Mの増殖/夢幻の増殖Ⅰ
ナイトメア・メモリ。悪夢の記憶。
それが、いつ、誰が開発したのかは、俺も知らない。
眠都の裏側の世界ですら、その名を聞くことはない。それは裏どころではない、更なる深淵の世界に属するモノなのだった。
眠都には、底知れない何かが潜んでいる。深淵の奥底で蠢くものどもが、確かに存在しているのだ。
一年前、俺は偶然にもナイトメア・メモリの存在を知ってしまった。そして無謀にも、深淵の世界に首を突っ込んでしまったのだ。
深淵の世界への入り口は、実はどこにでもあるものだ。普通はそれとは気付くものではない。境界は実にあやふやで、いい加減なもので、ようやくその恐ろしさに気付いた時は、既に手遅れだった。掛け値なしで言おう。俺はそのとき間違いなく死んでいただろう。柊啓十郎、あいつがいなければ。
深淵の奥底で俺はアイツに命を救われたといってもいい。
そして、6本のナイトメア・メモリとワロスドライバを託された。
俺が深淵の底から生きて戻ることができたのは、この力を手に入れたからだ。
そして俺は、悪魔と手を組んだ。
深淵に巣食うものども、『月夜の鎮魂歌』と呼ばれる奴ら、そしてすべてのナイトメア・メモリを叩き潰す。
その為になら、俺は、手段は選ばない。
例え、その道に先は無くとも、だ。
外に出ると、街は今まさに夕闇に包まれるところだった。
夕闇といっても、電脳空間で味わうような、そんな神秘的な雰囲気は一切ない。
街中に屹立している、塔の様な巨大な量子コンピュータ施設の排気ダクトから排出されている蒸気は、空を歪ませ、濁った空気が肺を締め付けていた。網の目のように張り巡らされたケーブル管の隙間を縫うように、街灯が取り付けられているのだが、すべてを照らす事は不可能で、至る所に暗闇の影を忍ばせていた。
表通りを外れて、裏通りに足を運ぶのだが、そちらは更に凄惨な光景が広がっている。
まず、例えようの無い異臭が鼻につく。どこからか漏れているのだろう、産業廃水や、ネズミやらの屍骸などなど。舗装すらされておらず、冷却管によって結露した水滴が滴り落ちては、剥き出しの地面に水溜りをつくっている。
これが、理想郷を支える眠都リアルスペースの本来の姿だった。
確かに薄汚い陰鬱な街ではあるが、そこに住む人々は皆、良くも悪くも生命力に溢れている。
更に夜も更けてくれば、街の営みの灯りが、この街全体をライトアップしていく。蒸気の揺らぐ蜃気楼の上に浮かび上がった摩天楼は幻想の城の様で、幽玄な佇まいを俺たちの前に現していた。
「おう、娘太郎じゃないか」
俺を呼び止める声がして、俺は振り向いた。
灰色のトレンチコートに身を包む巨漢が、そこにいた。
彫りの深い精悍な顔に、野獣のような眼がギラギラと輝いている。
2mを超す単分子ブレードを背負い、AA《アンチアンドロイド》ライフルを軽々と肩に担いでいるその姿は、他人を寄せ付けない威圧感を持っているのだが、知ったことか。俺は片手を挙げて軽く挨拶を交わした。
「あれ、樹更警部じゃん。なに、まだ現場に出てんの?」
「うるせぇ。俺は一生現場だって言ってるだろ」
無骨な表情が、ほんの少しだけ緩んだ。多分、彼の部下が見たら目を丸くして驚くのではないだろうか。
樹更巌鉄(きさらがんてつ)。こう見えても立派な眠都警察の警部である。
とはいえ、彼は国家公務員ではない。眠都の建設と運営に大きく関っているサイバーソリッド社からの出向扱いとなっている、元はフリーランスの傭兵だ。
ここ眠都は、電脳世界移住計画という、地球規模の壮大な計画のモデル都市に指定されているため、良くも悪くも世界中から注目を集めている。その中には、この眠れる都の存在自体を快く思わない連中が、個人規模から国家レベルまで無数に存在している。
いうなれば、アジアの片隅で世界大戦が、いつ勃発してもおかしくはなく、そんな状況で眠都の治安を維持するには、軍隊並みの装備と人材を必要とするのも無理もない話だった。
最初はサーバーソリッド社の私設軍隊と、警察機関が混在する様相だったのだが、どうせ目的は一緒なのだからと統合、再編成されたのがはじまりらしい。こうして個人装備では世界トップレベルの充実さを誇る警察組織が誕生した。
