タイレル

Last-modified: 2020-02-12 (水) 14:48:25

タイレル
【死因】
【関連キャラ】ベリンダ(製造)、リンナエウス(上司)、C.C.(同僚)、サルガド、アスラ

3392年 「奇異」

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よく整頓された明るい実験室。その片隅に、場に相応しくない作業台が鎮座していた。
寝台に似た作業台の上には、一体の人形が眠るようにして横たわっている。
タイレルはコンソールとモニターを交互に見ながら、人形の調整を進めていた。
「ベリンダ、目を覚ましてください」
タイレルはその人形、ベリンダに、囁くように話し掛けた。
ベリンダと呼ばれた人形が目を覚ます。
「調子はどうですか」
「問題ありません」
人形の口から返答があることを確認すると、タイレルはモニターを注視したまま指示を出した。
「では立ち上がってください、テストを開始します。リンナエウス上級技官、記録をお願いします」
「了解。記録を開始します」
擬似的に作られたガレオンの操舵室で、ベリンダの活動をシミュレートする。
シミュレーションは問題なく進行していった。
「現場での適時な調整が必要そうだねぇ。だからこそ、自身で調整できる自動人形に搭載するんだろうけど」
実験の様子を記録していたリンナエウスの声が聞こえる。
「ええ。シミュレーション終了後、メンテナンスプログラムの試験を行います」
「調整部分に関してはベリンダ自身とガレオンに搭乗する技官が行うように、との指示だったねぇ」
上級技官であるにも関わらず、リンナエウスはエンジニア特有の抑制的な雰囲気を纏っていない。
タイレルが現在所属する研究所には、リンナエウスを筆頭に、エンジニアの中でも所謂『変わり者』と呼ばれるような人々ばかりが所属していた。
「五日後の突発事象対応シミュレーションは、問題なく実施できそうかい?」
「ええ、プログラム自体は完成しています。あとは試運転のみです」
「問題ないねぇ。所長にもそう報告するよぉ」
「ありがとうございます」
 
渦の消滅とレジメントの壊滅に伴い、タイレルは現在の研究所へと異動させられていた。
理由は多々あったが、レジメントで装備開発に従事していた同期のC.C.の訃報に依るところが大きい。
特段深い関係にあったわけではないが、師事するテクノクラートを同じくしていながら常に先を行っていたC.C.は、タイレルにとって個人的な目標であり、超えるべき壁でもあった。
そんな彼女の死は、タイレルに目標を失わせていた。
異動先である現在の研究所は、様々な分野で突出しすぎたエンジニアや、パンデモニウムで行われる意思統制の枠から外れたような人々の集まりだった。
遺伝子スクリーニングは万能ではあるが、全能ではない。どの年代のエンジニアにも、一人や二人は『変わり者』と呼ばれるような人物が存在していた。
レジメントへのエンジニアの派遣は、統制局が持て余すような人物の人員整理に利用されていた。今はこの研究所が同じ役目を担っているのだろう。
渦が消滅して間もなく、パンデモニウムは地上平定のためと銘打って各国にエンジニアの派遣を開始しており、タイレルの所属する研究所からも派遣要員を出すことになった。
統制局から与えられる仕事に逆らうことはできない。タイレルはルビオナ連合王国を担当する技官に就任した。
 
「タイレル技官、ちょっと見てもらいたいものがあるのですが」
ルビオナにある軍事工場でのミーティングが終了した後、工場の責任者に呼び止められた。
「はい。なんでしょうか」
「先日、拡張工事を行った際に出てきたものなのですが」
そういって見せられたのは、小さなメモリーディスクであった。
「ディスクですね。随分と古いようですが」
「恐らく薄暮の時代の産物だとは思うのですが、私では解析できず……。それでパンデモニウムの力をお借りしたいと思いまして」
「わかりました。戻ったら解析してみましょう」
「解析できたら、こちらに一度見せていただけませんか。有用なものであればいいのですが」
「そうですね。では」
 
タイレルは宛がわれている部屋で、ディスクの解析を開始した。
今にも壊れそうな保護ケースからディスクを取り出す。ディスクに傷が入っていないことを確認すると、データの形式を調べることから始めた。
それからタイレルは、出向先での仕事の傍らにディスクの解析を進めていった。
解析を進めていく内に、このディスクが黄金時代に失われたコデックスであることが判明した。
「これは……」
タイレルは、かつて兵装局を率いていたローフェンに師事していた。
その際に、研究資料の一環として閲覧させてもらったことがある『死者復活』のコデックス。
しかし、そのコデックスは全体の一部のみであり、完全なものではなかった。
ルビオナ工場から出てきたものは、まさしく完全なコデックスそのものであった。
実際に死者が喋る記録も併せて確認したタイレルは、恐怖すると同時に一つの願望を抱いた。
――いつか、この『死者復活』のコデックスを完全に解析する。――
 
