第一話 ワイちゃん、オープン戦に挑むってよ

Last-modified: 2022-12-02 (金) 20:59:47

前回までのあらすじ!

ワイちゃん「勝てねー。やる気でねー」
ハゲ「え、ワットハイアさん勝つの諦めてトレセン辞めるってマジすかwww」
ワイちゃん「ハァー?! やったろーじゃねーか見てろよハゲェ!!!」

そんな感じでワイちゃん未勝利戦突破しましたとさ。

では本編をどうぞ。




 トリプルティアラ。輝かしい彼女が戴いた三つの冠。その姿を、今でもはっきりと覚えている。

「きれい」

 幼い頃に見たその姿が、他の誰よりも輝いていて。他の何よりも尊いもののように思えて。だからアタシは、自分もいつかそうなりたいと、あの人のように、輝かしいウマ娘になりたいと思ったのだ。
 そのための手段は、子供ながらにすぐ思いついた。

「お母ちゃん、アタシも『とりぷるてぃあら』欲しい!」

 まるでおもちゃをねだるように、隣の母に願った。母は少し驚いたようにして、「それなら、いっぱい走る練習しなきゃね」なんて笑ってくれた。
 憧れの彼女に近づきたい。憧れの彼女のようになりたい。輝いていて、尊く見える彼女のように、自分もなりたい。そのために、当時はよくわかっていなかった「とりぷるてぃあら」を求めた。手に入れられれば、きっと自分も、彼女のようになれるだろうと思って。

 だからきっと、あの戴冠式こそが自分の始まり。トゥインクルシリーズでの勝利を渇望する、今に至るアタシの原点。いずれ自分も三つの冠を戴くのだ、という夢を抱いた瞬間。
 輝きに目を灼かれて、尊さに心奪われて、走り出した始まりだった。




「若駒ステークス?」

 すっかり寒くなってきた12月のとある日のこと。トレーナー室で、ハゲとトレーニング前のミーティング。いつもなら軽くトレーニングメニューを共有して、すぐに移動する。ところが、今日はハゲから今後のレース予定について話そう、と切り出された。
 メイクデビューで負け、その後の2回の未勝利戦でも負け、3回目の未勝利戦でようやく勝てたことは記憶に新しい。しかも未勝利戦に挑戦している間は、色々とあって精神的な余裕もなく、未来のことを考えてもいなかった。ハゲに今後の予定と言われたとき「ああ、そういや考えなきゃなあ」みたいに考えたのも仕方がないだろう。
 呆けた様子の私に呆れたように、ハゲが切り出したのは、1月にあるオープンレース、若駒ステークスへの出走だった。

 ウマ娘のレースはいくつかのクラスに分かれている。ざっくり区別するならプレオープンとオープンの二つ。私は未勝利戦をジュニア級に抜けているため、クラシック級の秋頃まではオープンの扱いだ。そこまで勝てなければプレオープンに含まれるいずれかのクラスに入る。これは勝数によって決まり、1勝クラス、2勝クラス、3勝クラスのいずれかだ。
 クラス分けは「同じくらいの強さのウマ娘がレースでぶつかる」ように設計されている。このあたりの説明は省略するが、とにかく、私がクラシック級の秋までに出られるレースはオープン特別、リステッド、重賞のいずれかになる。若駒ステークスはリステッドであるため、出走するのに問題はない。
 
 とはいえ、その条件に適しているレースは他にもある。例えば、重賞なんかも今の私は出走できる。若駒ステークスと近い重賞で言えば、シンザン記念、共同通信杯などが思いつく。ハゲもトレーナーである以上、それらの重賞は熟知しているはずだ。にもかかわらず、若駒ステークスというオープンレースを選択した理由を知りたかった。

「なんで?」
「嫌か?」
「そういうわけじゃないけど、その、G3とかさ……」

 もごもごと、煮え切らないような気分を持て余す。別に出たくないわけではない。しかし、せっかく挑戦が目に見えている重賞があるわけで、そちらを優先してみたい気持ちもあった。
 そんな私を見て、ハゲが一息ついてから口を開いた。