樹更は階級こそ警部だが、眠都警察の実質的な支配者だ。上層部の連中は皆、彼に何らかの弱みを握られていて、彼に頭が上がらなかった。
そうして樹更警部は我が物顔で最新の装備を次々と導入し、現場に都合のよい組織編制を行っていったのである。確かに表立ってはいないが、今日まで眠都の治安を維持し続けてこられたのは、彼の功績によるところが大きいということを俺は知っている。
「ところでよ、話があるんだが」
挨拶もそこそこに、樹更が本題を持ち掛けてきた。どうやら俺たちは偶然出会ったのではないらしい。
「こないだ赴任してきた奴が、ちょっと頭の固い奴でなぁ…」
俺は無言で制した。そして、樹更の無骨な掌に一枚のデータチップを握らせた。
樹更も慣れたもので、すぐに中身を理解したのだろう。素早く懐にデータチップをしまいこんでいた。
もちろんデータチップの中身は、先日着任したばかりの樹更の上司のスキャンダルだ。
「へへ、ありがとよ」
にっかりと、満面の笑みを浮かべる樹更。どうみても邪悪な微笑みにしか見えないのは、彼の人相の問題であって、彼の性格によるものではない。若干は、影響しているのかもしれないが。
言うまでもなく、樹更に情報を横流ししているのは俺だ。
俺の能力を使えば、眠都警察の内部事情や、樹更が何を求めているかはすぐにわかる。ならば、あらかじめ必要な情報を用意しておくのも別に難しいことではなかった。
一応、断っておくが、樹更には妙な野心は皆無だ。
彼は重度の戦闘狂なだけである。眠都の平和を守るためとか大義名分はあるものの、それは建前でしかない。
依頼を完遂する為に必要な装備、環境を彼なりのやり方で整えた。それだけの事だ。
そして事実、今日まで眠都は平穏とまではいかないまでも、数多くの脅威を跳ね除けてきている実績がある。
また樹更は、義理堅い人間でもあり、部下からの信頼も厚い男だった。
そういう奴に眠都を守ってもらえるのならば、この程度の問題は些細な事ではあるまい。
それになんといっても、警察にコネがあると何かと便利だしな。
「しかし、あれだな。お前がこっちに顔を出してきたって事は――またヤツでも現れたのか?」
「まだ、わからないがね」
「よく言うぜ。いつも寝てばかりのくせしやがってよ」
何か手を貸すことはあるか、と聞かれたので、俺は、やんわりと断った。
まだ何も始まっていないのだから、樹更の手を借りるのは、もう少し後になるだろうからだ。
「ま、なんかあったら言ってきな」
「ああ。その時は遠慮なく頼む」
そう言って、俺たちは別れの挨拶を交わした。
ちなみに、相棒はずっと静観したまま一言も話さなかった。
樹更に対して、何の興味もないらしい。人間として見ていないのではないかと思えるくらいだ。
樹更も、それを判っているのだろうか、相棒とは眼も合わせない。
だが俺は、僅かではあるが、一種の張り詰めた緊張感めいた気配を樹更から感じていた。
それは彼が臨戦態勢にある証拠だった。
おそらく本能で知っているのだろう。俺の相棒が、恐るべき存在だという事を。
多少、寄り道になってしまったが、俺たちは失踪人の捜索を再開した。
左目としての機能も兼ねる為、埋め込んだ義眼型端末《サイクロプス》から視神経――もちろん、膨大なデータの送受信をこなせるように拡幅された特別製だ――を通じて送られてくる情報を確認し、目撃された場所へと向かう。
本来ならば、戦闘機の操縦席のような巨大端末機器に身体を沈めて電脳空間にログインするのだが、俺はこの義眼ひとつで電脳空間に埋没することができる。サイバーソリッド社の最新技術を惜しみなく使っているこいつは、ナノチップと呼ばれる超小型集積回路を使用しており、巨大で無骨な端末機器を眼球サイズにまで小型化する事に成功しているモノだ。今は単なる情報端末機として使用しているが、エーテル回線という通信手段は、大気中に僅かに存在するエーテルという物質を介して使用される無線式の通信手段だ。それは有線と変わらぬ通信強度で光を超える通信速度を保つ事ができ、ログイン中は、寝ているんじゃないかというくらい、無防備な姿で外界とは遮断されてしまうので迂闊には使用できないが、基本的に場所を選ばずログインできるのは便利の一言に尽きる。