タイレルはC.C.を越えることを目標とするあまり忘れていた、自らの願望を思い出した。
一通りの解析が終わり、工場の責任者に解析結果を報告した。
 
「死者を復活させるねぇ。物語じゃあるまいし……」
「物語ではありません。とても貴重な過去の研究です」
「そうですか……。でしたら、それはタイレル技官に差し上げます。我々には必要の無いものですよ」
 
結局、このコデックスはタイレルの手元に残ることとなった。
元来、コデックスは限られた上級技官や統制派により厳しく管理されており、その内容を閲覧すること自体が罪となる。
しかし、このコデックスの存在を知るのはタイレルと責任者のみ。この責任者から情報が漏れることも考えられたが、あの反応であれば、すぐに忘れてしまう可能性の方が高かった。
タイレルはルビオナへの出向が終わっても、与えられる仕事をこなしながらコデックスの研究を進めていった。
タイレルが失っていた研究意欲に再び火が点いたのだった。
久しぶりに自らの意志で進める解析と研究は、タイレルの知識欲を大いに刺激していた。
 
それから暫くして、タイレルはガレオン制御用自動人形、ベリンダの製造を任されることになり、それに伴ってグランデレニア帝國へ派遣された。
人形の素体となるAIは別に製造者がいるが、それを運用状態にまで持っていくプログラムの構築が、タイレルの役目であった。
種々の試験も滞りなく終わり、リンナエウスと共に所長への報告を済ませたタイレルは、ベリンダと共に自身の研究室へと戻っていた。
この後の予定確認などを済ますと、タイレルはベリンダを再起動させた。
「ベリンダ、起きてください。コード556のテストを再開します」
タイレルは、ベリンダに『死者復活』のコデックスから再生した装置を密かに搭載し、実験を重ねていた。
タイレルの手には、一部が壊死して腐りかけた、実験用マウスの死骸があった。
「死骸の状態を確認。蘇生薬を散布します」
機械音声と共に、ベリンダの指先から薬品が噴射された。
実験は失敗だった。マウスの死骸を腐る直前の状態までは再生できたが、死骸が整然と同じように動くことはなかった。
「失敗ですか。やはり、ローフェン師を探し出すしかないようですね」
タイレルはベリンダの電源を落とすと、一人静かに呟くのだった。

「-了―」

3392年 「浮遊戦艦」

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タイレルは以前に所属していたディラトン研究所に連絡を取った。
ディラトン研究所は兵装局の管理下にあり、所長のヘイゼルもローフェンの部下として勤めていた過去がある。
そのため、ヘイゼルはローフェンの所在を知る可能性が考えられた。
「久しぶりですね、タイレル。あなたの活躍は聞いています」
ヘイゼルは異動前と変わらぬ無表情でタイレルの通信に答えた。
「ありがとうございます」
 
「それで、要件とは?」
「はい、故あって導師ローフェンと連絡を取りたく思っています。かつて兵装局でローフェン師の部下だったヘイゼル所長なら何かご存知かと思いまして、こうしてお尋ねしました」
ローフェンの名を口に出すと、ヘイゼルはほんの一瞬だけ、その眉間に皺を寄せた。
タイレルは沈黙するヘイゼルに向かって言葉を続ける。
「現在僕が携わっている職務に、彼が作り上げた研究成果が必要なのです」
「ローフェン師の行方は私も聞き及んでいません。彼は全ての責任を放逐して行方をくらませてしまわれましたからね」
 
やや間をおいてヘイゼルは口を開いた。勤めて平静を装ってはいたが、ヘイゼルの口調には苦々しいものが感じられた。
かつてローフェンは優秀な兵装研究者であり、兵装局局長の立場にあった。
平時には見向きもされなかった研究者だったが、レッドグレイヴが《渦》消滅のための連隊を設立すると、その研究成果を買われて連隊付きエンジニアの技官長に任ぜられ、地上へと降りていった。
連隊での任期を終えてパンデモニウムに戻ると、教育者として、その知識を余すところなく後進に享受していた。
 
タイレルが良く知るローフェンは、その教育者としての一面であった。
だが、ローフェンはある時突然にパンデモニウムから姿を消した。唯一判明したのは、地上に降りたということだけだった。すぐに彼を師と仰ぐものが主導して、統制局にローフェンの捜索を陳情した。が統制局はその陳情を受理することはなかった。
その一件もあり、現在では彼の名を口にする者はいない。
「そうですか。では、ローフェン師が残した研究資料がどこへ保管されているか、ご存知ではないですか」
タイレルは間をおかず質問を続ける。一回のエンジニアの立場では、ローフェンの情報を追うのは困難を極める。
『死者蘇生』の問題点が一向に解決できない焦りがそうさせるのか、タイレルはローフェンの居場所を掴むことに躍起になっていた。
何としても、ローフェンに近しかった者や研究資料から手掛かりを集める必要があった。
「アクシーノ図書館にローフェン師の研究成果が全て保管されています。閲覧制限に関しては、そちらの方で対処をお願いします」
「ありがとうございます、ヘイゼル所長」
 
