそ、進むことを決めたんだ。
ぼくは先に進んで、お前を待つ。ぼくの隣は、お前だけだ」

『……ありがとう、いーちゃん』

そういって電話は切れた。
なんだろう、言葉にして伝えて、自分の中でも何かが変わった。
それはきっと、言葉にはできないんだろうけれど。

「戯言じゃあ、ないんだろうな」

「――それでは、授業を終わります」

振鈴に合わせ、形式的に宣言する。次は昼休みだ。
初日だからだろうか、生徒たちも騒ぎ出すことはなかった。

「せーんせー、ちょっといいですかぁ?」

五人の中のリーダー格であろう子――確か、魅音って名前だったか――から、声を掛けられた。

「ん、何かな」

「私たち一緒にお昼食べるんですけど、先生もどうですか?」

少し驚いたが、その申し出はむしろ大歓迎だ。本来の目的は情報収集。
食事しながらの談話は、親密度を高めるにもうってつけだろう。
肯定の返事をして、職員室へと弁当を取りに行く。

……驚いた。
何がって、黒板消しが上から降ってくるという異常事態にだ。

「……」

真っ白い煙の中で立ち尽くすぼくに、得意げな表情を見せる女の子が一人。
他の子は「やっちゃった」みたいな顔をしているし、九割九分あの子が犯人だろう。
ほーっほっほ、という高笑いはどこで覚えたのだろうか。

「北条、沙都子ちゃん、だったかな? オーソドックスな悪戯をありがとう」

「わたくし、何のことだかさっぱりわからなくてでございましてよ?」

シラを切ろうとする沙都子ちゃん。どう反省させようか考えていると、もう一人の背の低い子が近づいてきた。

「みぃ、沙都子なりの歓迎の証なのですよ。許してやってほしいのです」

どことなく崩子ちゃんを思い出させる、お人形のような子だ。たしか、梨花ちゃんだったか。

「ごめんね〜先生、沙都子はトラップを仕掛けるのが趣味なんだよ」

「止めなかった俺たちにも責任はあるかもな……」

「ほらほら先生、気を取り直してお弁当食べません?
お昼休みは短いんだよ、だよ?」

上級生三人もいい子達のようだ。いや、沙都子ちゃんも悪い子じゃあないんだろうけれど。

「そうだね、それじゃあ食べようか。沙都子ちゃんへの征裁は保留で」

よく考えたらトラップが趣味って新しいな、などと思いつつ、机を合わせる。
みんなも席に着き始めるが……何故か梨花ちゃんが、ぼくを見つめていた。
いったい、何だろうか。目が合うと、にこやかに微笑む。

「なんでもないのですよ、にぱ〜☆」

……なんでもないとは思えないのだが。

話してるうちに、個々の性格が掴めてきた。
豪快でまとめ役の魅音ちゃん、家庭的で優しいのが礼奈……もとい、レナちゃん。
大人びた不思議ちゃんの梨花ちゃんに、生意気を形にした沙都子ちゃん。
そして、ノリよく場を盛り上げてくれる圭一くんだ。

「へえ、その部活って、楽しそうだね」

「楽しいなんてレベルじゃないですよ! そうだ魅音、先生も臨時で入部してもらわないか?」

「いいねぇ! どうですか、先生。 綿流しのときにもみんなでやるんですよ」

「……綿、流し?」

「次の日曜に、村のお祭りがあるんですよ。そのお祭りの名前が、綿流し」

ふぅん……と、再度の視線を感じる。
その主はやはり梨花ちゃんで、その目は――さっきより、鋭かった。
何か、気付かれたのだろうか。……いや、何に気付くというのだろう。
半秒だけ目を閉じ、不自然さの無いように、会話に戻った。

そのまま雑談で昼休みは埋められた。そのまま波風なく授業も終わる。
そして、放課後。昼に約束したとおり、例の部活とやらをすることになったのだが。

「あ、それロン。裏ドラも乗って、と」

「い、一万二千点!?」

「みー、ツモなのです」

「まだ一順目で!? 地和なんて初めて見たぞ!」

「字一色、四暗刻ですわ」

「ちょっとまて! それはさすがにねぇだろ!」

ありえない。舐めていたとかそんなチャチな理由じゃあ断じてねえ。
もっと恐ろしいイカサマの片鱗を味わったぜ…(AA略

「けっかはっぴょ〜う! ビリは当然のように先生だよ!」

「オレのときより酷ぇ……」「勝ち目がカケラもないかな、かな……」

「……もう好きにしてくれ」

戯言で言いくるめる元気もない。精神を根っこから砕かれた気分だ。
ていうか、中学生はともかく、小学生が麻雀って。

「それじゃ、今日の罰ゲームはっと、お、メイド服だね」

「え? ちょっと、待っ」

何でこの分校にはメイド服が常備してあるんだ?入江先生の影響なのか?
混乱しつつもメイドとなったぼくは、なぜか賞賛を浴びた後、レナちゃんに《お持ち帰り》されかけるのだった。

