ビアギッテ(ストーリー)

Last-modified: 2020-02-11 (火) 17:04:55

ビアギッテ
【死因】
【関連キャラ】カレンベルク(恋人)、クーン(契約)、ウォーケン

3360年 「魅惑」

ビアギッテR1-1.jpg
ある日、魔都ローゼンブルグ第七管区にある『組織』が管理するビルに、一つの棺が運び込まれた。
ソルジャーが抗争の戦利品として持ち帰った品で、財宝が入っているという。
人一人が入れるほどの大きさであろうか。華美な装飾に彩らえた棺には『ビアギッテ』と書かれた金のプレートが嵌め込まれていた。
敵対組織から持ち帰った品のため、爆弾や危険物が仕掛けられていないかのチェックが行われることになった。
組織に運び込まれた品物の検分や解体処理を請け負う者による一通りのチェックが終わり、危険物は入っていないことが確認された。
この棺を持ち帰ったソルジャーとその直接の上役であるカポの立会い下で、棺の開封作業が始まった。
中に入っていたのは財宝ではなかった。一人の女性が、古いウサギのぬいぐるみを抱いて静かに眠りについていた。
「この女、まだ生きてるぜ」
「どうしますか?」
「お前の戦利品だろ、お前の好きにしたらいい。これだけの見た目だ、高く売りつける方法はいくらでもある」
口々に男達が言い募っていると、女の目が開いた。
「ここは……どこ……?」
ビアギッテは薄汚れたビルの地下で、何十年かぶりに言葉を発した。
目覚めたビアギッテは記憶の混濁を起こしていた。
自分が何者かもわからずにただ困惑し、持っていたぬいぐるみをしっかりと抱きしめるだけであった。
「サビーノ、どうするんだこの女?どうするかはお前の自由だが」
「いいんですか?」
「ああ」
「でしたら、見た目は悪くないですし、俺の世話でもさせますよ。覚えさせりゃ何とでもなります」
「ほう、女なんかそこらへんの娼婦でいいって言うお前がねぇ」
「こんな上玉、捨てる方が馬鹿ですよ」
「違いねぇ。まぁ、他の連中には俺が取りなしておくさ。誰も文句は言わねぇだろうが、一応な」
サビーノと呼ばれた若い男ともう一人の男は、薄ら笑いを浮かべてビアギッテを舐めるように見回した。
ビアギッテはその視線に恐怖を感じたが、何もわからない状態のために行動を起こすことができなかった。
その日から、ビアギッテはサビーノの下で使用人として働かされることになった。
何もわからないまでも教えられればその通りにこなすことができたのは、ビアギッテにとって幸いだった。
 
サビーノの使用人となってから一年が過ぎていた。言われるがままに夜の相手を務めたことも、数え切れなくなっていった。『情婦』として扱われる存在だったが、それに抗うことはできなかった。
 
ビアギッテはその頃から悪夢に悩まされるようになった。サビーノに起こされて周囲を見回すことも何度もあった。
不思議がるサビーノに、ビアギッテは少しだけ夢の内容を語った。
「昔の夢を見るの。親も、恋人も、誰も私を見てくれない」
「こんないい女に見向きもしないとは、お前の昔の恋人とやらの目は節穴だな」
サビーノはぼんやりとした調子のビアギッテの肩を撫でた。
「そうかもしれないわね」
それだけ言うと、ビアギッテはウサギのぬいぐるみを抱きしめた。
 
「サビーノが……死んだ?」
サビーノの上役であるガイの口から、それは突然告げられた。
「あぁ。手柄を焦って、キアーラの連中と揉め事を起こして殺された……」
サビーノの管轄するシマが、ファイヴの一人であるキアーラの組織によって乗っ取られ掛けている話は聞いていた。
それに決着を付けてくると言って、サビーノは昨夜出掛けていった。
「そう……」
ビアギッテは俯いた。
「ここもすぐ引き払わなきゃならん。お前はどうしたい?」
「行く当てなんてないわ」
ビアギッテはサビーノの情婦という立場だ。義理として、組織は彼女の世話をするのが掟だった。
「多少の手助けはするつもりだ。上の階層に行くのは難しいが、仕事と住居の世話ならしてやれる」
「どんな仕事があるのかしら?」
犯罪組織が抗争を繰り返すこの区画でビアギッテが生きていくには、組織――プライムワン――に縋る他に道は無かった。
 
