第六話 ワイちゃん、未勝利戦に挑むってよ

Last-modified: 2022-11-13 (日) 20:53:40

「ねえハゲ」
「ハゲ言うなって。なんだよ」

 3回目の未勝利戦に向けたトレーニングをしていたときのこと。次の未勝利戦は中京レース場で、長めの最終直線と、急勾配の坂が特徴的だ。スタミナとパワーを重点的に伸ばすと二人で決めており、今日はスタミナの強化のために室内プールでトレーニングに励んでいた。学校指定の水着を着てみせたところ、ハゲの鼻の下が伸びたことに呆れつつも、一応は真面目に取り組んだ。
 今はトレーニングも一区切りして、プールサイドで小休止。散々泳いだため、全身に疲れが満ちている。とはいえそれほど嫌なものでもなく、頑張ったなー、という心地よさがある。メンタルの状態ってここまで影響するんだなー、なんて思う。二人揃って恥ずかしい思いをしたあの日を境に、随分と気楽にトレーニングできるようになっていた。

 ハゲと並んで休憩しており、トレーニングの効果がどうだのこうだとの話し終えて、今はただ休んでいるだけ。手持ち無沙汰に天井を見上げてみると、ふと以前の模擬レースで勝てなかったことを思い出す。
 よく考えてみれば、あのとき散々負け続けたのは何故だったのだろう。いや単純に私が弱いから、というのはあったと思う。しかし、メイクデビューまでに速くなれたことや、今もこうしてスタミナがついていっている実感があるとなると、一勝すらできなかったあのときのことはどうにも奇妙だ。結構必死になってやってきたわけだし。
 そこで、そんな前々から不思議に思っていた疑問を、ハゲにぶつけてみることにした。

「私さー。模擬レースでなんで勝てなかったん?」
「は?」
「いやほら、私って少しは速くなってるじゃん。スタミナも、パワーもついてる」
「そうだな」
「そうなると、模擬レースの時期に一回も勝てなかったのがよくわかんなくって。トレーニングすれば能力はつくわけだし、他の連中も頑張ってたのはそうなんだろうけど、それにしたって一回くらい勝てても良かったと思わない?」

 どうにも納得いかない。あの時期に一回くらい勝ててれば、私はあそこまで曇らなかったんじゃないかなー、と思うのだ。いくらなんでも曇り過ぎだと思うんだよ。あにまん民だって人権はある、あそこまで曇らされる理由とかなくない? ファッキンゴッド。
 そんな疑問をぶつけられたハゲは、どこかキョトンとした表情をしている。うわ似合わねえ。そういうのは私みたいな美少女がやってこそであって、ハゲた成人男性がやったところで可愛くもなんともない。

「なんだお前、気がついてなかったのか?」
「は?」

 ハゲは心底意外そうな顔をして、私はその表情が理解できなくて。そして、次にハゲから発せられたその理由を聞いて、

「……は、はは、あっははははははは! なるほど、それじゃ確かに模擬レースで勝てないわ、あはははははははは!!」

 室内プールに響き渡るような大声で、思いっきり笑ってしまったのだった。




 そして、いよいよ3回目の未勝利戦。

 中京レース場、芝の2000メートル。左回り。今日は10人立てのレース。私は10番、一番外側。昨日の夜から今も降り続けている雨の影響で、バ場状態は不良と発表されている。天気予報ではそろそろ晴れそうなのだが、私の走る未勝利戦は雨の中を走ることになりそうだ。
 普通こういう展開なら晴れた良バ場になるもんじゃないだろうか。これまで散々曇ったんだぞ、私。それが晴れつつあるんだから、そのタイミングくらい晴れてくれたっていいじゃないか。あにまんでこんな展開のSS投稿してみろ、ボッコボコにされるぞ。……いややっぱ喜ばれるか? 曇らせ好きなの多いし。

