みんなの新武将/朝鮮・韓国(李氏朝鮮以降)

Last-modified: 2025-12-02 (火) 22:43:18

注意点

基本的に、新武将は「作成例」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。
新武将の能力値や個性の決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物であり、その正誤も、各人それぞれ異なります。
万人が納得する能力値や個性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発してしまいます。
可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には各プレイヤーの裁量次第であることをお忘れなきようお願い致します。

また、併用不可能な個性の組み合わせも存在するため、実際に作成可能か確認したうえでの追加・編集をお願いします。

変更を加える際は編集合戦を避けるため、みんなの新武将/明の朱元璋やみんなの能力編集のように能力値の別案を作成するのも良い手段です

なお、以下の条件に当てはまる人物などを登録、作成禁止とします

・2019年4月30日時点で存命中・未誕生の実在の人物(政治家、活動家、芸能人など著名人を含む)
・↑に当てはまる実在の人物を揶揄、模したような創作上の人物
・意思疎通、自主的な会話が不可能な無機物(飛行機、電車、船など)


なお、第三者が記載、投稿した能力値を許可なく改変、削除することも禁止です
あなたの身勝手なその行動が編集合戦を招いています。
あなたが第三者の方の作成した能力値を削除したら、次は第三者の方があなたの作成した能力値を削除して堂々巡りになります

朝鮮・韓国 (李氏朝鮮以降)

李氏朝鮮成立以前は朝鮮・韓国を参照



李氏朝鮮

解説はこちら

李成桂(君晋)

生年登場没年
1335年1408年(自然死)
統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
8788768285掃討遠矢柱石慎重農政神弓三軍強化王道

【リセイケイ(クンシン)】
李氏朝鮮の初代王。
高麗末期に高麗の有力武将として朝鮮半島に侵入した紅巾賊や倭寇討伐に功績を挙げた。
1388年に遼東征伐に従事したが軍を転じて首都開京を制圧して高麗の実権を掌握し、
1392年にて禅譲により即位して李氏朝鮮を建国する。
その後は後継者争いにより五男の李芳遠(後の太宗)により退位させられ、仏門に入り晩年を過ごした。

李芳遠

統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
7140899798

【リホウエン】
李氏朝鮮の第3代国王。李成桂の五男。李成桂の「太祖」に対し、「太宗」と呼ばれる。
聡明で知られ、早くから父である李成桂を補佐して朝鮮統一に貢献した。
父の李成桂が後継候補として8男の李芳碩に定めると反目。李成桂が病に伏せると反乱を起こし、
反乱軍の中心的人物として活躍。反乱後は兄の李芳果が王位を継いだが実権は自身が握っていた。
しかしその後、兄である李芳幹が反乱を起こすと自身が王位を継ぎ、反乱を鎮圧。即位後は
王権強化のために王族功臣縁戚の弱体化に腐心し、一方で内政外交に力を注ぎ、議政府や六曹を設置。
また現在に至る朝鮮八道をも定めた。後継者には長男を廃して有能で知られた3男を定めた。1422年薨去した。

李芸

生年登場没年
1373年1445年(自然死)
統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
3136807476論客能吏特使縦横術王道

【リゲイ】
李氏朝鮮の官僚。
蔚山郡の役人で朝鮮通信使として四十回に渡り日本に来日して日朝貿易の制度を整備し、
倭寇とも交渉を行い倭寇に連れ去られた朝鮮の人民の返還に尽力した。

李祹

統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
6550869490調達使役動員法律文化礼教

【イド】
世宗大王。李氏朝鮮の歴代国王の中で聖君と呼ばれるほどの人物。
主に学問に力を入れ、中でも文字の読めなかった国民を哀れんで、ハングル(訓民正音)の創製を行ったことで知られている。
死後も韓国国内で讃えられており、儒教の理想とする王道政治を展開したとして、朝鮮王朝における最高の聖君と評価されている。
一方、近年の研究では朝鮮王朝実録に世宗の治世が明に対する貢女(処女献上)は最も多かったと記録されていることや、
貢女を安定して行うために『進献色』という機構を設置し、貴族層を除いて民衆のみに早婚禁止を実施したこと、
明から来た使臣が貢女を選び出す期間は半島全土に婚姻禁止令が下された等、聖君との評価に反する実像を指摘されている。
また『奴婢従母法』を制定し、婢(女性奴隷)から生まれた子供は父親の身分に関わりなく奴婢とすることを決定したため、
太宗以前と比較し、奴婢の身分から脱却することがより困難となり、これ以降の奴婢の階級固定や増加における大きな原因となった。