その騒がしさの中でも、やはり彼女はぼくを見ていた。
まるで、観察でもしているかのように。何かを見極めるかの、ように。

……メイド姿で帰宅って、かなり辛くないか?
しかし、部活メンバーによれば「そんなの普通だよ!」とのこと。
可愛いですよ、と知恵先生にからかわれ、沈んだ気分で昇降口を出る。
そこに、小さな人影。誰かなんて、聞くまでもない。

「待ったかな、梨花ちゃん」

「……来るって、わかってたのですか?」

「半分くらいはカンだけどね」

おどけて言うぼくに、梨花ちゃんは黙り込む。

「気を悪くしたのなら謝るよ。それじゃ、本題に入ろうか。何の、話なのかな」

「……あなたは、いったい何者なの?」

「人類最弱の、戯言遣いさ。今は請負人見習いの、ね」

「よく分からないし、メイド服着てカッコつけられても、ねぇ」

む、なんか性格の黒い面が出てきたぞ。

「ま、つまりは何でも屋でね。依頼は連続怪死事件の調査だよ。大体、メイド服は」

「何をする、つもりなの?」

語調を強める梨花ちゃん。どこか、朽葉ちゃんを思い出す。

「……具体的には、まだ決めてないよ。
それより梨花ちゃん。まさか、死なない体だったりしないよね」

瞬間。
梨花ちゃんの動きが、止まる。
……えっと。煙に巻こうとした、だけなんだ、けれど。

「もう一度、聞くわ。あなた――いったい何者?」

「ただ、知り合いに《死なない体》の女の子がいただけだよ。
たしか、八百歳、だったかな。もう――いないけどね」

「何を、言って」

「別に。ただの事実だよ。ついでに言うと、その子は朽葉ちゃんっていってね――」

この反応。おそらく、ビンゴだ。彼女の隠し事は、「その」系統のことだろう。
まさか、こんな所で繋がっているとは思わなかったけど。

「――まあ、そういうわけで、そういう特殊な事情には少し耐性があるけど。
話して、くれるかな? 梨花ちゃん」

「あなたの言葉に、嘘はないみたいね。いいわ。信用する」

実際は八百歳も怪しいんだけど。悪い男に騙されそうだな、この子。

「戯言、だけどね」

気付かれないように、小さく呟く。

結果からすれば、予想外の大収穫だった。
雛見沢症候群。診療所の暗躍。特殊部隊。そして、秘密結社東京。
さらに信じられないのが、幾度も世界を巡ったというその超能力。

