出来事・歴史/雛見沢工場群戦争

Last-modified: 2008-01-23 (水) 18:00:58

雛見沢工場群戦争

第07回(2025年8月)にてかつてはのどかな田園地帯であった雛見沢村が、ニコ鉄により工業地帯として開発することになったのが全ての始まりである。
雛見沢村住民は「雛見沢死守同盟」を結成し、激しく抵抗。
しかし一部住民がニコ鉄側に加担した事により同盟は解体。
さらにニコ鉄側はこの事件で初めて私設戦闘部隊であるNDF(Nicotetsu Defense Force)を投入。
戦闘用ヘリ"コブラAH-1"型を大量投入するなど、武力弾圧により村民は降伏を余儀なくされた。
この武力による強行弾圧により、住民側のニコ鉄に対する敵対意識はますます強まったとされ、雛見沢貨物ターミナル・雛見沢港建設戦争のきっかけとなったといわれている。

再開発局による動き

再開発第1回(通算17回)において工場群は住民とニコ鉄の間で和解が成立し、撤去されている。