これを開発したのはサイバーソリッド社だ。俺は、サイバーソリッド社に俺専門の技術開発班を持っている。
これら最新技術は、主にコスト面の問題で実用化までは至っていないもので、俺だけしか使っていない技術だ。
どうしてそんなことができるのかと聞かれれば、簡単なこと、要するに金さえあれば、なんでもできてしまうのだ。
ハッカー時代に稼いだ金で、俺は一生どころか百生遊んで暮らせるだけの金を持っている。
既に引退した身のローテク野郎だと言ったのは、俺の謙虚な姿勢からでた戯言だ。
りおんは呆れかえるだけだったが。
それでも俺に対する態度を変えないところは好感が持てた。単に子供なだけかもしれないのだが。
俺が集めた情報のなかには、この街のあらゆる場所に設置されている防犯カメラの映像から得たものもある。
俺たちは、それら美佳坂浩介らしき人物が目撃された場所を片っ端から調べていった。
その付近を通りがかった人々に聞き込みをし、手がかりになりそうな情報を集めていく。
有効な情報は、そう簡単には集まらないだろうが、まぁ目的はそればかりでもない。
「それにしても、美佳坂浩介は、現実空間に逃避してどうするつもりだったのかな」
端末を経由して、りおんの声が俺の頭の中に響いた。
「現実を知ったからといって、過酷でしかないそっちの世界に行っても仕方ないじゃない?」
それならば、むしろ電脳空間に引き篭もっていたほうがまだ納得できるんだけどと、りおんは続ける。
「だが、そうなると悪夢の記憶は必要ないだろう?」
ナイトメア・メモリ。使用する者に強靭な身体能力と、異能の力を与える悪夢の記憶。
それは、人の身に余るアイテムだ。
過ぎた力は破滅しかもたらさない。
「強大すぎる力を手に入れた美佳坂浩介が、次にする行動といえば…」
俺がそう呟いたまさに、その瞬間。
「娘太郎」
相棒が俺に注意を促す。
言われるまでもなく、俺も気付いていた。
俺たちを尾行する者がいる。どうやら餌に食らいついてきた奴がいる。
いやほんと、展開が速くて助かるぜ。
尾行というにはお粗末なもので、気配を隠すつもりもないようだ。
端末で探る必要もない。追跡者の気配は全部で9つあった。
一応、俺達を包囲するつもりで動いているようだが。
「どうするの?」
「この先に開けた場所があったな。そこへ誘い込む」
既に辺りは深い夜の闇に包まれている。この時間に裏路地を歩くのは、堅気の人間ではありえない。
俺達と同じ、こちら側の人間である事は間違いなかった。
やがて俺たちは、若干開けた場所にでた。
広場として作られたスペースではないのは、目の前にある瓦礫の山が物語っている。
どんな施設があったのか、もはや判別できないほどに破壊されたまま、放置された場所。
当然ながら照明も何もないのだが、問題はない。俺には義眼の暗視効果があるし、相棒に至っては人間ですらなかった。
それは相手も同じらしく、瓦礫の山を難なく跳び上がり、あっという間に俺たちは囲まれていた。
追っ手は全部で9人。それぞれが同じデザインの白いジャンプスーツに身を包んでいる。ディスターヴ社製の戦闘服で、スウェットスーツのような薄手の生地に、人工筋肉繊維を織り込んだタイプのものだ。装甲強度は高くはないが、増強された身体能力はあなどれない。顔はフルフェイスタイプのマスク(ちなみにこれも白だった)で覆われている為、判別はできなかった。意外にも、武器の類は持っていなかった。俺はともかく、相棒に徒手空拳でやりあおうってのは、あまりお勧めしないのだが。
「よう。こんな時間に散歩かい?今夜は月も隠れちまって物足りないんじゃないか」
返事はない。代わりにじりじりと間合いを詰めてくる9人。
「はっ、暴れたくて仕方ないって顔してるな。やれやれだ」
問答無用で襲い掛かってくる9人。
さぁ迎撃だ、と思った矢先。
俺の視界がぐるり、と反転していた。
「な」
何が起こったのかは、俺にはわかっていた。
ここは現実空間ではないと、俺の五感が告げていたからだ。
周囲の景色に変化はない。ただ、相棒も含めた10人が忽然と姿を消していた。
