エピローグ ワットハイア:オリジン

Last-modified: 2022-11-14 (月) 21:27:05

「あの……すみません、生徒会長。少しだけ、お話いいですか?」

 未勝利戦から数日たったある日のこと。私は昼のカフェテリアで、シンボリルドルフ生徒会長に声をかけていた。正直こんな場所で、かの七冠バに声をかけるなど、普段の私なら恐れ多くてできやしないことだろう。しかし、かと言って、自分から生徒会室に赴くのはどうにも気が引ける。というか近寄りたくない。皇帝だけでなく、女帝と怪物までいるようなあの魔窟に、望んで入りたいと思うウマ娘などそういないだろう。
 そのため、カフェテリアで何を食べるか迷っている様子だった生徒会長に、これ幸いと声をかけたのだ。私の声がけに、シンボリルドルフはこちらを振り向いて、少し驚いたような顔をした。そのまま軽く笑って、嬉しそうにする。

「やあ、ワットハイア。一別以来、久しぶりだね。もちろん良いとも」

 周囲からの視線がちょっと痛い。何あのモブ、なんで会長に話しかけてんの、みたいな声が聞こえた気がする。いや多分そんな事誰も言ってないと思うんだけど。思いたいんだけど、この視線の痛さから察するに、思っているやつは何人かいそうだ。
 やっぱ話しかけるんじゃなかったかなー、と少し後悔しつつ、食べ物は後回しにして、飲み物だけ取って、カフェテリアの一角へ。私は甘めの紅茶で、シンボリルドルフはコーヒーだ。
 ちょっと遠巻きにされているようで、周囲に他のウマ娘たちの姿はない。正直、少しありがたい。これから話すのは、なんというか、私の心の一部とは言え、「今更?」なんて思われても仕方のない話だから。
 椅子に座って、シンボリルドルフと向かい合う。なんとなく会話を楽しみにしてくれているようで、そのせいでちょっと気後れしてしまう。

「そうだ、未勝利戦での勝利、おめでとう。最終直線の加速は見事だった」
「あ、ありがとうございます。見たんですね」
「もちろん。生徒のレースは、できるだけ見るようにしているよ」

 生ではなく、録画ではあったが。そんなふうに補足して、こちらの勝利を称えてくれた。どうにも気恥ずかしい。何しろ私はまだ一勝しただけのウマ娘。しかも、メイクデビューと未勝利戦2回を負けた上で、ようやく勝ったという状態だ。それなのに、かの無敗三冠、合計七冠を達成した皇帝に称えられるなど、滑稽なほどのアンバランスさだ。嬉しいことは嬉しいが、奇妙な心持ちになる。
 うにゃうにゃしている私を見て、シンボリルドルフすこし苦笑。こちらの緊張というか、奇妙な心持ちを見透かされたようだ。

「それで、今日はどうしたのかな。察するに、以前話したときの質問についてと思っているのだが」
「あ、はい……その、なんというか、あまり大した理由じゃなかったので、生徒会長に話すようなことでもないんですが……」

 生徒会室での対話を思い出す。あのときの私は、自分がトレセン学園にしがみついた理由をわかっていなかった。厳密に言えば、わかってはいたのだが、見て見ぬ振りをして忘れたように振る舞っていた。それは一種の自己防衛ではあったのだけど、そんな状態でかの七冠バに「私ってなんでトレセン学園にしがみついたんでしょうね?」なんて質問したのだ。
 その答えが「勝ちたい」なんてあまりにも単純なものだったので、シンボリルドルフがあのときに浮かべたキレイな表情に応えられるのだろうか、なんて不安がある。彼女は「その答えは、きっと悪いものではない」と言っていたし、私もこの答えが悪いものではないと思っている。しかし、なんというか、こう、期待値と実際のズレで気まずいというか……。

 シンボリルドルフは、黙ったままこちらの話を待っている。その表情は穏やかで、ただ、私というウマ娘のあり方を信じてくれているようだった。その姿を見て、どんな答えでも受け入れてくれるだろう、と思えて。