「……いまさらだけど、今の、全部ほんと?」

「簡単には信じがたい話だっていうことはわかっているわ。
でも、すべて真実。あなたが百年間存在しなかった、イレギュラーだということも含めて」

なんか、いつもこんな風に言われてるな、ぼく。

「それで、羽入ちゃんとやらは今も近くにいるのかな?」

「ええ、あなたはまだ感染してないようだから見えないのね」

まだって言うな。

「そうだ。ウイルスなら、治療薬、ワクチンとかは――未完成なのかな?」

「完治するほどのものができていれば、沙都子は苦労していないわ」

「……沙都子ちゃんも、感染しているのかい?」

「村人は全員。その中でも、沙都子は酷い。一度L5になったから、もうL3以下には下がらないそうよ」

絵本さんを連れてきても、どうにもならないだろうな。

「で、診療所のトップが、『あの』入江先生、と」

「……なぜあなたが『あの』を強調したのか分からないけれど」

「ちょっと第一印象が、ね」

「……。そう……」

思い当たる節があったようだ。あれだけ人目を気にせずメイドメイド言ってたらなぁ。

「……全部聞いた上で悪いけど、やっぱり信じられない話だ。
だから、とりあえず入江先生に確認を取ってくる」

「……そうね、その判断は妥当だわ」

「うん、ありがとう」

「礼なんていいわ。当然のことだもの。ええと――」

「本名を呼ばれるのは苦手でね。いーちゃん、いっくん、いー兄、とか、適当に呼んでもらってるよ」

「ひどいあだ名ばかりね」

何度目だろう、そんな台詞を言われたのは。
と、気付けば、いつのまにか梨花ちゃんの表情が戻っている。

「いぃに忠告なのです。その姿で診療所にいかないほうがいいのですよ。にぱ〜☆」

……そりゃ、そうだろうな。

「それで、この話は本当なんですか? 入江先生」

「……はい、全て真実です。梨花ちゃんが女王感染者であることまで、すべて。
しかし――たった一日でここまで、よくぞ辿り着きましたね。本当、あなた、何なんですか」

「ただの駆け出しの請負人ですって。本物はもっとすごいですよ。零距離射撃を喰らっても死にません」

「そんな人、想像したくもありません。
……それで、あなたはどうするつもりなんです? 今までの連続怪死事件は病気のせいでした、なんて発表するのですか?」

「それじゃあ、解決にはならないでしょうね。それに、まだやらなきゃならないことも――あります」

「何ですか、それは」

訝しげに問う入江先生。ぼくはつとめて淡白に答える。

「別に――ただ、ありがちな話です。
正義の味方として、子供たちを助けるだけですよ」

「この話――大石さんに伝えてもよろしいですか?
もちろん、現状では何も出来ることは無い、と強調して」

三年目の事件だけは事件になりうる要素を持っている。
しかし、責任者の入江先生が捕まっては、何時になっても雛見沢症候群は根絶できない。
それは、やはり大石さんとしても――望むところではないだろう。

「判断は、あなたにお任せします。私は、今出来ることに全力を尽くすだけです」

その潔さは、なんとも言えない格好良さを持っていた。
話を切り上げようとした、その時。背後のカーテンが、ゆらりと揺れた。

「誰か、まだいるんですか?」

「ああ、研究助手の鷹野さんですよ」

訳もなく、そのアイボリーのカーテンを、見つめる。その揺れが、止まるまで。

入江先生に送っていくかと言われたが、丁重に辞退した。
考えをまとめるために、夜風の中を歩きたかったからだ。
正直、迷っていた。
《事件》を終わらせるだけなら、このまま大石さんに伝えればいい。
しかし、それでは梨花ちゃんや部活メンバーを含め、雛見沢村そのものを救うことにはならない。
大災害を起こさないためには、梨花ちゃんの殺害を止めなければならないのだ。

「とりあえず、哀川さんに連絡しとくか」

定時連絡という意味も込めて。
あの人と話せば、きっと悩んでいたのが馬鹿みたいに思えるに違いない。
しかし、携帯電話の画面は、圏外を表示している。
まあ、後でも構わないが――と。道端に電話ボックスを発見した。
今時珍しいが、田舎なら有用なんだろう。
ボックスに入り、哀川さんの番号を押す。

『お掛けになった電話は、現在、使われておりません――』

掛け間違いだろうか。
携帯電話のアドレス帳で、もう一度確認する。
応答は、変わらない。
もう一度確認する。
変わらない。
確認する。
――変わらない。

哀川さんに、何かあったのだろうか。
まさか。そんなことはありえない。
電話ボックスを出て、早足で空き家へと向かう。
混乱している自分を自覚しろ。
脳髄を一度完全に冷やせ。。
すぐに家に着く。ほら、もう目の前だ。
そして、扉の前で、何気なく携帯電話を開き――気付く。

「六月――十五日、すい、ようび?」

何かが、崩れていく。

全く意味が分からない。携帯電話の故障なのか?
機能をいじくってみると、さらに驚愕の表示が出てきた。

「せんきゅうひゃく、はちじゅう、さんねん……?」

部屋のカレンダーを確認する。
昭和、五十八年。
間違っていない。
しかし、違う。
いったい何があったのか、と一瞬だけ考えて――思い出す。
梨花ちゃんに適当に話したことを。

『――まあ、その研究者は、朽葉ちゃんの存在から、《物語》の存在、運命について、確信して――』

物語が、存在するのなら。
『別の』物語だって、存在して。

物語が交差することも――あるんじゃないのか?

待て。こんな突拍子も無い妄想、ある訳がない。
しかし、心の底では、信じている。
だって、最初から感じていたんだ。何処か、場所に対する違和感。
誰か、人に対する違和感。そして、世界への――違和感。
そう、こう考えれば分かりやすい。
奇しくも梨花ちゃんが言ったように――自分がこの世界に対するイレギュラーなのだ、と。

少し、眩暈がする。
数秒ほど目を閉じて――『世界』を、見る。
認識すれば、これほどわかりやすいことも無いだろう。
自分の取り巻くセカイが、違っている、なんて。

「……ぐ、うぅ」

目を閉じろ。何も聞くな。嗅ぐな味わうな感じるな。
ただ、考えろ。
この閉じられた世界を――打ち破ることを。

目が覚めたのは、いつもの時刻だった。
いや、それすらもずれているのかもしれないが――それを気にしては始まらない。
このままでは、梨花ちゃんのように、世界に飲み込まれてしまう。
あの子は、もう、もたない。
物語から抜け出そうと努力して。努力しすぎて。
心が――磨耗してしまっている。

それじゃあ、ぼくはどうなんだ?
物語を終わらせるにふさわしい存在だと?
主人公にでもなったつもりなのか?