追記:当時、奴婢や白丁(奴婢より更に下の賤民階級)は当然の様に人身売買の対象とされており、彼らに対する犯罪行為は罪にならなかった。
   世宗によって増加した賤民階級は、皮肉にも豊臣秀吉による文禄・慶長の役や後金(後の清)の侵攻に対する戦費獲得のために両班(貴族階級)や
   良民の身分が売買されたことにより大きく減少することとなり、朝鮮末期には国民の相当数が戸籍上は両班となった。
   しかしあくまで戸籍上のみであり、実際には元奴婢や白丁への犯罪行為は日常的に行われていた。日韓併合を期にこうした状態は解消されていくが、朝鮮戦争後でも一部の地方ではこの様な状態が維持されたまだったという。

李昖

統率武力知力政治魅力
9121673

【イヨン】
李氏朝鮮の第14代国王。国王に即位したが、儒教に傾倒したために
文官の対立や朝政の混乱を引き起こす。豊臣秀吉らによる壬辰倭乱では家臣らの再三再四の
諫言にも関わらず、日本軍を侮って防備を一切固めなかったため、朝鮮潰走の
元凶となった。開戦から1月足らずで領土の大部分を占領され、都落ちの際には
人民が叛民や乱民となって暴動を起こし、国王に石を投げる者や進んで日本に協力した者までいた。
明の必死の救援と秀吉の死により難を逃れたが、晩年は王子らとの内乱や対立が絶えず、死後政治は混乱して清の冊封国となる。

李舜臣

統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義
8487696481水戦操舵地利長駆威風錦帆強襲激励大喝連弩斉射覇道
7153624470水戦地利長駆錦帆強襲激励大喝覇道

【リシュンシン】
文禄・慶長の役において朝鮮水軍を率いて日本軍と戦い活躍した。韓国では救国の英雄とされる。
朝鮮内の党争の影響で李の対立側である元均らの勢力によって、懲罰を受けて兵卒に落とされ一時失脚していたが、
軍を率いていた元均が戦死したことで危機感を覚えた朝鮮王によって復権し、日本軍と戦う。
最期は露梁海戦で明軍の水軍副将・鄧子龍の救援に赴き戦死。死後に贈られた諡は忠武公。

※戦国時代の名だたる人物と交戦しているために、能力値の設定は比較的しやすい。閑山島海戦では脇坂安治(大志能力値、統率58、武勇66)を破り、九鬼嘉隆(大志能力値、統率75、武勇78)や
 加藤嘉明(大志能力値、統率78、武勇74)と交戦して戦果をあげた。鳴梁海戦では藤堂高虎(統率81、武勇81)と交戦。戦略的には敗北したが、来島通総(大志能力値、統率74、武勇74)を戦死させる。
 露梁海戦では島津義弘(大志能力値、統率97、武勇94)、立花宗茂(大志能力値、統率86、武勇98)らと交戦するが、この戦いで李舜臣は戦死した。犠牲は痛み分けとも言われているが、日本軍は作戦目標を達成。
 統率85以上、武勇90以上の勇将が相手になると苦しい展開に追い込まれるポジションだと考察してこの能力値に。

郭再祐(季綬)

統率武力知力政治魅力
6478744577

【カクサイユウ(キジュ)】
李氏朝鮮の武将。
一介の農民として過ごしていたが、文禄の役の際の日本軍の侵攻を受け義兵として挙兵する。
朝鮮側からは当初逆賊と見なされるが、ゲリラ戦術を用い戦功を重ね次第に名声を高めていった。
第一次晋州城攻防戦では金時敏と共に数倍の日本軍と戦い、防衛に成功する。
戦後は宮廷内の権力闘争を嫌い、官職に就かず都落ちした。
戦場では紅い軍服を纏い、「天降紅衣将軍」と呼ばれた。