「『勝ちたかった』」

 気がつけば、自然と答えを口にしていた。

「トレセン学園に入って、ずっとずっと勝てなくて。負け続けて嫌になって、腐って。でもずっと、私は『勝ちたい』って思ってた」

 シンボリルドルフは、ただ黙ったままこちらの話を聴いてくれている。表情に変化はなくて、穏やかなまま。

「トレーナーに無理やり契約を迫ったのも、まだ勝ててなくて、悔しくて。まだ『勝ちたい』って思ってたから、しがみついた」

 模擬レースに負け続ける中で、蓋をした感情。今はむき出しのまま、この心で熱を放っている。勝ちたい。ここで、勝ちたい。この場所、中央で勝ちたい。

「だから、私の答えは『勝ちたいと思っているから』です。忘れてても、忘れようとしても、消えてくれなかったこの心が、私の答えです」

 最後は一息で話しきって、私はシンボリルドルフを見た。彼女は私の答えを咀嚼するように、しばらく目を瞑る。
 その表情は、なんというか、少し嬉しげで、眩しげで。一種の誇らしさすら感じているような、そんな表情。あのとき生徒会室で見た、あのキレイな表情だった。

「──ありがとう、ワットハイア」

 目を開いたシンボリルドルフは、開口一番、感謝を私に伝えてきた。その口調があまりにも穏やかで、本当に感謝に満ちていたものだから、私は何も言えなくなる。
 戸惑う私に、シンボリルドルフは更に言葉を重ねた。

「中央を去っていくウマ娘は多い。メイクデビューに出られない、出ても勝てない、未勝利戦で届かない。そのことは知っていると思う」
「……はい。デビューできないのが4割、未勝利戦から抜け出せないのが、そこから更に7割ほど」
「そうだ。トレセン学園に入学し、まずレースで1回勝つ割合ですら、その程度でしかない」

 ハゲはこの世界のことを指して「クソみたいな勝負の世界」と呼んだ。私は「勝ち負けが決まり続ける評価の地獄」と呼んだ。その呼び名に相応しく、ウマ娘レースの世界は厳しい。たった一回の勝利ですら、あまりにも狭き門だ。ましてやオープン戦、重賞、頂点たるG1に出られる割合など、狭いを通り越して針の穴以下。
 そんな現実を前に、心折れるウマ娘は多い。というか私もその寸前だった。なんとかギリギリ、ハゲのおかげで……おかげっていうのなんか腹立たしいな……ともかく、ハゲのおかげで持ち直し、未勝利戦で勝つことができた。でもやっぱり、確率の低さに地獄と呼ぶことしかできない。

「狭き門だ。辞めていくウマ娘も多い。しかし──ワットハイア。それでも辞めず、心折れず、しがみつき続けるウマ娘もいる。そして、そんな彼女たちが共通して持っているものが、一つだけある」

 それが、

「『勝ちたい』という思い。勝利への渇望。この場所で『それでも』と叫び続ける不撓不屈の意思」

 誰もが持てるわけではない、しかしこの場所で走り続けるための絶対条件。
 私がやっと自覚した、ずっと前から持っていたものだった。

「この意思だけは、私が与えることはできない。掴めるように助けることはできても、与えることだけは、決して。レースへ挑む幸福も、そのための環境も、私は粉骨砕身して用意する覚悟だ。しかし、当人の意志だけは、与えることができない。すべきではない」

 どこか遠くを見るような目をして、シンボリルドルフは自身の限界を語る。それはきっと、これまで多くのウマ娘が去っていく姿を見送った、心優しい生徒会長の姿だった。
 きっと、私のように心折れかけたウマ娘へ、何度も最後のチャンスを与えてくれたのだ。その形は様々だろうが、発憤興起するように願いながら、勝利への渇望を思い出してくれるように祈りながら。そして、何度も裏切られてきたことだろう。

 それがどれほどの重圧か、私にはわからない。想像することもできない。この人は、高すぎるほどの理想を実現しようと、日々足掻き続けている。その姿が気高いからこそ、誇り高いからこそ、この人は皇帝と称されるのだ。