「一言一句、戯言だ」

そう。ぼくは主人公じゃあない。
脇役だって構わない。
ただ、下から支えればいい。
主人公というどこかの誰かを――輝かせれば、それでいい。

さて、具体的に何をしようか。
メインは、梨花ちゃんを助けること。
すなわち、《敵》を見つけること。
未来に起こる事件に証拠は存在しないから、動機から探っていくしかないのか。
これは、梨花ちゃんと話し合うのがベストだろう。
次に、部活メンバーの発症を抑えること。
なんでも、どの世界でも必ず発症者は出るのだという。
今までに発症が抑えられたケースはかなり稀だそうだ。

「……まるで、推理ゲームだな」

不謹慎ではあるが、なかなか的確な気もする。
そういえば、哀川さんも「探偵」の肩書きは持ってたしな……。

「っと、遅刻だ」

わざわざ波風を立てるべきではないだろう。
心持ち早歩きで、学校に向かう。

授業を適当に終え、昼休み。昨日のように、昼食を囲む。

「センセ、朝は大変だったね。沙都子のトラップがまさか三段仕掛けになってるとは」

「相手の心理を読んでこそのトラップですのよ!」

「沙都子のやつ、裏山にありえない量のトラップを仕掛けてるらしいですよ」

「前に行ったときは圭一くん、ぐるぐる巻きにされてたもんね。はう〜」

「この借りは、部活で晴らしてやるといいのですよ」

「そうだ魅音。今日の部活は何をやるんだ?」

「うーん、そうだねぇ。推理ゲームとか、最近やってないよね。あれにしない?」

……推理ゲーム、ねぇ。

「ちょっとみんな、いいかい?」

みんながぼくに視線を集める。

「今ぼくが読んでる小説のことなんだけど、途中から落丁で、話が分からないままの本があるんだ。
それで、皆にストーリーの続きを推理してほしい。主人公は、小学生の、小さな女の子」

はっとしたようにぼくを見る梨花ちゃん。ぼくは意味ありげに目配せする。

「その女の子はね――」

後は簡単。ありのままを、話すだけ。
不安そうにメンバーを見渡す梨花ちゃん。
しかし、彼らは自分たちのことだなんて考えもせず。
柔軟な発想と、確かな推敲で。
物語を――紡ぎ出す。

「女王感染者ってのがポイントだよな――」

「――そんなの、設定だけで動機を構築できるよ!」

「さらなる悪役がいるんだよ――」

それは流水のような細さから。

「――泣き寝入りか、復讐ですわね」

「損をする人と、得をする人がいて――」

「――その悪役は、利用されるのさ」

大河のような、力強さを、得る。

「みぃ……みんなすごいのです」

梨花ちゃんの言葉に、心から同意する。
ほんの少しヒントを得られれば、と言い出したことだが、ここまで形になるとは。
部活メンバー、最高だ。

「――それじゃ、今度は解決編。その女の子は、どうしたらいい?」

梨花ちゃんとまたも目が合う。しかし、さっきとは違い、その目には明らかな希望が宿っている。
仲間たちへの信頼が、そこにはあった。
現実に即した夢物語は、次第にエピローグへと向かっていく。
そして、その結論は。

「つまり、もし部活メンバーが力を合わせれば、」

「物語は、ハッピーエンドになるのですよ」

――もう一度言おう。このメンバーは、最高だ。

放課後の部活は申し訳ないが辞退させてもらった。
綿流しまではもう数日、あまりに時間が無い。
物語の確認と、補強。
裏でやることは多すぎる。
とりあえずは、入江先生だ。『実質』最高責任者を、問いただす必要がある。

「――わざわざこんな所まで呼び出して、今度は何でしょう?」

「いえいえ、警戒するのは無理も無いです。
しかし、とある泥棒さんによると、秘密の話は公然とするべきだそうで。
それにしても、丁度よく富竹さんも入江先生とご一緒だったとは、手間が省けます」

「……僕の名前を、どうして?」

「梨花ちゃんから聞いたんですよ。どうやらぼくは年下の信頼を得るのが得意みたいでしてね」

ウェイトレスさんがコーヒーを運んでくる。一口だけ啜り、入江先生に軽く問いかける。

「一つ質問ですが、入江先生。診療所で、あなたより権力のある人は――誰ですか」

うろたえる入江先生。本当に、正直な人だ。

「あなたが本当に最高責任者なら――ひとつ、不思議なところがある。それは、三年目の事件」

富竹さんも入江先生も、ぼくの話に聞き入っている。

「梨花ちゃんの両親が研究に反対したからと言って、殺してしまうのは、あまりにも早計。
それに、沙都子ちゃんや梨花ちゃんを、あなたは親のように見守っている。
殺して――失礼、あくまで山狗に命を出しただけでしたか――しまったなら、あなたの態度は不自然です。
しかし、その命を『止められなかった』なら、と考えれば、ありうる話。
受動的な罪悪感からの、償い。それでこそ、あなたの人物像に合致します」

「し、しかし――」

「仕事柄、人を見る目には自信がありましてね。まあ、とぼけるのなら、ただ調べる手間が増すだけです。
で――誰なんですか。裏で、研究を、山狗を操る権限をもっているのは」

