第三話 ワイちゃん、ハゲと初トレーニングするってよ

Last-modified: 2022-11-14 (月) 21:03:21

 ハゲと専属契約を結んだ翌日のこと。私は再び、生徒会室へと赴いていた。

「やあ、一ヶ月ぶりだね、ワットハイア。専属契約のことはすでに耳にしているよ。おめでとう」

 歓迎した様子のシンボリルドルフ生徒会長は、心の底から喜ばしそうな表情を浮かべつつ、祝福の言葉をこちらへ伝えてきた。契約した経緯が経緯であったため、その祝福をすんなり受け取ることも心苦しく、曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。
 いや冷静に考えなくてもとんでもねえことしでかしたな、昨日の私。学園のトレーナーに向けて脅迫とか、これだけで退学勧告事案になってもおかしくないだろう。

 私にとっては幸いなことに、あのハゲトレーナーは、脅迫まがいの契約であったことを他の誰にも言わなかったらしい。こうしてシンボリルドルフが笑顔を見せているのがその証拠だろう。まあ、逆の立場なら私も言えないとは思うが。「匿名掲示板で生徒を良くない目で見たことがあると言ったら、それをダシにして専属契約を迫られました」? 言えるもんなら言ってみろって話だ。どう考えても「良くない目で見た」ことを咎められる。こちらへの懲罰の前か後かはともかくとして。

「とはいえ、まだスタートラインに立っただけだ。欣喜雀躍しすぎることなく、二人三脚で頑張っていくことを期待するよ」

 内容としては厳しいものの、その言葉にはこちらを慮るような暖かさがあった。少し、驚く。私はただの雑魚ウマ娘、この人にとっては目に留める価値もないだろう。なのに、退学勧告案を伝えてきたときといい、今回といい、妙にこちらに心を砕いてくれているように思う。不思議なウマ娘だ。
 話は終わり、といった雰囲気を醸し出した彼女に、こちらを気にかけてくれるのなら、少しは質問してもいいだろうと思い立ち、

「あの……質問、いいですか、生徒会長」

 気がつけば、そんな言葉を発していた。

「ああ、もちろん。何かな、ワットハイア」

 シンボリルドルフの耳がピコンと動く。なんだか少し嬉しそうだ。
 質問とは言ったものの、どうにも言葉にならない。聞きたいことはあったが、どう言ったらいいか悩む。上手く、言葉にできない。

 聞きたいことは、一つ。選抜レースで、ハゲトレーナーにあそこまで強引な逆スカウトを仕掛けたときの、あの衝動。

 一晩たった今でも、私は自分が理解できていなかった。レースで負けたときから続く、理解できない自分の衝動。7着という順位に落ち込み、退学は確定と理解していた。寮に行って荷物をまとめ始めてしまえ、という自分の声は、今でも耳に残っている。自分の体が、どうしてもその声に従ってくれなかったことも、はっきりと覚えている。
 そんな経緯を、私はシンボリルドルフに向けて、拙い言葉で伝えてみた。彼女は真剣な面持ちでそれを聞いてくれている。

「自分のことが、わからなくて。なんで、私は……あんな必死に、トレセン学園に残ろうとしたんだろう、って……」

 脅迫まがいの契約を迫ったことだけはごまかつつ、自分をちょっとでも評価してくれた人に、ちょっと強引にトレーナーになってもらった、と伝えてみる。間違ったことは言っていない。あのハゲトレーナー、一応ストライドは褒めてくれていたし。あにまんでだけど。
 たどたどしく、言葉がうまく繰れない。それでも彼女は理解してくれたようで、一瞬瞑目して、目を開き、そして微笑んだ。

 その表情は、なんというか、少し嬉しげで、眩しげで。一種の誇らしさすら感じているような、そんな表情。こんなにもキレイな表情を浮かべられるのか、なんて。自分のことをすっかり忘れながら、私は彼女の顔に見入ってしまった。

「君のことを、少しだけ誤解していたようだ」

 穏やかで、キレイな表情のまま。彼女は、私に向けて頭を下げた。

「謝罪させて欲しい。誤解していたことと、君の質問に答えられないことについて」
「え……いや、そんな、やめ、顔上げてください……!」

 見入っていたことを忘れ、ひたすらに焦る。こっちは小市民だぞ。かの七冠バ、かの皇帝、かのシンボリルドルフに頭を下げさせたなど、誰かに見られたらどうなることか。少なくともしばらくは白い目で見られるハメになる。信者どもに襲われる可能性すら考えると、焦るのも仕方がないだろう。
 私の言葉が届いたのか、シンボリルドルフは頭を上げた。すでに先程のキレイな表情ではなく、それより少し真剣な色が浮かんでいる。そのことに少しもったいなさを感じつつ、彼女の次の言葉を待った。

「ワットハイア。君の悩みだが、先程謝罪したとおり、私はそれに答えられない」
「やっぱ、そう、ですよね。私個人のこと、ですし……」

 なんとなく、この人なら答えられるのではないか、なんて思ったのだが。やはり自分の心のこと、自分で考えるしかないのだろう。しばらくは頭を悩ませるかもしれないな、なんて思っていたのだが、シンボリルドルフが首を横に振った。え?