「だから、その思いを抱いてくれたことに──いや、思い出してくれたことに、私は感謝する。そして」

 心優しき生徒会長、シンボリルドルフは、私を眩しそうに見る。そのキレイな表情は、きっと。本当に烏滸がましいことだが、彼女の理想の欠片が、私にもあるからだとわかった。

「改めて、歓迎の言葉を贈りたい。
 これからもきっと、悔しい思いをすることになるだろう。
 これからもきっと、数多の傷を負ってしまうことになるだろう。
 それらの痛みを知った上で、この場所に留まる選択をした君に」

 そう言って、シンボリルドルフはこちらを見る。




「ようこそ、ワットハイア。ウマ娘レースの頂点──中央へ!」




 ──こうして、私はここから走り始めた。

 この先の私は、友達と競い合ったり、腹黒そうな先輩とやりあったり、刀みたいな人とぶつかったりするのだが、それはまた別の話。ともかく、この話はこれでおしまいだ。
 最後に、せっかくだから自己紹介で締めようと思う。

 私の名前は、ワットハイア。
 中央で走るウマ娘だ。




 後日談というか、今回のオチ。

「さて、随分堅い話をしてしまったな。お昼はもう食べたかい?」

 話し終えた後、シンボリルドルフは気安くこちらに昼食の予定を聞いてきた。そう言えば、この人と話すことばかり考えていて、すっかり忘れてしまっていた。というかこの人の昼食邪魔しちゃったじゃん、私。
 ちょっとした罪悪感をいだきつつ、まだであることを伝える。すると、

「そうか。なら一緒に食べよう。これから先、中央で『勝つ』ためにも『カツ』丼がお勧めだ」

 少し得意げな様子のシンボリルドルフ生徒会長は、そんなことを言った。
 数回、瞬き。え、この人、今ダジャレ言ったのか? マジで? あの七冠バが? あの皇帝が? さっきまでカリスマ全開で、ぶっちゃけ私はファンになっちゃったんだけど、そんなこの人が?
 混乱する。混乱した頭のまま、

「いやカイチョーさんそれ面白くないです」

 と。とんでもない失言をブチかましていた。凍りつく空気。というか言った私が凍ってる。え、私何言ってんの? また私なんかやっちゃいました? ネタのキレが悪い。
 完全に凍りついて動けない私に、驚いたように目を丸くするシンボリルドルフ。いやいやよく考えてみればかの無敗三冠、七冠バ、皇帝、生徒会長がそんなオヤジギャグを言うわけないじゃんあっははは! つまり私の勘違いで、この人からすれば「いきなりなんでダメ出ししてんのこの雑魚娘」みたいな感じになっているに違いなくてつまり私クソでは? いやあにまん民がクソでないわけないんだがそうでなく。

 思考がぐるぐる空転している私を他所に、シンボリルドルフが突然破顔した。それは冷たいものではなく、……なんかむしろ嬉しそうなんですけどどういうことですかこれ?

「ふ、ふふふ……まさか、私のダジャレに突っ込んでくれる生徒がいたとは……!」

 いややっぱダジャレだったんかい。動揺した私の感情返して。いやそれでもこの人ダジャレとかいうキャラじゃないでしょ。え、キャラなの? そうなの? 私が知らんだけ? 知りたくなかったよそんなの!
 衝撃を受けて何もできない私の肩を、シンボリルドルフがつかみ、目を無理やり合わされる。うわ顔めっちゃ良いなこの人。超イケメン。惚れそう。抱いて欲しい。いやそうじゃなくて。

「ワットハイア、協力を頼みたい。君にも面白いと思ってもらえるダジャレを言えるように……!」
「真顔で何言ってるんですかカイチョーさん?!」
「ふふふ……! さあ往こう、ダジャレの最高の高みへと……!」
「ど、どうしてこうなった……!」

 とまあ、こんな顛末で。生徒会長、七冠バ、皇帝。そして、ダジャレ好き。その人になぜか気に入られてしまった私は、たまにシンボリルドルフのダジャレ特訓に付き合わされるという、めちゃくちゃ理不尽なやる気ダウンイベントが増えてしまうのであった。

 めでたし、めでたし。いやめでたくねえよ。