第二部.定理3
神の中には、必ずある思いが存在している。
どんな思いかというと、神の本質についての思い、それとその本質からいやおうなしに飛び出してくるすべてのものごとについての思いだ。
理由
この第二部.定理3については、さすがに一部の物理学者から反対されるかもしれない。だって言い方を変えたら「物質には、物質の本質についての概念がある」なんてオカルトまがいなことを言っているわけだから。「黙って聞いていれば、物質に概念があるだと?寝言を言うな!」と一喝されることは大いにありうる。でもまずぼくのやり方で説明させてほしい。今は、「物質は少なくとも物質自身のことを知っている」という説明でがまんして欲しい。
- 第二部.定理1で早くもわかったように、神は無限のものごとを、無限の方法で考えることができる。
- ほかにも、第一部.定理16でもおんなじことを言っていて、神は自分の本質についての思いをかたちづくることができ、その本質からいやおうなしに飛び出してくるあらゆるものごとについての思いをかたちづくることもできることを説明した。
- ところで、第一部.定理35で、ぼくは「ありとあらゆるものごとは神のパワーの中にある」と説明したよね。
- だから、ほかのあらゆるものごととおんなじように、こういう思いもどこかに必ず存在していることになる。
- しかも、それがどこかといえばほかでもない、第一部.定理15でドラマチックに説明した通り、神の中に存在していることになるんだ。
おしまい。