「構いません。ですがタイレル、ローフェン師の事を私に尋ねるのは、これで最後としていただきたい」
ヘイゼルは表情を変えることなく言う。たとえ偉大な功績を遺した人物のこととはいえ、パンデモニウムに暮らす人間が地上へ降りた者と積極的に関わりを持とうとするのは適切ではない。
特にヘイゼルのような、人を率いる立場の人間なら猶更であった。
「ええ、わかっております」
 
タイレルはベリンダのテストの合間にアクシーノ図書館を訪れていた。
あまり利用者のいないこの図書館は、兵装研究者達の研究成果や、薄暮の時代に発明された兵器の研究書物を専門で管理している図書館だった。
パンデモニウムの図書館は一部を除き、閲覧できる書物は所属している研究所、または局、そして階級によって厳密に制限が書けられている。
網膜認証で階級や所属を明らかにすると、書庫の案内図と扉を開けるためのカードキーが貸し出された。ローフェンの研究成果や書物は、タイレルの階級でも問題なく閲覧できるものらしい。
 
書庫を管理、監視するドローンに案内された場所は、図書館の中でも奥まったところだった。ドローンの情報によると、この一角に収められているものは、共同研究も含め、すべてローフェンが関わった研究や発明に関連するものとのことだ。
ローフェンが残した研究成果は兵装分野を中心に、多岐にわたっていた。
どのような物でも受け入れ研究する奇特な人物。C.C.やその父セインツは、ローフェンをそう評していた。目の前にある研究成果の多様さはそれを表明しているなと思いながら、タイレルはいくつかの書物を手に取った。
ローフェンは自分の元で学びたいと希望する者がいれば、どのような階級の人物であれ、拒む事はなかった。
 
セインツはそういった関係者の中でも特に親密な付き合いがあり、C.C.も含め、家族ぐるみの交流もあったと聞いていた。だが、そのセインツもレジメントでの過酷な労働が元で倒れ、その後間もなく亡くなっていた。そして娘であるC.C.も……。
彼らが生きていれば、もっとたやすくローフェンとつながりを持てたのではないか。そんな考えがタイレルの脳裏を過ぎったが、すぐに振り払った。
故人の伝手を頼ろうとするなど、滑稽且つ不躾な話だった。そのような突拍子もない考えに至るほど行き詰まり、頭の回転が鈍くなっているのか。
 
一度どこかで頭を切り替えて休息をとった方がいいのかもしれない。タイレルはそんなことを考えながら、ローフェンの発表した論文や書物を読み進めていった。
しかし、ローフェンの行方について、手掛かりになるものは発見できなかった。
ローフェンの行方を調べる傍ら、ベリンダのプログラム構築も佳境に入っていた。
未完成の死者蘇生の装置は回収のために取り外してあった。ベリンダは現在、純粋にガレオン制御用の自動人形として完成しつつある。
 
人間に見せかけるための情動機能のテストに向けてベリンダの調整を進めている中、所長のオルグレンに所長室に出向くよう命じられた。
「タイレルです、何かあったのでしょうか?」
「浮遊戦艦ガレオン制御用自動人形ベリンダだが、調整の進捗はどうなっている?」
「調整テストはリンナエウス上級技官立ち合いの下、スケジュール通りに進んでいます」
報告は事件やテストが行われるたびに上げていた。オルグレンもそれは当然把握している筈だ。なぜ進捗を確認するのかと疑問に思いつつも、タイレルは現状を報告した。
 
ベリンダのプログラム構築は当初の予定から遅延することなく、順調に進行している。個人の研究を優先するあまりに本来の役目を怠るほど、タイレルは迂闊な人間ではなかった。
「導師イオースィフから、ベリンダをガレオンに搭乗させてテストを行いたいとの連絡があった」
「ガレオン側のシステムが完成したのですか?」
浮遊戦艦ガレオンは多数の武装を搭載した大型戦艦であったが、その巨大な艦体を管理するためのシステム構築に時間がかかっていると、タイレルは聞いていた。
「全ては完成していない。先んじて火器管制システムとの同期を行いたいとの申し出だ」
「わかりました。日程はいつ頃の予定でしょうか?」
 