ビアギッテはガイの手配により、ガイの管理するシマにある酒場の一室を住居として宛てがわれ、住み込みで働き始めた。
「おう、ビアギッテ。今日も綺麗だな!」
「ふふ、ありがとう。でも、お世辞よりたくさん注文してくれたほうが嬉しいわ」
男臭い雑然とした酒場では、ビアギッテの容姿はとても目立っていた。
「昨日は楽しかった。また次も誘っていいか?」
「ええ。いつでも誘って頂戴」
「またな」
ビアギッテは時折、酒場に通う組織の者と夜を共にするようになっていた。
自分から誘った訳ではないが、誘われれば断ることはしなかったし、特に抵抗は感じなかった。
男を見送っていると、下の階からガイが来るのが見えた。
「やるねぇ」
「ガイ、久しぶりね」
「いつからこんな事を?」
「ここで働き始めてからずっとよ。一人は寂しいもの」
「寂しい、か。なら、俺と今晩どうだ?」
「それもいいわね」
「仕事が終わったら迎えに行く」
「楽しみにしてるわ」
ビアギッテは優雅に微笑んで答えた。
 
ガイと夜を共に過ごすようになって、暫くの時が過ぎた。
「ビアギッテ、今日は……」
「悪いな、俺が先約だ」
「し、失礼しました!」
ガイがいることで、他の男達は声を掛けてこなくなった。
ビアギッテは酒場の仕事を辞め、ガイの情婦となった。
ガイは見るまにビアギッテに惹かれていった。その蠱惑的な美しさを手に入れたことで、ガイは組織の男として自信がつくような気がしていた。
組織のパーティでは、見目麗しいビアギッテはたちまち幹部らの話題の中心となった。
「いい女だな」
「ええ、すばらしい女です。俺の女神だ」
ガイは誇らしげにそう語っていた。
程なくして、ガイはビアギッテに結婚を申し込んだ。しかしビアギッテはその申し出を拒否した。
ガイはそれでも諦めずに彼女に高い服や宝飾品を与え、どうか自分と一緒になってくれるよう頼み続けた。
それでも、ビアギッテは承諾しなかった。
ある日、ひどく酔っ払ったガイに詰め寄られた。
「なあ、ビアギッテ、いい加減首を縦に降ったらどうだ? 誰かに義理立てしてるわけじゃねぇんだろ」
「ごめんなさい……」
ビアギッテは俯くだけだった。
「まさかお前、他に男がいるのか?誰だ!答えろ!」
「いないわ。でも、あなたの妻になることはできない」
その瞬間、ビアギッテは頬を叩かれた。
呆然としていると、今度は首に手を掛けられる。
抵抗する間もなかった。その瞬間、朧気な記憶の一部が鮮烈に蘇った。
かつて、同じように恋人に首を締められたことを思い出した。目の前にいるガイと、かつての恋人の顔が重なる。似てこそいないが、その鬼気迫る表情は同じだった。
「離して!」
ビアギッテは思い切りガイを振り払うと、部屋の外に向かって逃げ出した。
その際、逃すまいと外に掴まれた服の一部が音を立てて破れた。買い与えられたシルクの高級品だ。
部屋を飛び出すと、丁度アパートメントの階段から若いソルジャー数人と幹部の一人がやって来るのが見えた。
「助けて!!」
ビアギッテは渾身の力で叫んだ。
幹部と若い衆が駆け寄ってくる。
「どうした?何があった?」
「ガイが……ガイが……」
何か言おうとしても、それしか言葉が出てこない。
「おい、ネレーオ、見てやれ」
「は、はい!」
幹部がネレーオというソルジャーに指示を出す。それが早いか、銃声が響いた。
「ぐわっ」
銃声が響くと同時に、ネレーオという男がくぐもった悲鳴を上げた。肩から煙が出ている。
撃たれたようだった。
「ガイ、何をしやがる!」
カポが怒鳴る。酔ったガイは拳銃を持ち出し、カポに向かって構えていた。
「お前か!俺の女に手を出したのは!」
「ガイ、何を言っている!」
「うるせぇ!じゃあなんで、ビアギッテは俺のものにならないんだ!」
ガイは銃弾を放つが、酔っているせいかアパートメントの壁を破壊するだけに留まった。
「仕方ねえ、始末しろ。騒ぎが大きくなる前には」
ガイは数回の打ち合いの末に、射殺された。
 