「……」

まあこの推理は、実際レナちゃんの推測を使っただけだ。
人物像からの推理というより、行動面が主だから、説得性には欠けていた。
だからこその、戯言使い。
口車こそが、ぼくの専売特許だ。

「実質的には、鷹野さんがトップです。研究以外では、お飾りの立場なんですよ――私は」

鷹野、さん? ああ、昨日言ってた助手の人か。
待て。その人に、話を聞かれていた?
まずい。ぼくへの警戒が――

「鷹野さんが実質最高責任者だと、いったいどんな問題が起こるんだい?」

富竹さんが表面上柔らかく、しかし苛立ちを隠し切れ無い様子で、詰問する。
もしかしたら、彼は『鷹野さん』に好意をもっているのかもしれない。
だが、まだ言質は全ては取れていない。はぐらかしながら、再度問いかける

「そちらはまず置いておいて――その研究。あと三年で終了させられるのでしょう?」

「確かにそうですが――」

「そして、彼女はその研究に生涯を掛けている。そうではありませんか?」

「そ、そこまで、きみは……」

「――それは、認める、ということでしょうか。
それならば、先ほどの質問に答えられますよ。
鷹野さん、彼女は――おそらく、復讐を、考えてます」

危ない橋はここまでだ。
ここからはただの詰め将棋。
それを真実だと思わせるのが――戯言使いの本領だ。

「――という筋書きですが、どうですか?ありえない話ではないでしょう?」

「ま、まさか――」「た、鷹野さんが?」

「……ぼくの言葉を信じろとは言いません。
ただ……鷹野さんを、疑ってください。
彼女を盲目的に信じるよりは、その方がずっと――誠実な行為だと、思いますよ」

口を閉ざし、考え込む二人。
あとは彼らに任せれば、自然と証拠は見つかっていくだろう。

「ああ、もちろんですが、あまり不審な行動をしないでくださいね?
首を掻き毟って死にたくないなら」

うーん、なんかどんどん悪者になっていく気がする。
しかし、なりふり構ってはいられない。
これが、人類最弱の生き方だ。

「何か分かったら、連絡を。
――できることなら、この店でもう一度、楽しく語り合いたいですね。それでは」

そんな台詞を捨てて、ぼくはエンジェルモートを後にした。

車に乗り込むと、冷房がぼくを強く迎えた。

「話は終わりましたかね」

「ええ、やはり話した通りでしたよ、大石さん」

「しっかし、信じられませんなあ。雛見沢症候群に政府の暗部の存在。
さらには、雛見沢で大災害が起きるなんて、ねぇ」

「しかし、全て真実です。証拠なら、入江先生に許可を得て診療所にでも」

「いやいや、それこそ特殊部隊に殺されちゃいますよ。はっはっは」

種はまいた。土壌は完璧。後は時間との勝負だ。

「……そういえば大石さん。いまさらですが、初対面のぼくをよくもまあこの店に連れてこれましたね」

「あなたなら大丈夫――いや、むしろ大歓迎だと、感じたんですよ。漢のカンで」

――その夜。意外なほどに早く、二人から連絡がついた。
裏金。権力争い。そして――鷹野さんの隠れた指示。
いや、鷹野三佐、か。
敵がようやく確定した。
やっと――勝負の世界に、もってこれたのだ。

梨花ちゃんは、これまでの世界では、その勝負すらさせてもらえなかった。
ゲーム版外からの、虐殺。
最初のサイコロを振ることしか――できなかった。

それが今、対峙することが出来る。
駒もルールも、全て揃った。
こんなこと、相手側からすればありえないことだろう。

以前、誰かに言われた言葉。
《なるようにならない最悪》。
まったく、上手いことを言う人もいるものだ。

「鷹野三佐――あなたの物語を、今度こそ――殺して解して並べて揃えて、晒してやります」

「ちょっと、みんなに話したいことがあるんだ」

次の日の放課後、部活を始めようとする彼らに話しかける。
不安そうにうつむく梨花ちゃん。
当然だ。これからみんなに、死線をくぐってもらおうと持ち掛けるのだから。

「昨日の昼に話した小説のことなんだけど――」

この世界で信頼でき、協力してくれる人は少ない。
ましてや、指揮官やトラップマスターなんてどこを探せというのだろう。

「――実は、梨花ちゃんの話なんだ」

言葉の意味が分からないというような表情。
梨花ちゃんは一人、顔を歪める。
それでもぼくは、語ることを、止めはしない。

「信じられないかもしれないけど――すべて、この村で起こっていることなんだ」

言葉の一つ一つを、噛み締めるように。
子供だからとか、そんな誤魔化しは必要ない。
隠された全てを、ただ誠実に。
表も裏も、事件の真相も。
言葉を尽くして――ただ、伝える。

「――というわけだ。誰か、質問ある?」

言葉を無くした教室。
予想以上の途方も無い話だ。質問なんて無いわけがない。
だからこれは、遠回しの意思確認だ。
このゲームに、乗るか否かの――!