 控室の中で、ぼんやりとそんなことを考える。ちょっと気が散っている証拠だ。ガラもなく、どうやら緊張しているらしい。視線を向けてみれば、ハゲも随分と緊張している様子だった。時計を見たり、こちらを見たりを繰り返している。
 そういえば、メイクデビューのときもあんな様子だったな、なんて思い出す。きっとハゲは、あのときも今の私のように緊張していたのだろう。あの日に聞いた言葉を思い出し、ずっと私を支えようとしていたことを理解する。なのに私は、それを全く無視していた。なんとも薄情者だなー、なんて自虐する。しかし、それにしても。私はなんでこんなに緊張しているのだろう。これまでとの違いなんて、レースに臨む心持ちくらいなもので。

「あ、そっか」

 ふと、気づく。これまでとの違いは、レースに臨む心持ちだけ。これまでの私が、レースに臨むときに考えていたのは主に二つ。「勝つのが当たり前」か「どうせ勝てない」のどちらかだった。そりゃあどちらも緊張するはずがない。

 勝つことが当たり前と言うのなら、それは呼吸と同じこと。息を吸って吐くだけの行為に、何を緊張しろというのか。
 どうせ勝てないと諦めているのなら、それはただの観客でしかない。レースを見るだけなのに、どこで緊張しろというのか。

 どちらの心持ちも、緊張には結びつかない。だから、この緊張は、きっと。
 そこから先は、言葉にしない。きっと、レースの中で必要になる心だから。今はただ、まだ名前を付けていないこの心を、大切に持っていくことにしよう。

 私の独り言が聞こえたのか、ハゲはこちらを心配そうに見ている。その姿が何となくおかしくて、少しだけ笑う。このハゲ、これから先もずっと、こんなふうに心配し続けるのだろうか。するんだろうな。ありがたいことに。絶対、感謝を伝えてなんてやらないけど。恥ずかしいし、さ。

 そして、未勝利戦のアナウンスが聞こえてくる。それを合図に立ち上がり、ハゲと向き合う。

「行ってくる」
「ああ……行ってこい」

 その声がどのような音だったのか、私ははっきりと覚えている。その顔が、どのような表情だったかも。
 きっと、少し緊張していて、それでもスッキリした顔をした私を、応援するそれだったのだろう、と。そんな回顧を、私はこれから先、何度でもすることになるんだろう。

 手を打ち合わせ、控室を出て地下バ道へ。高い音が耳に残って、私を鼓舞する音になる。

 地下バ道を歩く。ここだけは、私は一人ぼっち。でも、心には寄り添う熱がある。一人ぼっちだけど、一人じゃない。勝ったときの喜びも、負けたときの痛みも、分かち合う人がいることを、私は知っている。
 緊張はあれど、穏やかな心持ちで進む。そしてその道の途中で、一つの影。同じ未勝利戦に出るウマ娘だと、すぐにわかった。そして、見覚えのある顔立ちをしていることに気がついて、

 そこにいるのが、最初の模擬レースで一着を取ったウマ娘だと、すぐに気がついた。

「……大丈夫……大丈夫……私は、勝てる……勝てる……だって、私は……!」

 真っ青な顔をして、ブツブツと呟き続けている。その姿に、過去の自分が重なった。目は落ち窪み、暗くなっていて。自分の価値を信じられなくなっていて。それでも、過去に勝っていた自分を、どうにか信じようとしている姿。
 きっと、あの模擬レースの後に、彼女も何度も何度も負けたのだ、と理解した。私と同じように、幾度となく。心がずたずたになるような、そんな傷を負い続けた。

 ああ──彼女は、私だ。最初の模擬レースで、勝ってしまった私なんだ。

 まるで鏡を見ているようで。きっと、最初の模擬レースで勝ててしまえば、私もああなっていたに違いない、そう思う。最初に勝ててしまえば、自分の才能を信じてしまうから。中央でも地元と変わらず、天才なのだと誇り続けることができるから。そうなってしまえば、私はあれほど必死になれただろうか。きっと、そうではない。

