第二部.定理3のおまけ

Last-modified: 2007-07-16 (月) 09:03:54

第二部.定理3のおまけ

第一部のあとがきをむしかえすようで気が引けるんだけど、もう一度説明させてもらう。

例の人たちは、「のパワー」というと、ついつい「には自由な意志がある」とか「には、存在しているものごとにどんな無茶な仕打ちをしても許される特権がある」って考えがちなんだ。特に、2つめの考え方からは、「この世はたいてい、偶然(=の気まぐれ)に支配されているんだ。だって、おれたちにはどうしようもない様が何もかも決めていらっしゃるし、そのことを知ろうったって知ることなんかできやしないんだから」と、死刑囚よりも救いのない、「七人の侍」の村人みたいな何とも情けない結論が出てしまうことになる。というのは、この人たちは「はあらゆるものを一気に滅ぼし、徹底的に縮小し、あとかたもなく消滅させてしまう危険なパワーを備えていて、いつそれを繰り出されるかわかったもんじゃない」という考え方に根深ーく毒されてしまっているからなんだ。を領主様(笑)か悪代官と間違えているんじゃないの。

でも、この考えについてはとっくに第一部.定理32が正しいとすると?その1第一部.定理32が正しいとすると?その2で赤っ恥をかかせてしまったから、もうは領主様でも野武士でも悪代官でも鬼軍曹でもヒトラーでも暴れん坊米軍でもヤクザでもジャイアンでも立川談志でもないってことはわかってもらえたよね。

それに、第一部.定理16でこんなことを説明したのを思い出してごらん。は自分自身を必ず理解してしまうのと同じぐらい徹底的に、はあらゆる活動をあらゆるかたちで必ず実行してしまう、とね。が、自分自身のことをくまなく理解できないような半端な奴じゃないだろうってことは、きっとこの人たちも反対はしないだろうけど、とにかくそれと同じぐらいに、必ず活動してしまうんだ、って言えばわかってもらえるかな。それも、やると決めたらやるなんてもんじゃない(だって意志なんかないんだから)。何も言わずに常に活動し続けているんだ。

もう一つ、第一部.定理34では、が活動することの本質と(間違っても目的じゃないからね!)のパワーはまったくおんなじものだってことも説明したよね。ものごとを生み出すのパワーこそが、の活動の本質なんだってことを。

これだけ並べれば、が死んだようになって何一つ活動しないなんてことはもう考えることも想像することもできなくなってしまう。活動しないなんて存在できっこない(笑)ってことだ。が活動しているのはバレバレだから、死んだふりすらできない(笑)。

もうちょっとだけしつこいことを言うと、この人たちがについつい期待して(そして恐れて)しまうパワーっていうのは、ずばり「暴力」だ。前にも書いたけど、こういう発想ってめちゃくちゃ人間臭いんだよね。こんな人間臭いパワーを性質にでっち上げちゃ失礼だよ(笑)。「暴力」しか能がないなんてそんなものがもしあったら、はっきり言ってただの能なしなんじゃない?

そろそろ同じことを繰り返すのがいやんなった。最後にみんなにこのことだけはぜひぜひお願いしておきたい。ぼくスピノザが第一部.定理16から終りまで説明しようとしていたこと、これだけは何度も何度も繰り返し読んで、ぜひ理解してほしい。たとえ最後までこの本を読まないことがあっても(その方が多いだろうね)、ここだけはゆっくりかみくだいて、完全にわかって欲しいんだ。

というのは、今説明したようなことってのはものすごく勘違いしやすい部分なんだ。相当慎重に間違いなく理解しようとしないと、王様の豪華な権力を見て「これがのパワーだ」と勘違いしたり、逆にのパワーを理解しようとして、たとえ「何となく」でも王様の豪華な権力みたいなものを想像してしまうことがありうるからなんだ。今の君たちだったら、「超能力」(爆)とか「ものすごく進んだ科学力」(爆爆)とか米軍のハイテク装備(核爆)と間違えているはずだろう。一生懸命理解しようとしてても勘違いすることがざらにあるから、これは本当に怖いものだし、取り除くのが難しい「迷信」なんだ。しかも、これが迷信なんだということに、ほとんど誰も気付いていない。