「いや、私の言葉で、その問いに答えることはできる」
「え……でもさっき、『答えられない』って」

 そうだ、と首を縦に。そして、

「厳密に言えば、『答えるべきではない』だ。その問いは、君自身が答えを出さなければ意味がない」

 パチパチ、と瞼を開いたり、閉じたり。目を白黒させる、なんて表現があるが、それはまさに今のような場面で使うものなのだろう。
 答えられる。でも答えるべきではない。私自身が答えを出さなければ、意味がない。

「どういうことですか?」
「言葉通りの意味だよ、ワットハイア。君の行動、君の衝動。その裏側にあるものがなんなのか──それは君自身が、答えを見つけなさい」

 そう言って、シンボリルドルフは微笑んだ。未だ要領を得ない私に向けて、何かを見たかのように。

「そしていつか、答えを見つけたのなら。どうか私にも教えてくれ。安心するといい。その答えは、きっと悪いものではないから」




 選抜レースから、2日経った。今日は例のハゲトレーナーと初のトレーニングの日。

「えーっと、それじゃあ、早速始めるか?」

 トレセン学園のトレーニング場、芝コースの一角にて、ハゲトレーナーはおどおどしながら、こちらに問いかけてきた。普通にキモい。可愛いウマ娘がやるならともかく、ハゲがそんな態度を取ったところで魅力的でもなんでもない。
 こんなやつとしか契約できなかった自分の無才に苛立つと同時、そもそもこんな態度を取らせている原因が自分の脅迫まがいの契約に由来するものだと考えれば、指摘することもはばかられた。

「…………」
「あの……なんか言ってくんない?」

 罪悪感と、苛立ちと、その他色々な感情がぐちゃぐちゃになって、反応を返すことができない。相手はあにまん民だぞ。しかも若干ウマ娘に対して下心を抱いているような。チラチラとこっちの胸に視線をよこすのもわかってるんだからな。まあ私は可愛いから仕方ない、少しくらいは許してやるけれど。というか気にしてたら街を歩けん。
 どうにもスッキリしないし、仕方がない。この際だからいっそ謝ってやろう。そうすれば、少なくとも罪悪感は薄れるはずだ。

 そんなふうに考えて、口を開きかけたそのとき。ハゲトレーナーが、何かピンときた表情を浮かべて、

「あっ、もしかしてアレか? せい──」
「死ねクソハゲ!!!!!!」

 デリカシーゼロのクソ発言をしかけたクソハゲに向けて蹴りを飛ばす。クソハゲの腹に突き刺さった。衝撃に崩れ落ちるクソハゲ。罪悪感が残らないように、人間の出せる威力程度に抑えてある。抑えたつもりだ。少しオーバーしたかもしれないが、クソハゲのクソ発言への代償としては安いもんだろう。
 こいつ……ハゲてる上にあにまん民で、しかもデリカシーまでないのか……。

「とんだハズレくじを引いた……!」
「そりゃ俺のセリフなんですがねぇ?!」

 ゲホゲホ、と咳をしながら、クソハゲが立ち上がる。その姿を見ていると、先程まで感じていた罪悪感などどこへやら。なんなら罪悪感を抱いていた自分に対して申し訳なくなってくる。感情を無駄遣いした。

「んで、どーすりゃいいの」
「うわあ、ウマ娘が人間を蹴っておきながら、何事もなかったかのように話進めてるよ……」
「は?」
「すみませんなんでもないですごめんなさい許してください」

 攻めるような視線を向けてきたので、目を細めて凄んでみる。ここ数ヶ月で悪化した目付きの悪さは、もはやチンピラのそれに近い。そんな視線を向けられたクソハゲは、すぐに謝罪の言葉を並べ立てた。弱い……。
 こいつ、トレーナーなんて呼んでやる必要ないな。ハゲで十分だ。

「いいから、私は何すりゃいいか教えろハゲ」
「あの……呼び方ってそれで固定ですかね……? 名前教えてませんでしたっけ……?」
「文句あんの」
「ないです。すんません。許してください」

 少し横暴かな、と思ったが、年頃の女子になんの躊躇いもなくあんな質問を飛ばすこいつが悪い。いやまあ、アスリートとして月のものの影響は報告する義務があるのは理解している。だがそれにしたって、公衆の面前で話すような話題ではない。そして公衆の面前であるトレーニング場、どう考えてもハゲが悪いと結論する。

 ハゲの言葉を待ってみれば、そのハゲはちゃんとしたトレーナーの顔になって、手元の資料を見る。軽い確認だったようで、すぐにこちらに視線を戻した。

「何しろ契約したばっかりで、正直なところ何もわかってなくてな。以前の模擬レースは見たが、実際に目で見ないとわからないこともある。そんなわけで、今日は現状確認だ。距離、作戦、バ場。それぞれ色々と試してみようと思う」
「ふーん……模擬レース見たんだ……」