「テストに日時は、調整の関係でガレオン側に合わせることになっている。追って連絡が来るだろう」
「問題ありません。ガレオンに搭乗可能なように、ベリンダの調整を行っておきます」
「わかった。先方へもそのように伝えておく」
 
十日後、タイレルはベリンダと監視役であるソングを伴い、ガレオンを建造しているローゼンブルグの巨大ドックを訪れた。
ガレオンは建造途中であったが、運搬されていく部品の大きさから、完成後の巨体は容易に想像できた。
ベリンダを起動させ、ガレオンの中枢を司るブリッジに待機させる。
ガレオンのブリッジは、火器管制用のレバーと操舵用のコンソールで構成されている。人力であれば何人もの専用オペレーターが必要となるが、専用の高度な演算機能を備えたベリンダに運用させることで、人員を抑えられる。
レバーのグリップにはベリンダの手の形に合わせた接続端子が備え付けられていた。そこをベリンダが握ることでガレオンと同期し、複雑な火器管制をそのレバー一つで行うことが可能となっていた。
火器管制システムとの同期が始まると、同期途中でエラーが発生した。
「管制システムを停止。同期は中断だ。タイレル、ベリンダ側のエラーを検出してくれ」
イオースィフに命じられ、タイレルはベリンダの電源を落とすと、すぐさま原因の究明に取り掛かる。別の場所では、イオースィフがガレオン側のエラーについて特定を始めていた。
それから数回にわたってテストが繰り返された。その中でタイレルは、ベリンダ側にガレオンの情報が流れる際に不具合が起きることを突き止めた。
「導師イオースィフ、原因が判明しました」
タイレルはモニターにレバーの図面とベリンダを移すと、説明を始めた。
「レバーから送信される管制情報が膨大なため、ベリンダの演算装置が処理しきれずに過負荷を起こすことが原因のようです」
「ガレオンから送信する情報を制限する必要がありそうだな」
「いいえ、ガレオン側の情報を制限した場合、ガレオン側の火力が大幅に減少することになってしまいます」
「となると、ベリンダの演算装置を改修しなければならないか」
課題を大量に残したまま、ガレオンとの同期実験は終了した。
タイレルはアンデもニウムに戻る飛行艇の中で、ベリンダの演算装置の改修について考えを纏めていた。
「余り根を詰めすぎては、纏まるものも纏まらないだろう。少し休んだらどうだね」
 
ソングだった。彼はカウンシルからの監査役として、今回のテストに同行していた。
「ベリンダにはまだまだ改善する点が多いので……」
「ふむ。もし不都合があるようなら、製作者に連絡を取った方がいいかもしれんな」
「もちろん。協定監視局のマックスを知っているか? あれを作り上げたのと同じ人物だよ」
『マックス』という名には聞き覚えがあった。ローフェンの残した武装の装着者として、その名が図書館の資料に載っていた。
「あの人物はオートマタだったのですか」
「ああ、そうだ。マックスの製造は我々カウンシルが依頼したものだ」
「そうでしたか。では、そのマックスとローフェンという人物の間に関わりがあったことはご存知ですか?」
タイレルは慎重にソングに尋ねる
「ローフェンを知っているのか? 彼とは兵装局の時代からの付き合いだったが、地上に降りてからはどこへ行ったのか」
「そうでしたか。ベリンダには彼の作り上げた理論が多数応用されていまして……。ベリンダの性能向上や後学のためにも、直接お話を伺えればと思っていたのですが」
ソングはカウンシルの人間だ。慎重に、不自然にならないように、あくまでも意見を交換してみたい体を装う。
「ふむ……。そういうことなら、私の方でローフェンの行方を調べてみよう」
「可能なのですか?」
「我々カウンシルとしても、ローフェンの居場所は把握しておくべきだと考えていた。その機会が来ただけに過ぎん」
「ありがとうございます」
タイレルは深々と礼をする。
すべてはベリンダという兵器を自身の最高傑作として世に送り出すため。タイレルはそれだけのために邁進していた。
「―了―」

3392年 「人工知能」

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タイレルは所長室で、ベリンダの改修案についてオルグレン、リンナエウスと意見を交わしていた。
「人工知能の改修かぁ」
「はい。現在の負荷では人工知能が損傷しかねません。製作者に改修を要請したいのです」
ベリンダの改修は大きな問題点にぶつかっていた。
現在のままでは、演算機能を高度にしたとしても人工知能への負荷は大きいままだ。それを根本的に解決するには、ベリンダの人工知能の性能向上が必要になる。
しかし、タイレルは兵装研究者だ。兵器を運用するための演算システムは作れても、人工知能に大幅な改修を行うことはできない。
ましてや、ベリンダは人間としてグランデレニア帝國に送り出すために高度な情動機能を持たせた人工知能だ。下手な改修によってその機能を損なってしまえば意味が無くなってしまう。
「タイレルの言うとおり、担当部署に要請を出さないと駄目でしょうねぇ」
「そうだな。今日中に要請を出しておく。並行して演算機能の改修案についても進めておいてくれ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「返答が帰ってくるまで暫くかかるだろう。そこで一つ、その間にやって欲しいことがある」
オルグレンは大きなモニターに資料を映し出した。
「ガレオン担当の技官から、ベリンダの自己防衛機能に関する意見が上がってきている」
「自己防衛機能ですか?」
「そうだ。万が一、ガレオン内で白兵戦になった場合に備えたいらしい」
「わかりました、使用を纏めておきます」
タイレルは一礼すると、所長室から立ち去った。
 
