エピローグ ウイニングショット:ビギニング

Last-modified: 2023-06-02 (金) 22:00:51

「やっほ、ハイア」
「……あー、ショット」

 神戸新聞杯から、数日たったある日のこと。菊花賞の優先出走権も得られず、ローテーションの予定が崩れた私は、どうにもモチベーションが抜け落ちていた。
 トレーニングにも身が入らず、ぼんやりとあにまんを眺めるような日々。模擬レースで負けていた時期よりはマシだが、そこそこダメージが入っている自覚がある。しばらくはダラダラして、精神を休めたかった。あにまんで休まるかって? ハゲにも指摘されたわ。無視したけど。

 とまあ、そんな日々を過ごしつつ、教室の片隅でだらけていた私に声をかけてきたのは、その神戸新聞杯の勝ちウマ娘であるところのウイニングショットだった。時間帯とその様子から、昼飯にでも誘いに来たことがわかったので、だらりと立ち上がった。

「うっわ、ゾンビみたいだよ、ハイア」
「アァー」
「B級……いやZ級ゾンビ映画に出てくるモブゾンビ。放置されてフェードアウトする感じ。Z級映画見たことないけど」
「忌憚のない意見ってやつっすか。キツイわ」

 毒にも薬にもならないような雑な会話。こういう雑な会話ができる相手といえば、まずショットが思い浮かぶ。私の交友関係、どういうわけか真面目な子が多いしなあ。パイセンはパイセンだし、マグにツバキは間違いなく無理、シルクはこの手のノリを好まない陰キャだ。そしてハゲとはレスバになる。
 そういう意味で、ショットは私にとって、気軽で雑な会話ができる相手、という微妙に貴重な立ち位置。

「何食べる?」
「にんじんハンバーグ特盛スペシャルはちみー付き。久々にハゲの管理外だし、豪勢に行きたい」
「太るよ?」
「うっさい。秋の予定が白紙だから別にいい」

 誰かさんのお陰でな! 多少の嫌味も込めつつ、食券機のボタンを叩く。肉体づくりのために味の薄いものばっかり食べてたし、レース明け直後くらいいいもの食べたい。美味しいものは、脂肪と糖で、できている。タンパク質飽きたんだよ!

「えー、私のせいじゃないでしょ。というかハイア、私がいなくても四着で優先出走権取れなかったじゃん」
「ぐ、ぬぬぬ……」

 痛いところをつくじゃないか親友(ブラザー)……いや親友(シスター)か?

 あの神戸新聞杯で、私は五着になった。菊花賞の優先出走権が得られるのは三着までで、その枠はクラシック二冠のウマ娘と、ダービー二着のウマ娘が持っていった形だ。とはいえ、一着のショットから、アタマ、ハナ、ハナ、クビ差だったので、そこまで大きな差はなかったのだが。
 伏兵二人が本命三人とデッドヒートを繰り広げ、しかも伏兵の内一人が一着になるという結果に、一時期ネットが騒がしかったことが印象深い。そりゃそうだ。順当に行けば、クラシック二冠のウマ娘が持っていっただろう。

 そんなことを考えていたからか、ふと、気になっていたことを思い出した。

「あのさー、ショット」
「ん、何?」
「神戸新聞杯の前にさ、なんであんなトゲトゲしかったのさ?」

 控室で感じた敵意。やたらトゲトゲしくて、普段のショットとはまるで別人のようで、驚いたことを覚えている。レースが終わってから聞こうと思っていたが、すっかり忘れていたのだ。
 そのことを言うと、ショットは少しだけ照れくさそうな表情を浮かべた。

「いやー……あはは。気になっちゃう?」
「まあ、それなりに。話したくないなら別にいいけど」
「んー……ま、いいか」

 昼食を食券と交換して、カフェテリアの片隅へ。なんとなく普段から使っている場所。両手にかかる重さに満足感と罪悪感、それに背徳感を覚えながら置いて、椅子に腰掛ける。
 反対側にショットが座る。ショットの昼食は、そこまで特別なものではない。ちょっとタンパク質が多めに取れるかな、くらいのメニュー。