「……みんなには、申し訳ないと思いますです」

梨花ちゃんの今までの苦労を思えば、誰も何も言えなくなる。
それでは、駄目だ。

「梨花ちゃん、申し訳ないなんて、誰も思ってないよ。そうだろう? 圭一くん」

虚をつかれ、一瞬唖然とする圭一くん。
しかし、ぼくが意味ありげに見つめると、すぐに不敵な笑みを浮かべ、宣言する。

「そうだぜ! ここにいる奴らは、誰もそんな事は思ってない。
ちょっと大事過ぎて面食らっちまったが、どいつもこいつも、面白そうなことになってきた!
そう思ってるんだろう。なあ、沙都子!」

そう、このメンバーの火付け役は、彼しかいない。
それを自分で自覚しているからこそ――次へ繋げた。

「おーっほっほ! 今までには遠慮して使わなかった、極悪トラップの丁度よい披露会ですわね!
たかが山狗ごとき、ちょちょいと揉んでやりましてよ!」

「沙都子ちゃんのトラップだったら、歴戦の特殊部隊だってこてんぱんだね!
それに、魅ぃちゃんが部活メンバーを統率すれば、もう誰にも止められない!」

「……くっくっくっく。そろそろ、対外試合でもやりたいと思ってたところさ。
村を巻き込んだ陰謀。第一回の相手として、不足はないね!」

「梨花ちゃん。どうだい?」

「みぃ、心配して損したのです。
僕の友人は、みんな……最高なのですよ」

このメンバーなら、運命を、打ち破れる。
物語を、ハッピーエンドまで――進められる。

「そして、集まったのがこの九人ですか。んっふ、野球みたいですね」

「――攻撃が僕。一撃入れて九回裏、こっちが守りきれば勝ち。
たしかに、似てるかもしれないなあ」

強いてゲーム感覚で話すようにしているのは、緊張を隠そうとしているからだろう。
入江先生なんて、ずっと落ち着かない様子だ。
対する部活メンバーには、恐れも不安もない。
実戦の中で日々を過ごしてきたのは、伊達じゃないようだった。

「――もう一度説明するよ。
梨花ちゃんたちは園崎家地下で待機、部活メンバーがそれを全力で補佐。
代わりにぼくが家で、山狗たちを牽制する。
大石さんと入江先生で情報の操作。
その隙を突いて、富竹さんが東京へ密告だ」

「そして戦闘部隊『番犬』の到着までの時間を、トラップ仕掛けの裏山で稼ぐのです」

「でもそれじゃあ、先生が危険にならないか? どうやって抜け出すんだ?」

「一人でのスタンドプレーは得意でね。それに――ぼくはみんなの近くにいない方がいいんだ」

みんなが「よくわからない」といった顔をする。
しかし、こればかりはどうにもならないだろう。
ぼくという存在、そのものの問題だ。

「作戦は――綿流しの日、四時に、開始する」

そして決戦当日。

見事に、捕まった。

「もう少し骨のある男かと思ったけど……」

「僕自身驚いてますよ」

本当に。
しかし、富竹さんや入江先生は上手く逃げ切れたらしい。
代わりにぼくが捕まっては、何の意味もないのだが。

「まだ、余裕そうね。仲間の助けも得られない。手錠も足錠も掛けられて。
あなたいったい、これから何が出来るって言うの?」

「出来ることはまだありますよ。
例えば――裏切りとか」

「うら――ぎ、り?」

「実を言うとぼくはただ雇われただけでしてね。
理性的に考えて、大災害が起こることと天秤に掛けたら、圧倒的にぼくの方が軽いんですよ」

「……じゃあ、あなたに何の意味があるっていうのよ」

「それでも、子供たちになら――効果はある。
あの子たちの前にぼくを直接連れて行けば、きっと膠着状態にもっていけますよ。
ほら、時間はあまりありません。富竹さんが躊躇してる間に、早く」

「で、でも――」

「そうやって考えているうちに、出来ることは少なくなっていきます。
まったく。あなたの人生、今までもそうだったんじゃないですか?」

「う――うるさいっ!」

憤然と部屋を出て行く鷹野三佐。
なんという高飛車のツンデレか。富竹さんが惚れるわけだよ。
などとどうでもいいことを考えながら。

「……ん、よっと」

腹部から、錐状の刃物――《錠開け専用鉄具(アンチロックドブレード)》を、取り出す。

「今度こそ、零崎に礼を言わなきゃな……」

必要だったのは、部屋に誰もいなくなること。
慢心しきった指揮官が部下を出て行かせたのが――敵の、運のつきだ。
一対一で話し始めれば、あとは伝家の宝刀。
目的から目をそらさせてこそ――戯言は、映えるのだから。