 もう一人の私。別世界線の私。あなたもきっと、辛いんだと思う。苦しいんだと思う。わかるよ。だって、私もそうだったんだから。

 ボタンを一つ、掛け違えたような。そんな彼女を横にして、私は地下バ道を歩む。話すことなどなにもない。共感はするが、それだけだ。ここから先はレースの場であり、何を思っていようとも勝負の場。どちらかがどちらかを下し、一人だけが先に進む評価の地獄。
 それでも、その先を求めるのならば。きっと、最後に必要なのは、今この心にある熱だけだ。

 心にある熱を確かめながら、私は未勝利戦のゲートに入った。

『足元悪い雨の中、中京レース場、芝2000、10人のウマ娘たちが挑みます』

 実況の声が聞こえる。ゲートの左右から、他の出走者たちの息遣いが聞こえる。メイクデビューのときよりも、遥かに暗い情念が伝わってくる。私は勝てる、勝つ、次に進む。絶対に、絶対に、絶対に。そんな意気込みが伝わってくる。
 きっと、彼女たちは速いのだろう。でも、私だって負けていない。これまでずっと積み上げてきたものがある。それが信じられることを、今の私は知っている。

 だから、今はただ、スタートに集中する。ゲートが開いたら飛び出して、後方について、最後に抜き去る。
 耳を澄ませ、目を凝らし、スタートの合図を待つ。待つ。待つ──

『スタート!』

 ゲートが開くと同時、飛び出した。

『3番と7番、出遅れたか!』

 実況の声が聞こえて、出遅れたウマ娘の存在を知る。きっと、彼女たちは焦ることだろう。スタミナを鍛えていなければ、きっと沈んでいく。
 スタートダッシュを上手く決めた私は、他のウマ娘よりも前に出る。今回の作戦は追込であり、逃げるつもりはない。しかし、こうしてこの位置についた以上、利用させてもらうのがいいだろう。逃げの作戦をよく採用するウマ娘二人に、視線を向ける。焦っていることが伝わってくる。ここで多少なりともスタミナを消耗させようと、彼女らにちょっとだけ競ってやる。私の脚質は自在だから、逃げでやられたら嫌なことも理解しているつもりだ。
 案の定、逃げウマ娘二人はそれで更に焦ったらしく、脚を使って前に出ようと試みた。こうなってしまえば、後は二人で位置取り争いを繰り広げ、スタミナを消耗していくだろう。そう見込んで、私は脚を溜めるべくスピードを落とし、本来の追込の位置へと。そろそろ最初のコーナーだ。

 コーナーを曲がりつつ集団の最後方へ。今日の追込の人数は、私を含めておそらく2人。逃げ2人、先行4人、差し2人、追込2人。ある程度バラけたが、先行の人数が多め。最後方への移動時に、他のウマ娘たちを観察する。

 逃げの2人は先程の影響でかなり前へ進んでいる。
 先行4人のうち2人はそれに釣られているようで、多少掛かりが見える。残りの2人は冷静なまま、スタミナを残しつつどう追走するかといった顔。
 差しの1人は冷静な先行に上手く付き合っているが、もう1人は出遅れたために冷静さが乱れている。
 そして、追込の一人は随分後ろだ。彼女のところまで下がる必要はないと判断し、差しの2人の後ろにつける。

 地下バ道で見たあの子は、冷静さを保った先行の一人だ。地下バ道の様子が様子だったため、もっと焦ったレースをするのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。感心する。

 後方にて集団を追走し、向こう正面の直線へ。バ群はそれほど伸びていない。逃げの2人からすれば厳しい状態だろう。この距離ならば、後方脚質であっても十分に届く。加えて、私の揺さぶりによって彼女たちはスタミナを消費しており、ここから更に距離を取ろうとすれば、最後まで脚が持たない。つまり、どん詰まり。
 逃げの2人から意識を外す。彼女たちのことは、もう忘れていいだろう。もしかしたら騙されているだけかもしれないが、そんなことができるなら、この時期の未勝利戦まで残っていることはないだろう。