その日の内にガイの死体は始末され、存在ごと抹消された。
残されたビアギッテは、カポ達によりボスのところへ連れて行かれた。幹部の暴走を招いた女から事情を聞く必要があるとのことだった。
「連れてきたか?」
「はい」
「相変わらず美しいな。あいつが狂うのも、わからんでもない」
ボスはビアギッテを鑑賞するように眺めた。
「どうします?一緒に始末しますか?」
「その必要なねえだろう。ガイのこと、惚れてなかったんだろう?」
「それは……」
ビアギッテは口籠った。
「まあいいさ。細かな事情は落ち着いてからでいい。よし、しばらく俺のところで預かろう」
死んだ幹部の情婦をボスがすぐに身請けするのは、あまりいいことではない。幹部達はボスに見られない形で目配せをした。
一部の者は露骨に嫌悪感を表していた。
ボスはビアギッテの肩に手を置いた。
「ビアギッテといったな。俺の言うとおりにしておけば、悪いようにはしねえ」
「ありがとうございます」
ビアギッテはボスを見つめてそう言った。
「話はこれで終わりだ。組織につまらないトラブルを持ち込むんじゃねえぞ」
幹部達はボスの言葉を聞くと、部屋から去って行った。

「―了―」

3365年 「魔」

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ビアギッテがプライムワンのボス、デラクルスに身請けされてから暫くの時間が過ぎていた。
デラクルスはいつもビアギッテを同伴者として連れ歩き、その美貌を幹部達に見せ付けるようにしていた。
だが、錯乱して死んだ幹部の情婦だったといく過去が覆る筈もなく、ビアギッテは常に懐疑と嫌悪の視線に曝されていた。
「あの女、うまいことボスに取り入ったな」
「馬鹿野郎、下手に他の幹部に渡ってみろ。それこそガイの二の舞だ」
「ボスもああならなきゃいいがな……」
このような囁き声が、絶えることなくビアギッテの耳に届いていた。
「お前は美しくなることだけを心掛けろ。それ以外は気にする必要はねぇ」
侮蔑の言葉がビアギッテに聞こえる度に、デラクルスはそう慰撫していた。
 
「もっとスピードを出せ!このままじゃ追いつかれる」
銃声が聞こえてきた。ビアギッテとデラクルスが乗った車は、銃声から遠ざかるように寂れた路地を猛スピードで走り抜ける。
「もうすぐソルジャー達が待機する場所に出ます。あと少し辛抱してください」
ある日のパーティの帰路だった。ビアギッテはデラクルス共々、他組織からの襲撃を受けていた。
どこの組織の者かはわからなかった。縄張り争いは日常茶飯事であったため、襲撃を受けただけで見当を付けることは困難であった。
車の後輪に弾が当たったのか、車が傾いた。運転手の必死のハンドル捌きもあって、道を塞ぐようにしていだが、何とか路地裏に停止した。
「クソッ、やってくれたな!ボス、ビアギッテ様、申し訳ありません」
「謝罪は生きて戻ってからだ。今すぐここから移動するぞ」
大きな路地から車のエンジン音が近付いてくる。追っ手はすぐそこまで迫ってきていた。
運転手と護衛がビアギッテとデラクルスを庇うように車外へ出る。ビアギッテはその光景を見た瞬間、フラッシュバックのようなものに襲われた。嘗て、こうやって何かから逃げ、似たような場面に遭遇したような。そんな気がした。
「待ってください。この車、もう使えないのですね?」
「ここに捨てていく。それがどうした」
「爆破しましょう」
「無茶です。そんなことをすれば、こちらの居場所が知られてしまう」
「だからこそです。この路地に続く道はこちらのソルジャーの待機場所にしか繋がっていません。ここが火の海になれば、敵はこれ以上私達を追えなくなるのでは?」
ビアギッテは周辺の地理を覚えていた。何かあった時のためにとデラクルスに渡されていた地図を、頭の中に叩き込んでいたのだった。
デラクルスはビアギッテの目を見つめた。ビアギッテは真剣な眼差しでデラクルスを見つめ返す。
「わかった。バラッキは先導して安全を確保。ベーム、お前は車に火を点けてから来い」
「わ、わかりました!」
「行きます!」
バラッキの合図と共にビアギッテとデラクルスは小走りに路地を進んでいく。運転手のベームが後ろから走ってくるのが見えたと同時に、車のあった方角から熱風が吹き付けてきた。
その後は敵が追ってくることもなく、無事にプライムワンが所有する邸宅の一つに戻ってくることができた。
 