ローフェンの居場所が判明したのは、ベリンダの人工知能改修案を出してから少し経った頃の事だった。
ソングから連絡を受けたタイレルは、ソングの召致を受けて統括センターを訪れた。
「ローフェンは現在、ロンズブラウ王国に滞在している」
挨拶もそこそこにソングは切り出した。
「ありがとうございます。それにしても、召致をする必要は無かったのでは?」
「通信で伝えるには、些か憚られる話があるのでな」
「どういった事情が?」
タイレルの疑問に対し、ソングの表情は固い。
「五日後に協定審問官をロンズブラウ王国に送る手筈となった。これは決定事項であり、覆すことはできん」
「ローフェン師がロンズブラウ王国で何か違反行為を行っていると?」
「すまないが、これ以上の詳細を話すことは出来ない」
タイレルは食い下がろうとしたが、ソングの態度は頑なだった。
協定審問官が出向くような事態になっているのならば。一介のエンジニアが何かしらの対策を講じることは不可能である。そのことはタイレルにも容易に理解できる。
「ローフェン師と連絡を取り付けることは不可能だという認識でしょうか?」
「だが、ベリンダの完成にローフェンの技術が必要なのだろう? 人工知能の改修に加えて、自己防衛機能を追加したいとの要望があると聞いている」
「はい。自己防衛機能を含めて、ローフェン氏が地上に持ちだした技術に解決策があると私は考えています」
タイレルは自分の意見を覆さなかった。ここで諦めるわけにはいかない。
「特例でローフェンの連絡先を教えよう。あとは君の方で上手くやってくれ」
ひとまず研究所に戻ったタイレルは、いくつかの仕事を終わらせて足早に自宅へと戻った。すぐにでもローフェンと通信を行いたかったが、研究所で通信を行うのは控えたかった。
ロンズブラウ王国の現在時刻を調べると、夕刻に差し掛かる頃であった。そのことを確認すると、タイレルはソングから受け取ったローフェンの連絡先へ通信を開始する。
「タイレルか、久しいな。ソングから話は聞いた」
「お久しぶりです。ローフェン先生」
何年かぶりに聞いたローフェンの声は、かつて教鞭を執っていた時と何ら変わっていなかった。
「積もる話もあるが、生憎とこちらも暇ではないのでな、手短に頼む」
「わかりました。お忙しいところ申し訳ありません。僕は今一体の自動人形を任されていまして、それについて-——」
一つ謝罪をすると、タイレルは事前に纏めておいた質問をローフェンに投げかけた。
それは自動人形に搭載する自己防衛機能についてであったり、人工知能へ送る演算結果の負荷軽減についてであったりと、様々だ。
「中々に多いな。だが、興味深いものを製造している」
ローフェンはタイレルの質問に対して一つ一つ自身の見解を述べた。やはり師の技師としての頭脳に衰えはない、タイレルはそう感じていた。
「もう一つ、マックスという自動人形を制作した際に使用した『死者復活』のコデックス。それを提供していただきたいのです」
「何に使うつもりだ?」
ローフェンの声色が僅かに変わった。コデックスのことを持ち出したからだろうか。
「現在製作している自動人形に、あのコデックスの技術が必要なのです」
「お前がどういった研究の末でそこに辿り着いたのかは知らない。だが、何を考えている?」
「世界をレッドグレイヴ様の下に統一するため。これ以上の説明が必要でしょうか」
迷うことなくタイレルは言い切った。沈黙が流れた。ローフェンは何かを考えているようだった。
「……わかった。人を寄越すといい。そいつにコデックスを預けよう」
「ありがとうございます。この御恩は忘れません」
ローフェンとの通信を終えた後、すぐにソングに通信を繋ぐ。
「ローフェン師からコデックスを預けたいとの申し出がありました」
「わかった、マックスに回収させよう。統制局の検閲は避けられんが、ベリンダ完成のためだ。私の方でも手を回しておく」
「ありがとうございます」
タイレルはソングに対して感謝の気持ちを表した。
ローフェンから資料が回収されたという連絡が来たのは、それから更に二ヶ月が経った後であった。
「これで間違いはないな?」
ソングの執務室に召致されたタイレルは、ソングからローフェンに関する報告を聞いていた。
「はい、間違いありません。ですが、本当によろしいのですか?」
タイレルは悦喜の感情を押し殺してソングに問う。内容にどれほどの欠損があったとしても、これはコデックスだ。本来ならば厳しく管理され、末端のエンジニアである自身などが直接関われるような代物ではない。
「このコデックスを君に渡すには、一つ条件がある」
「条件ですか? それはどのような?」
どんな条件を出されても、タイレルはそれに従うつもりであった。
「そのコデックスの解析結果全てをカウンシルに開示すること。それが条件だ。ローフェンはこのコデックスを解析した資料までは寄越さなかったのでな」
「そうですか……。わかりました、解析の結果をお待ちください」
ローフェンのコデックスには、死者の脳から記憶や感情を抽出 する理論が記されていた。更に詳しく解析していくと、その抽出した記憶や感情を基礎として、新たに別の仮想人格を作り上げる理論も記されていた。
自らが所持しているコデックスから得られた理論は、腐敗して記憶や感情の抽出が困難となった脳を再生させるためのものでしかない。
となれば、この二つのコデックスを合わせたとしても『死者蘇生』の理論には届かない。導き出される理論は、死者の肉体と記憶を元に新たな人間を作り出すものになるだろう。
どのような経緯からこの理論が作り上げられたのかはわからない。黄金時代の歴史を紐解けば何か判明するかもしれないが、タイレルにはそこまで掘り下げる理由は無い。
自身の求めたものとは違う結果に落胆したタイレルだったが、何も解析が進まないよりは良いだろうと、自分を納得させる他なかった。
 