「それじゃ、いきますか……」

錠を外し、体を伸ばし、腰のジェリコ941に、手を掛けた。

静かに窓を開け、監視をくぐり抜け、走る。
鷹野三佐は見立て通り感情的なタイプだったようで、指揮系統を混乱させた上、
診療所の衛兵ごと連れていこうとしたらしかった。
指揮官として、してはいけない事ばかりである。

「ふう。どこかの策士さんを見習ってほしいね」

だからこそ、ぼくは逃げ出せるのだけれど。
後ろが騒がしくなってきたが、おそらく追いつくことはないだろう。
十九年間逃げ続けてきた経験は、もはや逃走を得意分野の域にまで昇華させている。

「えっと……富竹さんに連絡が行けば、すぐに『番犬』は向かうのかな」

手近な家で電話を借り、梨花ちゃんの家へコールする。
富竹さんにだけ、この奇策を伝えておいた。
だからこそ、敵の監視を逃れた、安全地帯を確保できる。
《錠開け専用鉄具》で元通り鍵を掛け、民家を後にする。
そして、向かう。物語の――終わりに向かって。

予想以上に、裏山は……地獄だった。

「これは、酷いな」

「あっれー? 先生、捕まってたんじゃ」

「今だけ『口先の魔術師』の名を借りようかな、という感じだよ。
それで、戦況はどうかな」

「――うん、こっちが押してるよ。
沙都子のトラップをメインに、レナと圭ちゃんの直接攻撃、さらには梨花ちゃんの話術。
あっちの指揮官は駄目だね。突撃以外の命令は無いと見た
このまま行けば、敵軍は全滅間違いなし」

「確かに、現状はそうかもしれない。
でも、こちらの体力も――限界なんじゃ、ないか?」

「そこが、唯一にして最大の問題だね」

魅音ちゃんはとぼけたように言うが、実際に不利なのはこちらだろう。
診療所にいるはずの諜報員すらも戦闘に突入させたはず。
まともに攻めることも出来ないとは思うが、なんせ全軍を相手にしなければならない。
たった五人では、既に疲労も溜まっているはず。
それなのに、誰一人として交代することも出来ないのだ。

「……仕方ない。
さっき、梨花ちゃんが話術で混乱させてるって言ってたね」

「う、うん。やられた敵から無線を奪って。梨花ちゃんはもう少し下にいるけど」

「わかった。……全て、鎮めてくる」

「えぇ? いったい、どうやって!?」

「あれ、まだ言ってなかったかな?
ぼくの肩書きが――《戯言使い》なんだ、って」

『あー、あー、山狗部隊の皆さんに朗報です――
あなたは、一切の報酬を、受け取ることが、できません』

誰もが真実を得られないのなら。

『今より、上位組織である、『番犬』が到着、すぐに制圧されるのは明白です。
そのとき、きっとあなたは、反乱分子としての烙印を押され――』

多数相手でも、問題はない。

『――受け取った物は全て、手に入れることはできません』

そのうえで、相手の立場に立ったなら。

『指揮官の無能さに、もう気付いていますね?
部隊長は、既に司法取引を考えています――』

説得力は、格段に、上がる。

『もう、死にに行く理由は、ありません』

「みー、多分まだ誰も死んではいないと思うですよ」

「そんなの、誰も確かめる術はないよ。
その辺で意識も無く転がってる人もいっぱいいるし」

『本当』なんて必要ない。
この極限状態において、心を折られる要素があれば。
ほんの少しの疑いを持てば――そこで、足は止まる。

「あれ、回線、切られたか」

まあ、もう十分だろう。
行動の意義と、上司への、疑惑。
ただの諜報部隊員には、効果はありすぎるくらいだろう。

「いぃは、呼吸をするように嘘をつくのです。信じられないのですよ」

「それは本当、いまさらだよ」

雨が、降りそうだ。
既に山狗はほぼ撤退。
隊長らしき人と鷹野三佐、そして虫の息の数人だけが、ぼくと部活メンバーの前に立っていた。
隊長――小此木という名前らしい――は、武装を外し、敗軍の将として、対峙している。
鷹野三佐とは違い、どうやら引き際をわきまえているようだった。
そして、こちらの指揮官として、魅音ちゃんが応える。
一対一。素手の戦いが――始まった。

明らかに体格差があるはずなのに、それを苦にもせず投げ転がす。
合気、というやつだろうか。いくらかかって行っても、ただ、投げられる。
何度目のことだったろうか。二人は足を止めた。