後日、この襲撃事件は縄張り争いに負けたパントリアーノの構成員が報復として仕組んだものであったと、幹部から伝えられた。
「ビアギッテ、これをお前にやろう」
事件から少しして、ビアギッテはデラクルスから綺麗な包装を施された箱を受け取った。
「素敵な手鏡ですわ。ありがとうございます、ボス」
「この間の礼だ」
「大事にいたします」
機転によって自身の危機を救ったことで、デラクルスはビアギッテを尚更に信頼するようになり、単に連れ歩くだけでなく、仕事中も彼女を傍に置くようになった。そのため、ビアギッテは情婦・愛人としての役割だけでなく、デラクルスの秘書としてプライムワンの奥深くに関わるようになっていった。
 
ある日、ビアギッテはプライムワンの資金洗浄計画の一部に不審な数字の改竄があるのを発見した。
「ボス、少しご雑談が」
「手短に頼む」
「カバネルの担当している資金洗浄に不審な改竄を見つけました。資料はまとめてあります」
「そこに置いてくれ。あとで見る」
ビアギッテはすぐぬ見られるよう資料を整え、デスクの脇へと置いた。それでこの件は終了する筈だった。
普段とは違う緊張した雰囲気に只事ではないと感じたビアギッテは、ポーチに手鏡と護身用の銃、そしてお守りのウサギのぬいぐるみを忍ばせてデラクルスの執務室へと向かった。
執務室では隠しきれない憤怒を湛えた表情のデラクルスと、下碑た笑みを浮かべているカバネルがいた。
幹部の一人であるカバネルはビアギッテの存在を初めから快く思っていない人物で、ビアギッテがデラクルスから何かを任される度に、反対の声を上げ続けていた。
「ビアギッテ、こないだの資金洗浄の件だが……。あれはお前がやったんだね?」
「何を仰っているのか、わかりませんわ」
「しらばっくれるんじゃねぇ。オレを嵌めようとしやがって。証拠は全部あがってるんだよ!」
デラクルスの横でカバネルが何かの書類をひらひらと振っていた。内容は読み取れなかったが、何かビアギッテが不利になるようなことが書かれているのだろう。
この男に嵌められた。ビアギッテはそう直感した。根拠は無いが、カバネルの粘着質な笑い顔が、そうであると強く言っているような気がした。
「違います」
「強情な女だ。素直に認めれば、殺さない程度の恩情を掛けてやったものを」
「ボス。どうします?」
「殺せ。秘書の真似事をさせた途端これとはな。とんだ女だ」
逃げなければ。ビアギッテは本能的にそう感じていた。まだこの場にはカバネルとデラクルスの二人しかいない。
ビアギッテはポーチから銃を取り出すと、カバネルとデラクルスの足元に向かって発泡する。咄嗟に二人がビアギッテと距離を取った隙に、ビアギッテは部屋の外へ出た。
「逃がすな!追え!」
カバネルの声が廊下に響く。すでに手配されていたのだろうか、ソルジャー達がこちらに向かって駆けてくる。
ビアギッテは誰も使わない部屋に入り込むと、そこの窓から屋敷の外を窺った。誰もいないことを確かめると、ロングスカートの裾を太ももまで破って簡単なロープを作り、それを窓枠に括り付けて屋敷の外へと出た。
茂みに隠れて裏門の方へ進み、銃を構えて周囲に注意を払う。しかし、小枝を踏み締めた音で見張りに気付かれてしまった。
「いたぞ!ベーム、急げ」
「よし、わかった」
ビアギッテを見つけたのはバラッキとベームであった。
「あの時、アンタには命を救ってもらった。ここで借りを返す」
「行け!オレ達は何も見ていない」
更にベームはビアギッテに小さな鞄を手渡した。
ビアギッテは小さく頷き、そのまま裏口から屋敷の外へと走り出した。
 
