第二部.定理12のおまけ
今の説明は、第二部.定理7を読んでくれてもわかるはずだ。もう一度読み直してみると、改めてその意味がよりいっそうわかると思う。
さっきの定理ではわざとおおげさに「こころ」対身体の問題について騒ぎ立てて見せたけど、それに対するぼくスピノザ流の回答が、実はこれなんだ。さっきも言ったけど、ぼくは「具体的にどのようにそうなるのか」ということは説明していない。それは科学の仕事だからなんだ。ただ、少なくとも「ここに原因があることだけは間違いない」ってことを示しておきたい、それだけなんだよ。これがぼくスピノザと同業者たちの仕事の一部でもあり、使命なんだ。
この定理は今後すごく重要な役割を果たすから、少しだけ補っておくね。この定理を言い替えるとこういうことになる。ぼくたち(の「こころ」)がものごとを感じとれるのは、まったく単に自然の法則(=神)に従ってそうなるってこと。「こころ」なんてものは何一つ特別でもスペシャルでもないし、ことさらほかのものに比べて立派だということもないし、ほかのものごとにくらべてひどいということもない。ましてや「宇宙の神秘(笑)」でもなければ、神が人間だけ特別扱いしてくれて「こころ」を特別に人間に配って回ってくれてるはずもないってこと。神は何一つ特別扱いしてくれないんだし、誰の言うことも聞いてくれないんだから。
そのかわり、神はあらゆるものごとに自分の性質を染み込ませ、「宿る」んだ。「公平」(笑)なんてうかつな言葉があるけど、言葉通りの意味で公平に振る舞えるのは、どう考えても神(=物質)しかいない。しかも神は公平にしか振る舞うことができない(笑)。神にはえこひいきの自由もないんだから。