静まり返った瓦礫の山を見渡す。
義眼が仇になった。
何者かに義眼型端末を外部から操作されて、電脳空間へと引きずりこまれたのだ。
もちろん俺の義眼《サイクロプス》を、こうもたやすく操作できる事など不可能である。
だが、それを可能にするものを俺は知っている。
ナイトメア・メモリ。悪夢の記憶ならば。
「出てこいよ、美佳坂浩介。お前の仕業だろう?」
ぱちぱちと、おざなりな拍手が背後から聴こえてきた。
「さすが、鉄のハートを持つ男。この程度じゃ動じないようだね」
振り返ると、瓦礫の山の頂上に美佳坂浩介は佇んでいた。
先程まではそこにいなかったのだが、最初からそこにいたといわんばかりに、自然な姿で。
レポートの顔写真と一致しているのだが、印象は大分違って見えた。
そこには頼りなさそうな、無気力そうな印象はかけらもなく。
偽りの自信に満ち溢れている男の顔が、俺を見下ろしていた。
「そうでもないさ。最近は10歳児の挙動に振り回される有様でな」
「何を言ってるの?」
「なんでもねえよ」
俺は肩をすくめてみせた。
そんな俺の態度が気に入らなかったらしく、美佳坂浩介は舌打ちをした。
「外の世界はお前みたいなガキが遊べる世界じゃないんだが。おとなしく家に戻るなら、俺は何もしない。だが、戻らないっていうんなら…」
「冗談じゃないよ!誰があんな、偽物だらけの世界に戻るもんか!」
俺が言い終わるよりも早く、美佳坂浩介は、いきなりキレはじめた。先程まで見せていた自信満々な様子は微塵も残ってはいなかった。
だが、それはいい。
美佳坂浩介が、その程度の男だという事は、今はどうでもいいことだった。
それよりも。
「偽物だと…?」
俺は、そう聞き返す。その言葉を、その言葉の持つ意味を、ゆっくりと噛み砕くように。
「そうさ!皆して俺を騙していた、あんな処に二度と戻るもんか!」
俺は天を仰いだ。
空には月どころか、星の瞬きさえもなかった。
暗い闇が覆いかぶさるように、俺の心の中も満たしていく。
「悪いが、これでも俺は忙しい身でな。ガキの戯言に付き合ってる暇はないんだ」
「そういわないで、ゆっくりしていきなよ。吸血鬼を退治した探偵さん」
美佳坂浩介は、半月前に俺たちが関った吸血鬼事件を持ち出した。
眠都の電脳空間に現れた吸血鬼。
だが、その事件は表沙汰にされる事はなかった。
俺たちの他には、事件の当事者たちなど一部の関係者だけが、事件の真相を知っているだけだ。
そんな吸血鬼事件を何故、美佳坂浩介が知っているのか。
俺は眉一つ動かさず、あくまでもポーカーフェイスを貫き通していた。
内心、笑いを堪えるのに必死だった。
それは俺の中で、疑惑が確信に変わったからだ。
「何故お前がそれを知っている?…とでも言えばいいのか?」
「さぁ?」
すっとぼける美佳坂浩介。
心底、自分が優位に立っていると思っているようだ。
「お前さ。気が付いていないようだが、重要なミスを犯しているぜ」
「何の事さ?」
「吸血鬼事件の事を口にしたのは間違いだったな。お前のようなガキが知っているという事は、だ。誰かがお前にそれを吹き込んだとしか考えられないぜ」
こいつはクロだ。紛れもなく、間違いなく、俺たちが捜し求めていた獲物そのものだ。
「嬉しいぜ、美佳坂浩介。お前は俺の敵だ。それが判った今、もう俺は容赦しねぇ」
脅しの効いた低い声で、俺は美佳坂浩介を追い込んだ。
「言えよ。誰がお前に手を貸した?六本指のセールスマンか?そいつがお前に真実を教え、棺桶から抜け出す力をくれたのか?」
途端に美佳坂浩介の表情が青褪めていった。どうやら図星だったようだ。いくらなんでもわかりやすすぎる。
「だからどうだっていうんだ!?ここからは、いくらアンタでも抜け出す事はできないぜ」
もはや笑っていいものか、呆れたらいいものか。
もう面倒くさくなってきたので、俺はさっさと核心をついた。
「ここがナイトメア・メモリで作られた空間だからか?」
「!?」
やれやれ、こうも簡単に動揺するか?
俺の敵になるからには、もっとしっかりしてくれないと色々と困る。
例えば、あまりにも弱すぎる相手に勝ったところで、俺の株は上がらないだろう?