「いたぞ!あっちだ!」
屋敷の外は隠れる場所が多かった。
ついにビアギッテは寂れた倉庫へと追い詰められ、ソルジャーの一人に拘束されてしまった。
「おとなしくしろ」
「離しなさい!」
ビアギッテが抵抗すると、鞄からウサギのぬいぐるみが零れ落ちた。それを拾おうと、ビアギッテはソルジャーの腕に噛み付いて振り解こうとする。
「っ!?このアマ!」
ぬいぐるみを拾おうとするビアギッテに、ソルジャーが銃の引き金を引いた。
銃弾がビアギッテの腹部に命中する。同時に、何かが割れる音がした。衝撃と痛みにビアギッテは仰け反る。
硝煙の匂いと静寂だけが残った。
「て、抵抗なんかするからだ!お、俺達で好きにしていいとボスが情けを掛けてくださったというのに!!」
沈黙を破って、ソルジャーは興奮したように一人で喚きだした。
『我が眠りを妨げるのは、何者ぞ』
不意に、地面の底を這うような声がソルジャーの耳に届いた。
「ま、まだ行きてやがるのか!?」
ソルジャーは動かぬビアギッテに向けて何度も引き金を引いた。
銃声は確かに響いた。だが、銃弾はビアギッテに当たる寸前で停止していた。
『お前か。我が主となる者を傷つけるのは』
ソルジャーの眼前に異様な風体の人型が立っていた。ドクロのような顔、額から生えたうねる角。そして、ソルジャーを覆うほどに広がった外套に光る無数の赤い瞳。
「あ、あ、悪魔……」
その呟きを最後に、倉庫に静寂が戻った。
程なくして別のソルジャーがその倉庫にやって来た。そこに残されていたのは、恐怖に引き攣った表情のまま息絶えたソルジャーの遺体だけだった。

「―了―」

3365年 「契約」

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ビアギッテは狭い路地を男と一緒に走っていた。
「こちらです!」
「ええ!」
迫りくる犯罪組織の追っ手から逃れるために、男は冷静にビアギッテを導いていく。
 
ビアギッテがこの男と出会ったのは、病院だった。
どこかの倉庫で怪我をして倒れていたところを、この男が発見して病院へ運んでくれたのだった。
ビアギッテは、クーンと名乗ったこの男を利用することにした。
「父の借金を返すために犯罪組織に売られて、今まで無理矢理に働かされていたの」
「それはさぞ辛かったでしょう……」
虚実入り混じった過去を語り、クーンの同情を引いた。
この男、倉庫で倒れていた見ず知らずの女を病院へ運び、手当を受けさせる程にお人好しな人物だ。クーンはビアギッテの言葉をあっさりと信じた。
利用するだけ利用して、用済みになったら捨てればいい。ビアギッテはその程度に考えていた。
 
だが、事はそう簡単にいかなかった。
ただの情婦ではなく、秘書としてプライムワンの深部に関わっていたビアギッテである。そんな彼女を組織が見逃す筈がない。
そして、そのビアギッテをクーンが匿ったのである。クーンもまた、プライムワンの追跡対象となってしまったのだった。
 