コデックスの解析結果をカウンシルに送り終えて数週間後、タイレルの研究室にオルグレン所長から通信が入った。
「ベリンダの人工知能だが、改修ではなく新規のものに変更することになった」
「改修は不可能だったのでしょうか?」
「そうだ。担当から制作者の所在が不明になったという報告が来た。制作者の行方を調査中だそうだが、時間が読めないらしい」
「では、新規の人工知能は一体誰が製作したものなのですか?」
自動人形の人工知能を製作することができる研究者は、パンデモニウムには一人もいない筈だ。もしそのような人物がいれば、どれだけ目立たないように研究を行っていたとしても、どこかしらから漏れ聞こえてくる。
「同じ制作者が以前別の用途で造ったものが保管されているらしく、それを流用するとのことだ。パンデモニウムにある自動人形用の人工知能としては最新型となる」
「それならば負荷にも耐えられそうですね」
「実際に搭載して実証する必要はあるがね。それと、君が解析したコデックスの技術だが、それが採用されることになった」
「その人工知能の情動機能を制御するのに必要な仮想人格を新たに作るため、ですね」
「詳細についてはまだ報告が来ていない。近いうちに君のところへ連絡が行くだろう」
「わかりました」
その他に演算装置の改修案について進捗を簡単に報告し、通信を終える。
タイレルは通信機の前で笑みを浮かべていた。
自分の解析と研究は無駄ではなかったのだと、歓喜に打ち震えていた。
「―了―」

3394年 「汚染」

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新規に使用される人工知能には、既に十三、四歳くらいの少女の人格が与えられていた。しかしこの人格はあまりにも幼く、戦場で指揮を執ることには到底無理がある。
対応策として別の仮想人格を上書きする必要があり、そのために、タイレルが解析したコデックスの技術が使われることになった。
ベリンダの改修は大詰めを迎えていた。
「おはようございます、マスター」
ベリンダの仮想人格は、電子頭脳に予めインプットされた知識と仮想記録によって、外見相応の完成した人格として目覚めた。
立ち居振る舞いは優雅な女性そのものであり、何も知らない者には人間であるとしか思えないだろう。それ程までに、限りなく人間に近い仮想人格が構築できていた。
加えて、新たに空中の水分を凝固させて氷の盾を作り出す自己防御機構を搭載した。これによってベリンダは完成し、グランデレニア帝國へ送り込まれることとなった。
ソングとグランデレニア帝國のシドール将軍が握手を交わす。その場面に、タイレルはベリンダの製造責任者として立ち会っていた。
「イオースィフ導師は元気かね?」
「はい。導師は現在ガレオンの最終調整を行っています」
ベリンダは完成したものの、ガレオンには少々の問題が残っていた。
「そうか。いずれにせよガレオンの様子も見たい。後程こちらから伺うとしよう」
シドールは大きく額く。そして、ソングの背後にいるベリンダに視線を移した。
「ベリンダ、シドール将軍にご挨拶を」
タイレルに促されると、ベリンダは優雅な足取りでシドールの前に立って一礼する。
「お初にお目にかかります。ベリンダと申します、シドール将軍」
ベリンダはシドールに微笑を向けた。その微笑は、どこかあどけない少女を思わせる。
「では、シドール将軍。ベリンダをよろしくお願いします」
「ははは、任せろ。彼女によって、帝國は必ずや絶大な戦果を上げるに違いない」
領土拡張に邁進し、苛烈な人物であるシドールだが、女性の前であると考えたのか、鷹揚に領いてみせた。
こうして、ベリンダはグランデレニア帝國の将校として配属された。
 