 最終直線の長さを考えても、バ群が広がりすぎれば私に勝ち目はない。しかし、現状のまま進むのであれば、これはもう直線勝負だ。

 向こう正面の直線を抜け、コーナーへ。跳ね上がる水を受けながら、遠心力をいなしつつ曲がっていく。コーナーの序盤から、前方集団が動くのが見えた。どうやら、焦った先行が早めに仕掛けたらしい。隊列が動き始める。
 どうする、私も行くべきか? 少し悩み、まだ溜めることを決断。焦って動いた先行は、序盤で掛かっていたうちの1人だ。つられてもう1人も加速し始めたが、冷静だった2人に動く気配はない。眼前の差し2人はそれに焦れ始め、動くべきか悩んでいる様子。

 そして、いよいよ最終コーナーへと入っていく。全員が勝利を求め、動き始める。

 まず最初の動きは、逃げ2人の速度が落ちたことだった。不良バ場に加え、序盤の揺さぶり。位置取り争い。そうした諸々の条件が組み合わさって、スタミナが尽き始めた。なんとか走っているという体だが、あれではラストスパートに速度が出せないだろう。
 逃げ2人が崩れたのを見て、これまで冷静に動いていた先行2人が動き始める。私もほぼ同時に、動くことを決めた。それから数瞬遅れで、他の先行と差しの4人も本格的に加速し始める。

 詰まっていくバ群。私もその流れに乗り、速度を高めていく。途中で逃げ2人を抜いて、現在7位。案の定、最終挑戦での勝負になりそうだ。

 コーナーを曲がりつつ、いよいよ最後の直線へ。高低差2メートルの急勾配が目に入り、焦って動いた先行と、悩んでいた差しの合計4人が、その坂を見て動揺する。失敗したことを悟ったのだろう。
 私はそれを脇目にして、追込でいつも取る外側のポジションへ。多少距離を多く走ることになるが、連日のスタミナトレーニングで鍛えておいたために、まだ十分走れる。

 目の前から、誰もいなくなる。後は真っ直ぐ、この道を駆け抜けるだけ。身体能力は、十分足りている。そのことを、私はもう知っている。信じられている。

 トレーナーとの会話を、思いだす。

『なんだお前、気がついてなかったのか?』

 あのプールサイドで質問した、模擬レースに勝てなかったその理由。わかってしまえば笑えてしまうようなそれで、納得してしまうようなそれ。

『単純な話だよ。トレーニング内容が違ってたんだ。お前はひたすら体作りをしていて、レースに勝つためのトレーニングをしてなかった』
『…………? えっと、なんか違うの?』
『事前準備と本番の違いだ。トレーナーのトレーニングに耐えるための体作り、とでも言えばいいか』
『…………え、ならつまり、私は「レースで勝つため」じゃなくて、「レースで勝つトレーニングのため」にトレーニングしてたってこと?』
『そういうことだな。初トレーニングの時はめちゃくちゃ驚いたんだぞ。体の準備が十二分にできててさー』

 わかってしまえば当然のこと。指導教官の仕事は、私達の体を作ること。トレーナーが付いた後の、成長効率を高めること。そして、トゥインクルシリーズで勝っていくための準備をすることなのだから。指導教官にメニューを作ってもらえば、そうしたメニューが作られるのも当たり前。
 あの時は思わず笑ってしまったが、それでも今では感謝している。模擬レースで勝てなかった私は、今こうして、この最終直線を駆け抜けるための身体能力を、十分に獲得できているのだから。

「────ふっ!」

 水たまりを踏み抜いて、大地を蹴りぬき加速する。跳ねるようなストライド。トレーナーと鍛えた、私が最速で前に進むための走法。指導教官のメニューで鍛えた身体能力が支える、私の武器。

 左で走っているウマ娘を見つつ、更に加速。加速。加速。

『外から追い込んできたのは10番、ワットハイア!』

 実況の声が聞こえた気がしたが、そんなものを気にしていられない。ただ、前へ。前へ。前へ!