「疲れたわ」
追っ手を振り切った先の安宿で、ビアギッテは気怠けにクーンを見やる。
今回の追っ手はいつになく執拗だった。いつ、この安宿に現れてもおかしくない。
「逃げるのが辛いのですか?」
「逃げ続けるのに疲れただけ。でも、あいつらから逃れるのは難しいわ。手っ取り早くデラクルスを殺せばいいんだけど、それもね……」
深い溜息を吐いて、ビアギッテは飲み物を飲み干す。
酒に逃げることができればよかったのだろうが、いつ何が起こるかわからない。それは憚られた。
「ならばその願い、私が叶えて差し上げましょう」
思いもよらぬ言葉に、ビアギッテは目を輝かせた。今まですっと紳士的だったクーンの笑みが、随分と邪悪な微笑みに変わったように見えた。
「嘘よ。そんなことが可能なら、とっくに貴方は追っ手を殺しているわ。違う?」
「この姿を見ても、そのようなことが言えるかな?」
クーンの姿が黒い影に包まれ、その影から無数の赤い瞳が現れた。
クーンが人ならざる者であることは、一目で理解でした。
「なら、なぜ今までこの姿を隠していたのかしら?」
人ならざる者との邂逅だったが、ビアギッテは怖じ気付くことなく質問を重なる。
組織から追われ続ける恐怖が続いていた。自らに危害を与えないのであれば、どんなものであろうと構わなかった。
「これは契約である。美しきビアギッテ、私は貴女の従者となって願いを叶えよう。その代わり、貴女の気高く美しい魂は、貴女の死後に私の物となる」
無数の赤い瞳がビアギッテの全身を貫くように見据えている。
「私の願いは、一体いくつ叶えられるのかしら?」
ビアギッテはその瞳の視線にたじろぐどころか、強く見返した。
「貴女の魂が輝き続ける限り、永劫に」
「そう。なら手始めに、私を陥れたカバネルを殺して頂戴。貴方の力を証明して」
「いまここの契約は為された。ビアギッテ様の御心のままに」
クーンは影から人の形に戻ると、恭しくビアギッテに跪いた。
 
その日の深夜、ビアギッテはクーンの力を使って、自身を嵌めたカバネルの住居へ侵入した。クーンが言った『願いを叶える力』が本物かどうかを確かめるため、クーンに付いてきたのだ。
住居の特定も、そこにカバネルがいるかどうかも、全てクーンが力の一端として簡単にやってのけた。
「着きましたよ、ビアギッテ様」
「本当に何でも叶うのね」
「私の力をもってすれば、不可能なことなどありません。それで、これからそうなさるおつもりで?」
「言ったはずよ。奴を殺してって。その後は、他の奴らもみんな殺すわ」
「仰せのままに」
 
ビアギッテは寝室の扉を開ける。
カバネルは就寝前の飲酒を嗜んでいた様子で、くつろいだ姿でいた。
「はぁい、カバネル。元気にしていたかしら?」
「ビアギッテ!貴様、どうやってここに!?」
幹部であるカバネルは身辺警護に余念を欠かさなかった。にも関わらずどうやってか侵入し、自身の眼前にビアギッテが立っている。動揺は隠せなかった。
そう言ってカバネルはサイドテーブルに置いてあった護身用の拳銃を手に取り、ビアギッテに向けて発砲しようとする。
その動きに並行するように、寝室に風を切る音が流れた。
カバネルの拳銃は床に落ちていた。
「あ、え、あ……ど、どうなっている?」
あまりにも一瞬で起きた事象に、カバネルは現実を認識できていない。
身を屈めて床に落ちた拳銃を拾おうとしたが、その拳銃の銃把には自分の手首から上がくっ付いている。
ようやく、カバネルは自分の手が何かによって切り落とされたことを認識した。
「あ、あ、オレ、おれの手が、何故!?い、ぎ……」
「無駄よ」
乾いた銃声が二発響く。
ビアギッテは、カバネルに叫ぶ暇すら与えなかった。
 