金時敏(勉吾)

統率武力知力政治魅力
7875724576

【キンジビン(ベンゴ)】
李氏朝鮮の武将。
1578年に武科に及第し、腐敗した軍の状態を見かね改革を兵農判書に建議するが、要れられず官を辞す。
その後女真との戦いで活躍し官途に復帰する。
文禄の役では晋州城に籠城し、3倍近い細川忠興軍の猛攻を耐え抜き遂に守り抜くが、自身は戦死した。
その戦いぶりは日本からも高く評価され、木曽判官(もくそほうがん)として歌舞伎の登場人物にもなっている。

李元翼(公励)

統率武力知力政治魅力
4635778382

【リゲンヨク(コウレイ)】
李氏朝鮮の官僚。李舜臣とは姻戚関係にあたる。
1569年に文科に及第し、諸官を歴任し飢民の救済等に功績を挙げる。
文禄・慶長の役では募兵を行い、李如松の平壌城奪還戦に参加し同城を奪還する。明軍への食料調達等も行った。
戦後は党派間の権力闘争の中悪政を正すため尽力し、引退後は清貧な暮らしを貫き1634年に没する。
清白吏として知られ、党派を問わず評価されており多くの逸話を残す。

惟政

統率武力知力政治魅力
6253786483

【イセイ】
李氏朝鮮の僧、武将。松雲大師と呼ばれる。
文禄・慶長の役に際し、義僧兵として挙兵し各地で戦う。
1594年に敵将である加藤清正の陣に三度乗り込み、朝鮮側に有利な講和条件を結んだ。
終戦後朝鮮側の使者として日本に送られ、徳川家康と伏見城で会い日本と朝鮮間の国交回復に成功した。

宋象賢(徳求)

統率武力知力政治魅力
5867564270

【ソウショウケン(トッキュウ)】
李氏朝鮮の武将。
文科に及第し、文禄の役の時点では慶尚道東莱府使だった。
小西行長軍が鄭撥を殺し東莱城を攻めると諸官が逃亡するなか降伏を勧められるが、「戦死易仮道難」という言葉を残し戦い戦死した。
その忠義心を讃えられ鄭撥と共に東莱の忠烈祠に祀られている。

鄭撥(子固)

統率武力知力政治魅力
5971624170

【テイハツ(シコ)】
李氏朝鮮の武将。
武科に及第し、女真族との戦いで活躍する。
文禄の役の際釜山鎮水軍僉使として釜山鎮を守っていたが、偵察中に日本軍を発見すると船を沈め日本軍の手に渡らないようにする。
釜山鎮に日本軍が上陸すると、諸官が逃亡するなか黒色の甲冑を着て奮戦するが戦死した。
その忠義心を讃えられ宋象賢と共に東莱の忠烈祠に祀られている。

申リツ(立之)

統率武力知力政治魅力
6576322058

【シンリツ(リッシ)】
李氏朝鮮の武将。
武官として諸官を歴任し、女真族の侵犯に対応していた。
文禄の役では破竹の勢いで進軍する日本軍に対し弾琴台で決戦を挑むが、敗れて自害した。

李カク

統率武力知力政治魅力
351951611

【リカク】
李氏朝鮮の武将。
文禄の役の際は慶尚左兵使だったが、日本軍の襲来に対し戦わずに撤退する。
その後罪を問われ捕縛され処刑された。

金千鎰

統率武力知力政治魅力
6564743868

【キンセンイツ】
李氏朝鮮の武将。
1592年に文禄の役が起きると、義兵として挙兵し転戦する。
漢江の日本軍を急襲したり、明軍に地形や日本軍の情報を教えたりと活躍を重ねる。
第二次晋州城攻防戦では日本の大軍相手に徹底抗戦するが落城してしまう。
戦後は南江に息子と共に身を投げ自害した。