「あんたに勝ちたかった……ってだけじゃ納得しないよね」
「いや、まあ、そりゃそうでしょ。ショット、あんまレースに興味なさそうだったし」

 昼食に手を伸ばしつつ、そんな会話。ショットはやきう民で、口を開けば野球の話が出てくる割合が多い。私は詳しくないのであまりその話に乗れないのだけど。
 しかも、本人も「ほどほどに走って、そこそこの結果」と言っていた記憶がある。そりゃ出るなら勝ちたいだろうが、執着としてはそこまででもない印象だったのだ。そんなショットが、私に? なんで?

「ちょっと、言うのも恥ずかしいんだけど、さ」

 そんなふうに、ちょっとだけ前置きして。

「あんたがさ、かっこいいなー、って思ったわけよ」
「…………は?」

 あまりにも予期せぬ褒め言葉を投げつけられたものだから、つい箸を落としてしまった。慌てて拾う。あっぶね。いやでも仕方ないでしょこれ。

「なにやってんの」
「いやそれこっちのセリフだが???」

 言うに事欠いて、私を「カッコいい」? なんだそりゃ。むしろずっと、情けない姿を見てきただろうに。負けて悪態ついてる姿とか。負けて落ち込んでる姿とか。負けて腐っている姿とか。
 しかも、それを励ましてもらったり、相談に乗ってもらったりしたので、カッコいいと言うならショットのほうだ。

「ハイアが負けてる姿、一番見てるのは私だもんね」
「楽しそうに言うんじゃないよ。まったく……」

 からかうように、楽しげに。私達の出会いを思い出す。確か、4回目の模擬レースで負けたときだったか。芝の1800メートル。一緒に走って、終わったあとに感想戦をして。その後も付き合いが続いて、今に至る。

「そりゃあ、ハイアの情けない姿も、いっぱい見たよ。負けて地団駄踏んでたり、悔しがってたりしてるの、全部」

 懐かしい思い出を語るように、ショットは話す。それがやっぱり、なんだか眩しげで。それでいて、大好きな野球の話をするときのような輝きがあって。私は何も言えなくなる。

「でもさ、そんなハイアが……何度も何度も、挑戦している姿が、かっこいいなー、って思った」

 負けても、負けても、何度負けても消えなかった勝利への渇望。忘れようとしても消えなかったそれが、私を挑戦に駆り立てていた。そんな姿を、ショットは何度も何度も見てきた。私の、隣で。
 そんなショットが、そんなふうに思っていたなんて、全く知らなかった。

「少し嫉妬もしてさ。自分が本気で挑戦してなかっただけなのに、ね」

 だから、

「あんたみたいになりたかった。あんなふうに、何度でも挑戦していく自分が、欲しかった。そのために、まずはあんたに挑戦して、勝ちたかった」

 あの日の神戸新聞杯。全力で、本気で挑戦する自分になるために。そのために、私に挑んで、勝ちたかった。

「理由なんて、そんなもんだよ。だから、さ」

 先程までの穏やかな表情を引っ込めて、ショットはレース前に見たような、挑戦的で、敵意を滲ませるような、そんな表情でこちらを睨む。
 でもそこに、マイナスの感情は存在しない。それどころか、暖かさすら感じるような、そんな感情が届いてくる。




「これからは、ライバルだよ親友(ハイア)。次も絶対負けないから、また勝負しよう」




 そんなふうに、挑戦状を叩きつけられた。

 その言葉の通り、私達はこれから先、何度もぶつかり合って、その度に勝ったり負けたりすることになるのだけど、それはまた別の話。ともかく、この話はこれでおしまいだ。
 神戸新聞杯を巡って、私とショットが、またちょっとだけ仲良くなりましたとさ、ということで、この話を締めておこう。