「今回の若駒ステークスへの挑戦は、単純に言えばクラシック級でのローテーションのためだ」
「ローテーション?」
「ああ」

 ハゲは肯定しながら、ホワイトボードにペンで2つの文字を書く。「三冠」と「ティアラ」だ。その文字と、ローテーションという単語からピンと来る。

 三冠路線。皐月賞、日本ダービー、菊花賞。
 ティアラ路線。桜花賞、オークス、秋華賞。

 中央のウマ娘レースにおいて、クラシック級のウマ娘たちが走りたい、勝ちたいと特に願うレース群。シニア級レースと異なり、クラシック級でしか挑戦できないため、特に栄誉のあるレースと言われている。特に日本ダービーは凄まじく、「ダービーに勝てれば辞めてもいい」と言うウマ娘やトレーナーがいるほどだ。
 当然ながら、どのレースもG1レース。ウマ娘レースの頂点。未勝利を抜けた直後のウマ娘である私には、随分と遠い世界だ。

 そう、遠い世界のはずなのだが。

「え、出れるの?」

 数回ほど大きく瞬き。まさかあのG1レースに出れるの? 私が?
 もしかして、と一瞬だけ期待を持ってしまったのか、そしてそれが表情に出たのか。わからないけれど、どうやら顔をちょっと輝かせてしまった私を、ハゲが呆れたように見る。その表情で冷静になった。落ち着け、私。焦るな、私。

「お前な、G1だぞG1。さすがに未勝利抜けた直後のウマ娘じゃ、登録しても漏れる」
「ですよねー」

 G1レースに出れるのはごく一部のウマ娘だ。出たいウマ娘は多いが、多いだけに優先順位がある。このあたりは省略するが、ざっくり言えばある程度勝っていないとダメ。
 やっぱ無理じゃん、という表情を浮かべた私に対し、ハゲがニヤリと笑った。うわ、うぜえ。

「そこで今回の若駒ステークスだ。勝数を伸ばし、それでも足りないようなら2月末から3月頭のオープンか重賞を狙いにいける」
「……なるほど。目標はあくまで三冠路線かティアラ路線。それまでは重賞を無理して狙わず、『クラシックG1に出走できる』ところまで持っていく、ってこと」
「そういうことだ」

 ふむ。ふむふむ。なるほどなるほど。ほーん。へー。はー。
 悪くないじゃん。

「ハイア。G1、出たくないか?」

 ハゲがニヤリと笑って、そんな問いかけ。私もそれにニヤリと笑い返して、

「……行っちゃう?」
「行っちゃおうぜ!」

 ニヤニヤ気持ちの悪い笑いを浮かべつつ、私とハゲは輝かしい未来を思い描く。
 そっかー。勝てばG1レースかー。こりゃあ頑張るしかないよね! よし行こう!

 ということで。私は年明けにあるオープン戦──若駒ステークスに挑戦することとなったのだ。




 若駒ステークス。中京レース場。芝の2000メートルで左回り。天候晴れ。バ場状態は良。コース条件は3回目の未勝利戦と同じであり、私にとっては勝ったことのあるコースだから相性は悪くないはず。そういう意味でも、このオープン戦を選んだのは正解だったかもしれない。
 今は控室でレースを待っている時間帯だ。いつものように集中を高めつつ、レースを待てばよかったのだが、どうにもハゲの様子がおかしい。

 漏れ聞こえてくる声は、「やっべやらかした」「なんでここに来るんだよ」というなんとも不穏なもの。先程レースの出走者情報を眺めて目を見開いていたため、どうやら出走者に不安があるようだった。

「おいハゲ。鬱陶しいんだけどどうしたの」
「ハゲ言うな! あ、いや、すまん。集中乱したよな」
「まだ時間あるから、それはいい。で、どうしたの。なんかやべーのいた?」

 言いつつ、そう言えば自分は出走者情報をまだ見てなかったことを思い出す。やだ、いくらなんでも酷くない……? ここ数日はトレーニングして疲れ果ててぶっ倒れてみたいな日常だったから、見てる余裕もなかったのはそうなんだけどさ。
 ハゲは苦々しい表情を浮かべつつ、手に持った出走者情報を渡してきた。自分の出るレースのそれを眺める。

「んー……」

 今日の出走者は8人だ。私は2番でかなりの内枠。ロスを可能な限り少なくできるし、やっぱ逃げで今回は行くことにしよう。そんなふうに考えながら、端から出走者の名前を見ていくと、一つの名前にぶつかった。

「げ」
「……覚えてたか」

 覚えのある名前を見つけたの場所は、6番。そこにあった名前は「スピードラビット」。正直なところ、あまり思い出したくない名前だった。何しろ、

「選抜レースのときの腹黒じゃん……」
「腹黒て」

 嫌な思い出の中でも、地味に印象的なのが、ハゲと契約を結ぶキッカケとなった選抜レースだ。芝の1600メートルで12人立て。私は8番で追込を選択したあのレース。とにかくやたらとハイペースになってスタミナをすり潰され、ラストスパートにスピードを出せず、いいとこなしで終わらされたレースだ。
 その中で、一着を獲ったのがスピードラビットだった。逃げを選択した2人を利用してレース全体を高速化し、自身はスタミナを残して最後まで走り抜けた。あの時点でデビューしていてもおかしくない実力を持っていたことが、強く印象に残っている。