ヒトラーがなぜあれだけ力を持つことができたのか、「宣伝がうまかった」とかもっともらしいことが言われているけど、ヒトラーを支えた人たちが彼の行動や豪華な権力を見て、見事に「ひょっとしたらのパワーってのはこんな感じかもしれない」って思ってしまったことに原因があると、ぼくスピノザは考えている。ヒトラーを支えた人たちは、おそらくみんながそろって頭っから信じ込んでいたのではないと思う。「ひょっとしたら...かもしれない」という、うすぼんやりとした確信をある程度の人数がちらりと思うだけでも、十分あんなことが起こるはずだ(起こったね、日本でも)。
だからこれはドイツだけの問題ではない。イスラエルだろうがアメリカだろうが日本だろうが、まったくおんなじ勘違いをする可能性が常にあるからなんだ。残念ながら未だにそろって勘違いし続けているし、特にアメリカとイスラエルはひどい。イスラエルを見ていると、結局「勘違いした同士が争っていただけ」じゃん、と思われても仕方がないよね。NSDAP(「ナチ」は蔑称だ)が常に「絶対悪」のように言われて、無条件にどれだけこきおろしてもいいということにされているのは、ヒトラーのやってきたことが、どうやっても「自分たちが勝手に考えているのイメージ」とあまりにも似過ぎていて、そのことが恐ろしくて仕方がないからなんだ。怖いから、必死でNSDAPの悪口を叫び続けているんだ。
ヒトラー自身は「意志の勝利」どころか「意志が暴走してしまった」典型的な例。画家じゃなくて役者を目指せばよかったのに(笑)と思う。とはいうものの、「ユダヤ人を絶滅する」(あえてその善悪は問題にしない)という意志が完全に暴走してしまっていて、それを取ったら生きていけないほどになっていたから、こんな想像をしたところで意味がなかったね。意志というものが全然本人の思うようになってくれないということがこのことからもわかるよね(笑)。 NSDAPがらみからは「いい大人でもここまでバカをやれる」という以上の教訓が引き出せないから、例としてはしょぼいんだけど。
ただ一つ、当時あそこの教会のお偉いさんたちが、しまいにはぼくの同業者までが(あーあ)一緒になって思いっきりはしゃいでいたことだけは覚えておいてもいいかもしれない。湾岸戦争で兵器マニアがはしゃいだのとおんなじ要領で。
だから、NSDAPのやってきたことから目を背けてはだめなんだ。彼らに力を与えてしまったのが、よりによって自分たちがについて大勘違いしていたのが原因なんだってことを、目をしっかり見開いて理解しないといけないんだ。NSDAPのプロモーションフィルムやヒトラーの演説を見せて「こういうことはしてはいけません」なんて間抜けな説明をしたって、それじゃ勘違いを増やすだけだし、だからといって逆にSS親衛隊の制服やポーズをいくら禁止したって、まったく別の形の勘違いが生まれたらどーすんの?「悪いのはヒトラーをと勘違いした私たちです」とはっきり思い知らないと、いつまでもこういう前世紀の馬鹿騒ぎ(笑)を繰り返すことになるんだよ。

そう思えば、SF小説・映画のほとんどは、この勘違いに気付かないどころか、より深刻で手の込んだ勘違いを量産してしまったも同然(笑)だということがよくわかる。王様の豪華な権力が「ものすごく進んだ魔法のような科学」(笑)に変わっただけで、これじゃあ21世紀どころか紀元前よりもひどい。何も出家して禁欲的になれなんて言ってないよ(この本のどこにもそんなことは書いていない)。ただ、この勘違いは「そのことを百も承知ではしゃいでいても」うっかり自己暗示をかけてしまうことがざらにあるほど、危険きわまりないネタだってこと。だから「そんなこたあわかってるよ」と言うのは何の保険にもならないんだ。
別にSFがダメだとか禁止しろとか言ってるんじゃないからね(爆)。SFでなくても何でもそうなんだけど、娯楽としてはいいもんだ。でもどう転んでも娯楽以上のものじゃないけどね(笑)。ぼくが言う娯楽には風俗も含まれるからね。別に正当化しようってんじゃ(笑)なくて、「娯楽に従事するのは恥でもなんでもない。他の職業より特にエラいってこともないけど」って思うだけなんだけどね。もしSFを禁止するなら(そんなつもりはないけど)、風営法(爆)を適用しないとね。
でも娯楽は絶対必要だ。なくてはならないものだ。でもそれは二酸化炭素のように必要だ。だから増やし過ぎると致命的だ。娯楽を増やし過ぎれば、娯楽に溺れ死ぬことになるだろう。かといって娯楽をなくせば、生きていくことはできない。その加減が大事なんだ。