大韓帝国(1897~1910)

解説はこちら

李㷩

統率武力知力政治魅力
53151716

【リキ】
李氏朝鮮の第26代皇帝、大韓帝国の初代皇帝。高宗。
11歳で傍系として即位すると父の大院君が実権を握る形で政治を行う。外戚の金氏の打倒に努めたが効果はなかった。
朝鮮が壬午軍乱などを通じて外国からの圧力が強まると、大国清に頼り問題を解決しようとする事大主義の立場をとったが政治混乱を加速させた。
清が日清戦争に負け衰退の気運を見せると、今度はロシアを頼るが逆に自国内の独立の動きが高まり国号を大韓帝国と改め、即位する。
その後も政治混乱は収まらず親政を行い改革を進めるも失敗。韓国併合後は王族に列され、1919年に病没。

安重根

統率武力知力政治魅力
6563682482

【アンジュングン】
大韓帝国の独立運動家。別名は應七。
資産家の子として生まれたが学問を嫌い、義侠や遊興に耽る。
東学党の乱が起こると自警団を組織し、東学党と戦った。その頃にカトリックに改宗しキリスト教に没頭する。
私財を投じ学校を建設し、石炭商に手をつけるが失敗した。
日本が大韓帝国に対し圧力を強めると統監の伊藤博文の暗殺を謀り、周到な準備を経てこれを成功させるが逮捕され銃殺刑となった。
韓国国内では国民的英雄として李舜臣と共に名高いが、韓国併合の原因になったなどの批判も多い。

※伊藤を暗殺したのは彼一人ではなかったという陰謀論も根強く、事件の真相は未だに不明である。

朝鮮民主主義人民共和国(1948~)

解説はこちら

金日成(聖柱)

統率武力知力政治魅力
6153687465

【キムイルソン(ソンジュ)】
朝鮮民主主義人民共和国の初代最高指導者。本名は金聖柱とされる。
満州の軍事学校で学んだ後、抗日組織に所属。
物資の略奪・拉致を指揮し成功させ名声を得るが、日本軍に攻撃されソ連に逃亡。
一時捕縛されるが許され、ソ連にて北朝鮮臨時政府の重役となる。
1945年にソ連が朝鮮北部を占領したのち、金日成を名乗り朝鮮労働党の幹部に就任。
弱小政党だった同党を北朝鮮の基幹政党にまで押し上げた。
朝鮮戦争では朝鮮統一を掲げて、戦車と人員を駆使し電光石火の南下で戦況を有利に展開させるも、
連合軍に反撃されると真っ先に中国領まで逃亡し中国に叱責され、最終的には米中戦争となり停戦した。
政治家としては共産勢力を隠れ蓑にして世襲を行い、事実上の王朝国家を創業。
外交面では数多くの思想、主義を提唱しながらも、成果が伴わず空洞化を引き起こし、
個人崇拝を強制するなど、のちの国家運営における負の遺産をつくった。

人物としては、粛清を厭わず独断で部下を見捨て逃亡するなど冷酷な人物であった一方、
信頼する人物や家族、近親者には笑みを絶やさない好人物であったという。

金正日

統率武力知力政治魅力
2214585755

【キムジョンイル】
朝鮮民主主義人民共和国の2代目最高指導者。金日成の嫡子でロシア生まれ、本名は「ユーラ」との説も。
早くから党の要職を歴任し父・日成に後継者指名を受けた。
親族との権力争いに勝利し、最終的には父から実権を奪って失脚同然に追い込む。
金日成の死後は徹底した個人崇拝を推し進め、報奨や官職譲与により組織強化に腐心。
先軍政治を標榜し、軍事面で核開発やミサイル製作を指導し世界中で日本人拉致を行う一方、
瀬戸際外交により一時は近隣6カ国を相手に互角に渡り合ったが、
内政面ではデノミネーション失敗による経済活動の停滞や新事業の失敗、国民生活の著しい低下など失政も多かった。

風貌は父に似ず地味で演説が得意ではなく、ほとんど公式の場で肉声を残さなかった。
数えきれないほどの異名を持ち、シークレットブーツやサングラスを愛用、
各方面で非常識な記録を記すなど、父以上に虚栄心の強い人物であったとされる