「あのな。吸血鬼を退治した俺が知らないとでも、本気で思っていたのか?」
「う、うるさい!うるさいうるさいうるさいうるさい!!」
「お前さ。何がしたいんだ」
「何が…!?」
「お前にとっての真実とはなんだ?」
俺は一歩前に踏み出した。
その気迫に気圧されて、萎縮する美佳坂浩介。
「美佳坂浩介。お前の真実ってのは、訳のわからん男の言う事であっさり崩れちまうものなのか?お前の積み重ねてきた18年間は、そんな軽いものだったのか?」
俺のなかでくすぶっていたものが眼を覚ます。
俺の身体の中に熱いものが駆け巡っていた。
怒りの衝動が、俺を突き動かす。
俺は許せなかったのだ。美佳坂浩介を。
それはナイトメア・メモリの力に溺れたから、それだけではない。
自分が今まで過ごしてきた時間を、積み重ねてきたものを、いとも容易く投げ捨ててしまった事に、俺は腹を立てていた。
偽りの世界だろうがなんだろうが、そこに暮らしている連中にとっては、紛れもない現実だ。
美佳坂浩介の置かれていた状況など知った事か。
お前に関ってきた家族、友人たちの想いは本物だろう。
それを否定する事は。
それは美佳坂浩介、お前自身が…。
「お前の周りは偽物だらけだと?甘えるなよ、美佳坂浩介」
「うるさい…ッ、黙れよ!」
激昂する美佳坂浩介の周囲に、光球がいくつも浮かび上がった。
「そう思えるのは、お前自身が偽物だからだろ」
「…お前に何がわかる!」
無数の光球が俺を目掛け、放たれた。
いくつかは、俺の周囲に着弾して、凄まじい爆音と衝撃が響いた。
俺は微動だにしない。する必要もなかった。
「わかるか、そんなもん」
俺を狙ったはずの光球はすべて軌道を変え、見当違いの場所に着弾していった。
すべての光球を放ち終えてもまだ、無傷な俺の姿をみて、ますます激昂する美佳坂浩介。
「な、なんで!どうして当たらないんだッ!」
「舐めるなよガキ。ここで俺に勝とうなんざ10世代早い」
いくらナイトメア・メモリが構築しているといっても、ここが電脳空間であることには変わりはない。
ならば、リアルタイムで光球に干渉し、軌道を変更させるくらい、俺なら造作もないことだ。
ナイトメア・メモリを使うのは美佳坂浩介だけではない。既にこの空間の解析は終了している。あとは出口を創って、ここから抜け出すだけだ。
美佳坂浩介。ここでお前の相手をしている暇は俺にはない。
俺は現実空間で美佳坂浩介を潰さなければならないからな。
「見ていろ!こんな街、俺の力でぶっこわしてやるッ!」
今まさに、この空間を出る俺の背中ごしに、美佳坂浩介の捨て台詞が聴こえた。
つくづく馬鹿な奴だ。
それはお前の力ではないだろうに。
その力そのものが、紛れもない偽物だという事に、早く気付け。
「やっと起きたのかい?娘太郎」
現実空間に戻った俺。
襲い掛かる追っ手Aに裏拳をかましながら、相棒が声をかけてきた。
格闘アクションゲームのように派手に吹っ飛んでいく追っ手A。力が有り余っているとか、そんなレベルじゃねえ。規格外にも程がある。
状況を確認する暇もなく、俺のほうにも追っ手Dが殴りかかってきた。ちなみに追っ手BとCは相棒と格闘中。
俺は軽くステップを踏んで、それを躱した。
…つもりだったが、見事に顔面にヒットする。いてぇ。
「うぐ…」
「戦闘中に寝落ちするなんて娘太郎もいい度胸してるよね」
相棒は、ダブルラリアットで二人とも吹っ飛ばしていた。あれで体格は俺よりも貧弱なんだから納得いかない。つーか悪魔じみている。そのまま俺に追加ダメージを与えようとしていた追っ手Dを後ろからヤクザキック。うわ、追っ手Dの背中がありえない方向に曲がりやがった。
そのまま俺と相棒は背中合わせに互いの身体を預けた。
「うるせぇ。俺は肉体労働は専門外なんだ。お前とは違うんだよ」
どうやら依頼された事件を追っていくうちに、当たりくじを引いたらしい。
細かいことを思い出そうとするのだが、その間にも追っ手はわらわらと増えてくる。
やれやれ、こいつらをなんとかしない事には、ゆっくり寝落ちもできないときた。
「アリップ」
俺は相棒の名を呼んだ。背中ごしに悪魔が俺の名を呼ぶ声が聴こえた。
「なんだい?娘太郎」
「…やるぞ」
無言の相棒。それは了解の合図だ。
電脳空間では無敵の俺も、現実空間では勝手が違う。
ここは相棒に任せるのもいいが、手早く片付けるとしよう。
ナイトメア・メモリを扱うのは、美佳坂浩介だけではない。
俺たちもまた、ナイトメア・メモリを扱う者、ナイトメアライダーなのだ。