 少し、嫌なことを思い出す。すぐに振り払う。

「適性迷子、低性能の自在脚質。それだけじゃ不十分なの?」
「言ったろ、実際に見ないとわからんこともある。とりあえず、1200、1600、2000の芝とダート、計6本。長距離はジュニア以前のお前には早いから今日はいい。作戦に関しては、とりあえず今日は追込のつもりで走ってくれ」
「『今日は』?」
「距離、バ場、作戦を組み合わせたら、全部で24だぞ。流石に初日からそんな無茶させられん」

 なるほど、確かに。理に適っている。というか6本でも、距離にしたらかなり長い。全力で走るわけではないとは言え、短時間でそんな距離を走れば、ウマ娘によっては怪我をしてしまいそうだ。
 私は今まで足にまつわる怪我をしたことはない。勝手に頑丈だから、などと思っていたが、これまでは運が良かっただけの可能性も十分ある。壊れないようにある程度慎重になるのは納得できる判断だった。

「追込を選んだのは?」
「選抜レースでやってたからな。ダイスでもいいが、どうする?」
「トレーニング内容をダイスで決めんな。頭あにまん民か」
「お前も似たようなもんだろ……」

 ジト目で反論される。ぐぬぬ、何も言い返せない。考えてみれば、あにまん民であることの判定は、あにまん民にしかできない。あの場で書き込み履歴を示した時点で、私もあにまん民であることが、このハゲには伝わってしまっていたはずだ。
 レスバで負けたことの悔しさを覚えつつ、ハゲの方針に納得する。

「とにかく、わかった。どれから?」
「芝の1200からやろう。ちょうどコースもあいてるしな。大体7割か、8割くらいで走ってみてくれ」
「了解」

 言葉を交わし、トレーニング場のコースへ。ゲートがあるわけでもない、ただハゲの声に従ってスタートして、走ってみればいい。

「準備良いかー?」
「いつでも」

 スタートダッシュの体制を取る。軽い前傾姿勢。ゲートはないとはいえ、ゲートから飛び出す前と同じ集中。

「よーい」

 耳をすませ、スタートの合図を待つ。待つ。待つ──

「スタート!」

 飛び出した。




「はぁっ……はぁっ……ふぅっ……! ……で、どうだったの」

 芝、ダート。1200、1600、2000。6通りの組み合わせをすべて走り終えた私は、息を整えつつ、手元の資料を睨みつけているハゲに声をかけた。人が必死に走っているというのに、このハゲときたら途中からどんどん表情が険しくなっていった。険しさの理由は、大方予想できている。きっと、私の才能の無さに、これからどうやってトレーニングしたものかと考えているのだろう。
 別にそのことには怒りを覚えない。もう何ヶ月も前に通った道だ。自分自身で納得している以上、人にどう評価されたところで、別に悲しむことでもない。

 開き直りとともに、ハゲに言葉を促す。しかし、ハゲも何やら集中しているようで、答えが返ってこない。時折「これは……」「いや、しかし……」みたいな言葉が聞こえてくるが、ウマ耳にすら聞こえづらい程の声量であるため、詳細はわからない。
 返答が返ってこないことに苛立ち始め、いっそのこと耳元で叫んでやろうかと思い始めたとき、ようやくハゲが顔を上げた。

「お、やっと戻ってきた。で、どう──」
「すまんワットハイア。今日はここまでだ。ちょっと急用ができた」

 突然トレーニングの中断を言うと、ハゲは急いだ様子で荷物をまとめ始める。は、いやちょっと待て。置いてけぼりにされている私を他所に、ハゲは帰り支度を終えてしまった。そのまま背を向けて去り始める。

「あ……ちょっと、おい、ハゲ!」

 私のことを放置したまま、ハゲは遠くなっていく。そして、だいぶ距離が空いてから、くるりと振り返ると、

「あ、そうだ。やっぱ明日からは普通にトレーニングすることにした。仲のいい友人がいるなら、できれば連れてきてくれ!」

 なんて、突然の指示を投げて、再度反転。軽い音を立てながら、トレーニング場から消えていった。
 立て続けに起こった出来事に、思考が完全に停止する。しばらくそうして呆然としていたが、次第にふつふつと怒りが湧き上がってきた。

「ふ、ふふふ……ははは……」

 えーっと、じゃあ、なにか。

 芝、ダート、距離3種類の計6本を、計測のために走らせておきながら、私に一切その内容を説明せず、自分は見ながらやたらと険しい顔をして?
 急に用事ができたとか言って、手早くトレーニングを終わらせたかと思えば、私に一切その意図を説明せず、明日の予定を一方的に決めて?
 挙句の果てに、私に一切その理由も説明せず、「明日からトレーニングするから友人を連れてこい」と勝手に告げて?

 そして、そんな説明不足を謝罪もせず、スタコラサッサと去っていったのか、あのハゲ。

「ふ」

 一息。

「ふざけんな、少しは説明しろクソハゲェ────!!!」

 怒髪、天を衝く。
 自分の体験としてその言葉の意味を痛感した私は、トレセン学園中に響けとばかりに、怒鳴り声を吐き出したのだった。