 後日談、というか今回のオチ。

「……それにしても、ハイアのご飯、やっぱ美味しそうだね」
「実際美味しい。トレセン学園のカフェテリア最高」

 にんじんハンバーグ特盛めちゃ美味しい。にんじんの甘みと、お肉のジューシーさがですね、たまらんのですよ。切った瞬間に溢れ出る肉汁に、デミグラスソースを絡めてにんじんを一口。幸福ってのはこういうもんだね……。
 更に追加で頼んだスペシャルはちみー。はちみーショップとコラボした商品で、脳にガツンと来る蜂蜜の甘さがたまらない。それでいてスッキリとした爽やかな味わいすら保っている。多分レモンとか使ってるんじゃないかな。
 いやあ、トレセン学園の食事って最高っすね……ベコベコに凹んでた時期には現実逃避的に思ってたけど、そうでなくとも最高ですわー……。

「……ごくり」

 私の食べている姿がさぞかし美味しそうだったのか、ショットが唾を飲み込みながら羨ましそうにこちらを見る。ふ、羨ましかろうが!

「うう……美味しそう……ねえ、ハイア、一口……!」
「やーだね! 食べたいんなら注文するんだな!」
「くっ……! こんにゃろ、神戸新聞杯で私のこと舐め腐った挙げ句負けたくせに!」
「べべべべべべべ別に舐めてなんかなかったし???」
「嘘つけ!!」

 ぎゃーすかぎゃーすか騒ぎ合う。それでも絶対にご飯は譲らない。私にとっても久々のご馳走なんだ、食べたいんなら自分で頼め!

「あー、もう、やっぱ無理! 我慢できない! 食べる!」

 ついにしびれを切らし、ショットが食券機に直行。しばらく待てば、にんじんハンバーグとスペシャルはちみーを持って戻ってきた。どうやら特盛にしない理性だけは残っていたらしい。

「いいのー? このあと菊花賞でしょ、あんた」
「いい! トレーニング頑張る!」

 いただきます! 丁寧に手を合わせ、早速にんじんハンバーグを一口。瞬間、とろけた顔を浮かべる。

「やっべうっま……」
「わかる」

 薄味で肉体づくり中心の食事ってキッツいんだよなあ。たまにはこういうものをバカ食いしたくなる。ウマ娘だからね、仕方ないね。

「え、待って待って、こんなに美味しかったっけにんじんハンバーグ……なんか前よりずっと美味しく感じる……」
「あー、そういやショット、神戸新聞杯に向けて、結構キツめに食事制限してたもんね」
「我慢したからってここまで美味しくなる……?」

 どんだけキツかったんだよ食事制限……。若干引き気味の私をよそに、ショットは次いでスペシャルはちみーに手を伸ばす。一口。

「…………」

 飲んだ瞬間、電源を切ったように停止。そして、頬に伝う一筋の光。

「……美味しい……美味しいね……はいあぁ……」
「あの、ショットさん……? どう考えても食事制限明けの雰囲気じゃなくて、なんか喧嘩別れした二人が超久々に仲直りしたみたいな雰囲気になってんだけど……?」

 どんだけキツかったんだよ食事制限……?! なんかちょっと幼児退行してないかこれ……?
 涙を流しつつちゅーちゅーとスペシャルはちみーをストローで飲み、美味しい美味しいと繰り返すショット。その姿にドン引きしつつ、私も食事を続けることにした。
 まったく、大げさだっての。

 ちなみに。その後におかわりを二回繰り返した私とショットは、二人揃って太り気味に。うちのハゲとショットのトレーナーである白人ハゲを大いに嘆かせ、特性ダイエットトレーニングで悲鳴を上げることになったのだとさ。いやあ、「オーマイゴッド!!!」なんて叫び、マジで聞くとは思ってなかったわ。
 めでたし、めでたし。いやめでたくねえよ。