金永南

統率武力知力政治魅力
7244687655

【キムヨンナム】
1時期、朝鮮民主主義人民共和国の対外的な元首であった。朝鮮戦争時に朝鮮人民軍に志願し入隊。戦後に朝鮮労働党に入り出世を重ねて、幹部に。金日成死後国家主席は廃止となり、代わって最高人民会議常任委員会委員長が国家元首格となる。それに伴い金永南は最高人民会議常任委員会委員長に選出されて対外的に国家元首の役割を果たすこととなった。しかし金永南が最高人民会議にて国防委員会委員長こそ最高指導者としたことで、金正日が最高指導者となり、金永南はナンバー2となった。

張成沢

統率武力知力政治魅力
4234585358

【チャンソンテク】
金正日の妹である金敬姫を妻に持つ。その立場を生かして国防委員会副委員長を務めた。金日成大学にて人気者であった彼は同級生の金敬姫とのアプローチで付き合い始めるが、金日成が彼の出自の低さから地方に飛ばすなどしたが1972年に金敬姫と結婚。以後は地位を生かした上で金日成や金正日の元で出世し、前述の通り国防を司る機関である国防委員会にて金正日に次ぐ立場を得た。しかし2013年、彼は国家転覆陰謀行為によって朝鮮労働党を除名され、処刑されたという。

大韓民国(1948~)

解説はこちら

李承晩

統率武力知力政治魅力
3739331756

【リ・スンマン】
大韓民国の初代大統領。李王朝は両班の末裔と言われる。
日露戦争直後から朝鮮半島の「独立運動」に数多く参加、アメリカに「功績」を認められ、
アメリカの庇護を利用し終戦後のソウルで政治的勢力を拡大。
その後国民の大反対を押し切って形式だけの総選挙を強行した結果、
非武装反乱を起こした済州島民を虐殺。
穏健派の議院内閣制を否定し、大統領制により独裁的な権力を振るい続けた。
対馬・九州・奄美を侵略しようと全軍を半島南端に集結させた処を北朝鮮に攻め込まれ(朝鮮戦争)、
朝鮮戦争では真っ先にソウルから逃亡、橋を破壊し後続の退却を妨害、
戦況を省みぬ強攻策を実行するなどの凶行を行い、米軍・韓国軍に対する信用を失う。
停戦後は更に腐敗を深め、議会や軍との調整を怠り、
不正選挙や親族への特権付与、反対派の処刑などを繰り返して国民の怒りを買い、
最終的に後ろ盾であったアメリカに促される形で失脚、まもなく病死した。

穏やかな外見とは裏腹に、頑固で寛容さがなく熱烈な小中華主義者であった。

朴正煕

統率武力知力政治魅力個性戦法政策主義親愛嫌惡
6855718746梟雄振興徵稅酒亂惡名天の恒星叛転必殺図南之翼奮戦火矢大喝区域振興名利陸英修?車智澈?金載圭?
6855718746梟雄振興徵稅酒乱悪名叛転必殺図南之翼奮戦火矢大喝地域振興名利陸英修?車智澈?金載圭?

【パクチョンヒ】
大韓民国の軍人、政治家。同国の第5~9代大統領。同国の第18代大統領朴槿恵の父。
満州軍の軍人として軍に入り、太平洋戦争が終わると大韓民国の国防警備隊において重鎮となる。
朝鮮戦争で活躍し大佐へ昇進するなど着実に栄達するが、自国内の政治・軍事的腐敗を見かね1961年にクーデターを起こし、軍事政権を成立させる。
日本やアメリカと友好関係を結び、両国の支援を得て「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を実現させた。
反面、国民に対しては民主化を弾圧し政治犯に対する拷問を行うなど徹底的な人権弾圧を行った。
またベトナム戦争において国民を米軍の慰安婦として進んで提供し、結果として在韓米軍慰安婦問題の原因を作る。
1979年に独裁に不満を持った側近の金載圭に暗殺された。