「――、――――」

満ち足りたような顔で、小此木は、何かを問いかける。

「――――――。――――!」

誇るように、魅音ちゃんは、何かを宣言する。

その会話は、ぼくには届かなかった。
もしかしたら、それは二人だけの言葉だったのかもしれない。

雨粒が、周囲をざわめかせ始める。
小此木は研ぎ澄ました敵意をもって、構える。
魅音ちゃんも、左半身を前にし、目を細めた。

そして時間が――一刹那か、一時間かが流れて。

緊迫が――破られる。

その光景は、落雷によって切り取られた。

魅音ちゃんは、動いていなかったように見えた。

ただ、小此木が、空を舞ったのだ。

その技の名前は――空気投げ。

小此木が背を着くのと同時に、嵐が木々を騒がせた。
それは、大型のヘリコプター。
番犬部隊の、登場だった。

敗軍の将は、三佐をつれて、森へ消える。
終わった。
物語は、終わったのだった。

「本当に――これで、終わったの?
惨劇は――もう、無いの?」

梨花ちゃんの言葉に、ぼくは、深く頷いた。
そして無言で、部活メンバーへと、視線を向ける。
そこには、疲労困憊ながらも、最高の笑顔で応える、仲間たちがいた。

「帰ろうか、みんな」

そして、最後の片付けを、始める。

「――なんで、一人で、戻ってきたのよ」

そこにいるのは、泥だらけで、ノートを握り締め、銃口を向けた女性。

「この銃で、責任を取れって。死んでくれって、言われたわ」

ぼくは答えない。

「こ、こうなったら、あなたを殺して、一矢、報いてやるわよ。
思えば、あなたが、全てを――ぶち壊した」

ぼくは、応えない。

「し、死ぬのが怖くないっていうの?
命乞いでも何でも、してみなさいよっ!」

ぼくは、ようやく――口を開く。

「あなたは、引き金を引いてはいけない」

「なっ、何を――」

「その引き金を引いて、困る人が、いるでしょう?」
あなたが傷つけることを、傷つくことを――望まない人が」

この物語、最後の――戯言を。

「その人差し指は――彼とシャッターを押すために、あるんです」

ぼくは、遣う。

「じ、ジロウ、さん」

誰一人として――死なせないために。

「彼は、今でもあなたを信じています。
今からだってやり直せると、信頼しているんです」

「でも、わ、わたしは――」

「鷹野さんっ!?」

息を切らして、彼は現れた。
泥にまみれて。眼鏡も落として。
ただ――一人の女性を、守るために。

「後は、あなたが応える番ですよ――鷹野、さん」

そう言って、ぼくは背を向ける。
きっと彼ならば、何時の日か――彼女の傷を、癒せるだろう。

ぼくは森の中へ――誰もいない場所へ、向かう。

「――これで、どうかな? オヤシロさま」

ぼくは虚空に話しかける。

『あうあう、鷹野まで助けるとは思わなかったのですー。
……それにしても、何時から気付いていたのですか?』

「雛見沢のバス停で降りたとき、かな」

『ほぼ最初からなのです、すごいのです。あうー』

「やっぱり、物語を繋げたのは――」

『あう、ぼくなのです。こっちの解釈としては、輪廻を捻じ曲げる、という感覚なのですが』

「それじゃ、途中で完全に途切れたのは?」

「あう、梨花がお酒を飲んで、集中が途切れちゃったのですよ」

「……そうか、じゃあ、もう一つ。
今回は、部活メンバーの発症は無かったようだけど?」

『雛見沢症候群は、他人を疑うことで悪化していくのです。
今回のケースでは、みんなが信頼し合っていたから、進行が抑えられたのです』

「うん、大体分かった。
そろそろ、元の世界に返してくれるかい?」

『……お別れとかは、いいのですか』

「構わないよ。どうせぼくは違う世界の住人だし。
それに、また――輪廻を、巡るんだろう?」

『……どうして、そう思うのですか?』

「いや、『今回のケース』って言葉から邪推しただけだよ」

『……あなたは、とても不思議な人なのです。
どこにでもいるようで、誰とも似てない。
そして、いつのまにか――物語を、進める』

「……過大評価だよ」

『でも、結果としては、あなたにはとても助けられたのです。
あう。何もしてあげられないのが残念なのです』

「……いや、もう、受け取ったかな」

『あうあう? 何をなのですか?』

「かけがえのない友人と――請負人としての、経験を」

ぼくは――久しぶりに、微笑んだ気がした。

………

『おーぅ、いーたん! 初仕事どうだった?』

「ええ、散々な目に遭いましたよ。
トラップにかかるわ麻雀で大敗するわ、挙句の果てにメイド服まで」

『ふぅん、いつになく饒舌じゃん? 何か楽しいことでもあったみたいだぜぇ?』

「……そう、ですかね。そんなことはないと、思いますよ
でも、請負人も悪くないかなって――思い始めました」

『そうかい、そうかい。……実は、もう次の依頼が来てるんだけど、どうだい?』

ぼくは、一呼吸おいて――明瞭に、応える。

「その依頼――『請負い』ます」

Juvenile Talk and when they cry is END.