概要
よく名前を「霊鳥(れいちょう)」と勘違いされる悲しい特急。正式名称はロゴの通り「霊烏(れいう)」である。なお、関係者の中でも平然と誤る事実がある。(参考文献)
例によって初代と二代目・三代目では目的などが異なるので別に解説する。
初代 霊烏
初代霊烏は東風地区の看板特急の1つ(関係者曰)を担っており、実際経路も東風地区を代表する美味・霧雨・神嶺支社を通っていた。
しかしながら、高すぎる速度のために他の列車の障害となっていたためか、城東急行離脱に伴う大規模ダイヤ改正の際にこっそりと廃止されてしまった。
2代目 霊烏
霊烏の廃止を惜しむ人の数は多く、また、関係者の中でももったいないと感じていた。
速度が高くて他の列車のじゃまになるなら、専用線を引けばいいじゃないとどこかの支社らしくやりたい放題やった結果2代目霊烏は復活した。この際、神嶺支社では東風とルートが被るので霧雨から東方旅客鉄道(ZR)の花映中央に向かうことになった。
さらに、ZRの海峡線が完成すると霊烏は都市間高速特急としての地位を確立し、現在では東風地区と潮騒地区を結ぶ代表列車となっている。
3代目 霊烏
2代目霊烏はさらに延伸し、最終的に江北支社管内樟葉まで延伸された。その域は都市間高速特急の枠を超え、観光に通勤にと多種多様な需要が生まれた。
ここでさらに東風グループは霊烏新線建設に伴う霊烏料金の余剰金から超高速化を実施。使用車両を2代目まで使用された681系からE7系へ変更、また同時にダイヤ組成のネックとなっていた優雲松~霧神宮古間を複線化し、新優雲松~霧神宮古、北綾瀬~三咲東大前間で260km/h運転を開始。江北国際展示場で開催されるイベントも優雲松からの日帰り参加が可能となるなど、東風・潮騒間の滞在時間が大幅に増加した。
列車の扱いはついに特急から新幹線となり、東風・潮騒両地区の一番の代表列車と言っても差し支えないだろう。
なお、新幹線化に伴うダイヤ改正で赤坂千早が霊烏停車駅から外れた模様。
3代目霊烏の各区間の最高速度は以下の通り。
3代目停車・通過駅
元ネタ
霊烏路空(東方地霊殿6面ボス)