侵入した時と同じように、ビアギッテはクーンの力で無事にカバネルの住居から逃げ延びた。
その帰りすがら、ビアギッテはふと思い立ったように口を開く。
「クーン、一つだけ隠していたことがあるわ」
「おや、それはどのようなことでしょうか?」
「私、死なないのよ。何年経ってもすっとこのままなの」
「なんと!それは素晴らしいことです」
逃亡生活の中で、ビアギッテはプライムワンに拾われる前の自分をぼんやりと思い出した。
だが、クーンはそれ以上の事は聞かなかったし、ビアギッテもそれ以上何も言わなかった。
 
「ひ、やめ……!うぶっ……!」
カバネルを殺した後は、同じようにして己の顔を知る幹部達を次々と殺害していった。
クーンの力を使えばわざわざ彼等の所へ出向く必要もなかったが、彼等の傲慢な顔がみるみるうちに恐怖に染まっていくのを見るのが楽しくなっていた。
「おおお、オレは何もしていない! ぎゃあああああ!」
ある者は自身の潔白を証明しようとした。
「これをやる!なんならこの屋敷も、儂の全財産もやる!だ、だから!!!!」
ある者は金を差し出して命乞いをしようとした。
 
彼等の誤算は、ビアギッテが利権欲しさに殺戮を続けていると思ったことだ。
ビアギッテにとっては、誰が何を言おうが、どう抵抗しようが関係なかった。
彼女の頭には、自分の身を脅かそうとする者を例外なく殺すこと、それと殺戮を楽しむこと、この二つしかなかったのだ。
半月も経たぬ内に幹部が次々と殺害されたプライムワンは、混乱に陥っていた。
 
ビアギッテは最後の殺戮の場として、プライムワンの本部を選んだ。
クーンの力で、デラクルスのいる場所へと空間を渡る。そこはボスと幹部が大規模な懐疑を行なう際に使う、大きな部屋の前であった。
ビアギッテは躊躇せずにその部屋の扉を開けた。
そこでは、生き残っていた幹部達とデラクルスが、殺された幹部の後釜に付いての話し合いをしている最中だった。
騒然となる室内。ビアギッテは部屋にいる者達を見回すと、最奥の中央に座るデラクルスに微笑みかけた。
「こんばんは、ボス」
「やはりお前か。ビアギッテ」
デラクルスは動じることなく、不遜に笑った。
「カバネルが最初にやられた時点で予想はしていた。だが、お前にここまでの力があるとはな」
「そう。じゃあ、これから何が起きるかもわかっていらっしゃいますわね?」
「ああ。だが俺もプライムワンのトップ。昔の女にやられたとあっちゃ面目が立たん。やれ!」
デラクルスの合図と共に、ビアギッテに向けて一斉に銃弾が発射される。
避ける暇など無い。ビアギッテはその身に全ての銃弾を受け、仰向けに倒れた。
ややあって銃声が収まる。倒れたビアギッテに立ち上がる気配は微塵もない。
「ふん。所詮はこの程度か。見込みのある女だと思ったのは、やはり見当違……。うぐっ……」
ビアギッテが死んだか確認しようとデラクルスが立ち上がったその時だった。
焼け付く痛みと共に、デラクルスの仕立ての良いスーツから血が滲む。
他の幹部も同様だった。ビアギッテが受けた銃弾の傷がそのまま彼らに移転したかのようだった。
「が、あが……!」
「ひ、いて、ああああああ!」
ボスと幹部の悲鳴と呻き声が部屋を埋め尽くす。そうして静かになった後、ビアギッテはゆらりと立ち上がった。
「これが私の力。気持ちよかったでしょう?」
「お見事です。ビアギッテ様」
「さ、行きましょ。ここにもう用はないわ」
デラクルス達のことなど見向きもせず、ビアギッテは扉を開け放った。
「そのようで。次は何をなさいますか?」
「家が欲しいわ。歴史があって綺麗な家なら最高よ」
「畏まりました。夕食の時間までには用意しましょう」
その言葉にビアギッテは笑みを浮かべ、部屋を後にする。
静かになった部屋の中には、血の海に倒れ伏す幹部達とデラクルスが残された。

「―了―」