 いよいよ坂へと。ここまで走ってきてスタミナを消耗した身に、この急坂は壁のように感じる。事実として、焦れたり掛かったりしてスタミナを消耗した先行2人と差し2人は、ここに来て急激に速度が落ちていく。残りは、私と先行の2人だけ。
 坂を駆け上がる。跳ねるように登っていく。その脇で、また一人先行の子が下がっていく。残ったのは、私と、鏡のような彼女だけ。

 ちらりと顔を向ければ、必死そうな顔。そしてそれに混ざる、疑問の色。

「なん、で……! 私は、天才、で……!!」

 それを聞いて、一瞬だけ瞑目する。

 何故こんなことになっている? 私は地元では負け知らずで、天才と認められていて、事実としてトレセン学園に入学することもできて、模擬レースでも一着を取れて、なのになんでこんなことになっている?

 彼女の心が、手にとるようにわかる。わかる。わかるよ。だって、私はあなたで、あなたは私だ。鏡の中の私。最初の模擬レースに勝ってしまった「もしも」。
 辛いよね。苦しいよね。わかるよ。地元の天才だった私。勝つのが当たり前だった私。手の届かない勝利に、いくつもの傷を付けられた私。
 その痛みを。その傷を。認めたくなくて、忘れてしまいたくて、だから、たった一つの思いに蓋をして走っている、私。

『笑止。「勝てそうだから勝ちに行く」などという惰弱、貴様はこの舞台に相応しからず──疾く、降りよ』

 刀の幻聴が聞こえる。それに、今は笑って答えられる。

 まったく、その通りだ。あのウマ娘には、いずれ謝罪しなければならないだろう。「勝てそうだから勝ちに行く」なんて、負けることを受け入れる代わりに、傷を負わないようにしたウマ娘の言い分だ。彼女が惰弱と切り捨てるのも、この場に相応しくないと断ずるのも、まったくもって正しい。
 だって、

「私は──」

 さあ、控室でのあの緊張を生んでいた心に、今こそ名前を付けてやろう。なに、驚くような名前じゃない。そんなものかと言われたって仕方ない。きっと、中央では誰もが当たり前に持っている心の名前だ。誰もが持っていて、でも叶えるのが難しいからこそ、誰もが忘れてしまいたくなる、その心の名前。




「────勝ちたいッ!!!」




 勝利への渇望と。心の熱に名前をつけた。

 刀の幻聴が消え失せる。「勝てるから勝つ」でも「勝つことなんて当たり前」でもなく、私は勝ちたい。勝ちたい。勝ちたい! 負けることへの恐怖も、勝ちたいという願いとともに挑むからこそ生まれるもの。負けたときの悔しさも、勝ちたくて、全力で挑んだからこそ得るもの。
 だから、この感情の名前は、勝利への渇望に他ならない!

『ワットハイア、更に加速! 坂を跳ねるように、高みへと登っていく──!』

 他のウマ娘を抜き去り、一人だけ先へ。先頭の景色を得ても、ゴールするその瞬間まで脚は緩めない。緩めて抜かれるなど冗談じゃない。私は勝ちたい。勝ちたい。誰にも負けたくなんてない。この場所で、このウマ娘レースの頂点たる中央で。
 どれだけ悔しい思いをすることになっても、どれだけ負けることがあろうとも、もう大丈夫。この胸にある勝利への渇望と、隣で支えてくれる人がいる。だからきっと、私はこの地獄を走っていける。

 ただ一つの、勝利だけを目指して。駆け抜けた先にある輝きだけを、この目に映しながら。

『ゴォォ────ル! レースを制したのはワットハイア! 急坂を登りぬけ、ついに勝利をつかみ取りました!!』

 だから、さようなら。鏡のようなあなた、地元の天才だった私。私はこれから、この場所で走っていくよ。

 僅かな晴れ間が覗き始めた空を見て、酷い息切れを整えながら、私は勝利を手にした腕を掲げた。