それから一ヶ月後、ベリンダの初陣に関する戦果報告がタイレルの元に届けられた。
ベリンダ率いるガレオン急襲部隊の戦果は凄まじく、帝國軍の完勝であったことが記されていた。
ガレオンとベリンダの同調も良好であり、これ以上の再調整や改修の必要性はないと判断するに足りるものであった。
その結果を見たタイレルは、次の兵装開発プランに力を入れるのであった。
新たなプランの概要が纏まってきた頃、タイレルは緊急召致によって所長に呼び出された。
所長室では、オルグレン所長とリンナエウスが険しい表情でタイレルを待っていた。
「何かあったのですか?」
「手短に済ませよう。地上からの緊急報告が入った。トレイド永久要塞攻略作戦においてベリンダが暴走し、仕様にはない異常な力を発現したとのことだ」
「どういうことですか?」
報告を聞いたタイレルは、僅かながら眉を顰めた。
ベリンダは機械である。例え暴走したとしても、スペック以上の力を発揮することなど有り得ない話だ。
「ベリンダはグリュンワルド・ロンズブラウとの戦闘後、周囲に紫色のガス状物質を放出。その後、帝國、連合国を問わず、 死者が起き上がって活動を開始した」
オルグレンはモニターにトレイド永久要塞での戦闘記録を映し 出す。 ガレオンに搭載された監視カメラによる記録映像だ。ベリンダが敵国の将軍によって切り伏せられ、甚大な損傷を負っている。
ベリンダの腹部からは人工体液が溢れており、間もなく全ての機能を停止した。だが、その十数秒後にベリンダは立ち上がり、周囲に紫色の毒々しいガス状物質を撒き散らした。
同時に、周囲の死体が起き上がる。その現象はガスの散布によって伝播しているようで、瞬く間にガレオンの周辺は死者の集塊とも称すべきものに覆い尽くされた。
地獄と化したトレイド永久要塞の映像に、タイレルは絶句するしかできなかった。
「ガスが霧散するまでの約二十四時間、この死者達は生体への攻撃行動を続け、その後、通常の死体へ戻ったと報告されているね」
「最終稼働チェックも行いました。私はこの様な状況を引き起こす装置などは搭載していません!」
ベリンダの仮想人格にはコデックスから得た技術を使用している。そのため、最終稼働チェックはカウンシル立会いの下で厳密に行われた。つまりそれは、主任開発者であるタイレルであろうと、秘密裏に仕様とは異なるシステムを組み込むことは不可能であることを証明している。
確かに、ベリンダに死者蘇生装置を組み込んだことはあった。
がしかし、あまりにも未完成であったため、それは今回の改修が行われる以前に取り外している。
タイレルや研究所、そしてカウンシルにとっても、今回のベリンダの暴走は完全に想定外の事態であった。
「速やかに原因を究明せよと、カウンシルから直々に命が下った。調査には私とリンナエウス、そしてカウンシル直下のエンジニアも加わる」
研究所の最高責任者とカウンシル直属のエンジニアが調査に参加する。ベリンダの暴走が引き起こした事の重大さを物語っている。
「わかりました。究明を急ぎます。ベリンダは今どこに!」
「ベリンダは帝國軍の決死隊によって何とか機能を停止。現在、パンデモニウムに輸送中だ。調査の日時については追って連絡する」
ベリンダが中央統括センターの研究施設に運ばれたとの報告を受けたのは、翌日、研究所に出所してすぐのことであった。
「これから例のガスが残留していないか等の検疫が開始され る。我々の調査は検疫で問題ないことが確認され次第、中央統括センターで開始する」
「わかりました。調査の準備を進めておきます」
「今回の調査では、併せてコデックスの解析データも調査せよとの命令が出ている。解析の程度に関わらず、全てのデータを用意してくれ」
落ち着かず慌しい時間がタイレルの中で過ぎていく。
コデックスの解析資料やベリンダの資料を全て纏め、失敗も成功も含め、数年間の膨大な研究結果を中央統括センターの研究施設に転送した。
検疫の終了告知があったのは、それから二日後であった。
検疫の報告書には、ガスを散布する装置が存在していないこと、ガスの成分がベリンダに付着していないことなど、様々な内容が書かれていた。
いよいよベリンダの調査が開始された。タイレルはベリンダの電子頭脳に残された記録を再生しながら、ベリンダの機能に何が起きたのかを探っていく。