「まさかの同期……えー、一個上じゃなかったっけ……?」
「学年はハイアの一つ上だな。デビューは同期で、順調に勝ち進んで現時点で3勝しているらしい。うち一つはG3だからか、ティアラ路線の有力バの一人って評価もあるな」
「なんでここ来たの???」
「わからん……」

 なに考えてんだこのウマ娘。G3に勝っているというのなら、既に桜花賞に出れる条件は満たしているだろうに。レースの感覚を忘れないようにするためとかだろうか。
 ハゲと二人で頭を悩ませるも、答えは出ない。そうこうしているうちに、出走するレースのアナウンスが聞こえてきた。

「……とりあえず、行ってくる」
「おう、行ってこい。気をつけてな」

 スピードラビットへの懸念を胸に、ハゲと手を打ち合わせて控室を出る。乾いた音が耳に残り、心に残る。地下バ道で集中を高めていく。未勝利戦よりも大きめの歓声が届いてきて、これから挑戦するレースが、これまでとは毛色が違うことを伝えてくる。
 地下バ道から抜ける直前に一時停止。瞑目して、深呼吸を一つ、二つ、三つ。緊張で少し速くなっていた心音が落ち着いていく。

 さあ、レースの時間だ。




 そして、やはりというか、案の定というか。あるいは自分の対策不足、調査不足に悪態をつくべきなのか。そのレースは、選抜レースを思い出すような様相を呈する展開となった。

「くっそ……!」

 悪態を付きつつ、後ろからの圧に耐えながら走る。隣には自分と同じく逃げを打ったウマ娘が、必死の形相で走っている。後ろから聞こえてくる足音、息遣い、たまに聞こえる笑うような声。それら全てが、私たちのような逃げ作戦のウマ娘の天敵だ。距離を離したいのに、稼いで最終直線に入りたいのに、それを許してくれない。
 完全な作戦ミス。もう一人逃げがいたことが致命傷だ。序盤に競い合う展開になったことも、中盤からは圧の影響を受けたもう一人が更にスピードを上げたことも、それに釣られてしまった自分も。どれもこれも反省点。

 しかし、今はレース中だ。それらの反省は後でする。今はとにかく、1cmでも先にゴールすることだけ考えろ!

 そうして入った最終直線、得意な坂を駆け上がって、後は平坦な道を残すのみ。坂の途中でもう一人の逃げは落ちていった、後は私が最後まで駆け抜ければそれで勝てる! 勝つ、勝つ、勝つんだ!
 勝利への渇望を燃やし、ひたすら前を目指す。脚を回す。ゴール板はすぐ近く、このまま行けば!

 そして。




「驚いたわあ。まさか、あんたがここまで残るなんて」




 背筋の凍るような、声を聴いた。
 背筋を悪寒が駆け抜ける。見るな、見ちゃいけない。それより、一歩でも速く前へ、ゴールへ進め!

「選抜レースのときと、随分と変わったねえ。随分、速くなった」

 逃げろ、逃げろ、逃げろ! このままゴールまで! さもなければ、

「それに、あのとき感じられなかった欲も見える。くふふ、さぞかし、勝ちたいみたいねえ」

 粘っこい、泥のような声。体にまとわりついて、先へと進む力を奪っていく。その瞬間、声の主が真横に来る。その顔は、選抜レースで見たあの顔だった。細い目の奥に、執念の炎が燃え盛っているようなあの顔。
 そうだ、こいつだ。この顔だ。私ともう一人をひたすら煽り立て、レース全体を支配して、そして今こそ前に出てきた、こいつが──!

「でも」

 横にいたその影が、まるで飛び跳ねる兎のように、私を抜かして前へ征く。その姿を、今度こそスタミナの尽き果てた私は、どうすることもできずただ見ていて。

「このレースは、アタシのもん。ごめんねえ、ワットハイアちゃん」

 全然悪びれもしないような、術中にハマったこちらを嗤うような顔をして、スピードラビットは先頭の景色を奪い去っていった。

『ゴール! レースを制したのはスピードラビット──!』

 ──これが、私とスピードラビットのトゥインクルシリーズでの初レース。今後の競技人生において、何度も何度も競い合うことになる相手への、初めての敗北だった。