オルグレンやリンナエウスは、ベリンダの躯体を構成する一つ 一つの装置に不具合がないかを調査していく。
ベリンダの記録が再生される。シドール将軍や下士官との会話、初陣の記録などが再生される。
『戦場、音高く響く剣戦、そして血と埃の臭い。ああ……』
ベリンダの言葉の一部が再生された。戦場で指揮を執る女将軍を想定し、やや過激な思考をするように構築している。そのため、この種の発言は正常な範囲に納まるといってよい。
次いで、初陣の記録が再生される。初めての実戦による感情の高揚が記録されていたが、あくまでもその程度であり、特に目立った異変は起きていなかった。
そしてトレイド永久要塞での戦闘記録に移り、緊急招致の際に見た、敵将との戦闘記録が再生される。
敵将の剣が迫り、ベリンダの情動が激しく揺れ動く。ベリンダの情動は『死』への恐怖と、ある思考を記録していく。
記録された思考を文字として起こす。そしてこの思考の流れを、揺れ動く情動記録やその時に稼働していた装置の記録などと照合していく。
『……まだ死ねない』
『私が死ぬ前に、もっと多くの死を』
『もっと多くの者を死に追い遣るのだ』
『そのためには何が必要か』
『死の力だ』
『死の力を求めよ!』
凄まじいまでの力への渇望。この思考と情動が最高潮に高まったとき、ベリンダの周囲に紫色のガス状物質が出現していた。
タイレルはオルグレン達を呼び、この情動に暴走の鍵があると説明した。
「ケイオシウムバッテリーの汚損と関係があるかもしれんな。バッテリーの記録を参照してみよう」
オルグレン達の調査結果とタイレルが確認した情動の記録を照合する。
結果、ベリンダがこの思考を記録する直前に、敵将の剣載がべリンダの体内にあるケイオシウムバッテリーを傷付けていたことが確認された。
ガレオンが記録していた様々な数値と映像記録、そしてベリンダ自身の計測記録によって、ケイオシウムのエネルギーがベリンダを取り巻くように漏れ出した形跡が認められた。
「聖騎士の力が発現した記録とよく似ているな」
照合結果を見ていたカウンシル直属エンジニアであるキュトラが、一つの可能性を提示した。
「ベリンダは機械です。そのようなことが起こる筈が……」
「荒唐無稽な仮説ではあるが、ベリンダの電子頭脳は人間の脳を模した精巧なものだ。であれば、ケイオシウム汚染によって『聖騎士の力』と同様の力を得た可能性は十分に考えられる」
「ですが、今のベリンダの状況では、それを検証することは不可能に近いかと」
リンナエウスが危惧を口にする。
確かにキュトラの仮説は的を射ており、ベリンダの力と聖騎士の力の類似性を検証する必要があった。
しかし、どれほど厳密に管理しようとも、ベリンダの力はトレイド永久要塞を覆い尽くす程のものだ。その力を適切にコントロールできるという保障はどこにもなく、実験や検証を進めるにはあまりにも危険すぎる。
タイレルの脳裏に『破棄』の二文字が浮かぶ。パンデモニウムがコントロールできない力など、カウンシルは存在を許さない。
結局、コデックスの研究は無駄になってしまう。そのことがタイレルの心に重くのし掛かっていた。研究者にとって自らの成果が無に帰すということは、死にも等しいのだ。
ベリンダの調査が全て終了した。調査中に導き出された仮説と結論についても纏め、オルグレンの監修の下、タイレルは断腸の思いで報告書として提出した。
ベリンダの力に関する報告書を提出した翌月、タイレルは所長室へ召致された。
「ベリンダを修復し、その能力を完全にコントロールせよとの勅命が下った」
タイレルを待ち受けていたのは、指導者レッドグレイヴからの命令であった。
「破棄、ではなく?」
「地上の混乱は未だに続いている。現況下では、いずれベリンダが必要となる日が来るであろう。これがレッドグレイヴ様のお言葉だ」
オルグレンは淡々と言葉を続ける。
「よって、ベリンダが必要となる時までにその能力を解明し、確実にコントロール可能にせよとの命令だ」
レッドグレイヴによってチャンスが与えられた。タイレルはそう感じた。
ならば、何としてもあの力を制御下に置き、コントロール可能としなければならない。
今回の失敗を挽回し、己の研究が正しいことを証明し、延いてはパンデモニウムが提唱する『地上の平定』が実現可能だということを世に知らしめるのだ。
タイレルは一人静かに決意するのだった。
「―了―」