第四話 ワイちゃん、メイクデビューに挑むってよ

Last-modified: 2022-11-13 (日) 20:51:39

「合同トレーニング? いいけど……なんで?」
「知らない。あのクソハゲの考えてることなんてわかるもんか」

 ハゲとの初トレーニングの翌日。私はハゲに言われたとおり、友人を合同にトレーニングに誘っていた。

 反発して誘わないことも考えたのだが、もしそうした場合のことを考えたところ、より不愉快な展開になるであろうことが予測できた。具体的には「え、お前トレーニング誘う友達もいないの? そ、そうか……ごめんな?」みたいな。もしくは「トレーニングに誘う相手もいないとかぼっちっスかwww」。想像するだけで腸が煮えくり返る。あのクソハゲ、絶対殴ってやる。
 とにかく、クソハゲに憐れまれるか、笑われるかしたら、間違いなく私はキレる。それなら素直に従っておいたほうが精神衛生上マシだろう。それに、この友人はまだトレーナーがいない。「トレーナーありのトレーニングを受けてみたい」と以前言っていたので、ウィンウィンと言ったところだろう。

 ウイニングショット。通称ショット。野球好き。私とは違うネット掲示板に入り浸り、そこでレスバをする似た者同士。そういう相手なので、私にとっては気兼ねなく話せる友人だった。

「やっとトレーナーが見つかったかと思えばそれ? 相性悪いんじゃない?」
「正直ハズレくじ引いたと思ってる」
「脅迫して手に入れた相手をハズレくじ呼ばわり……うわあ……」
「うっさい」

 指摘に苦味を覚えつつ、気まずさから視線を外す。ショットには契約回りのアレコレをぶちまけていた。ドン引きされたものの、退学勧告のことから伝えていたために「それなら仕方ないわ」と納得しつつも呆れていた。ありがたい友人だと思うものの、こうしてネタに使われるなら話すんじゃなかったか、と少しだけ後悔。

「それで、私以外は誘ったの?」
「誘った……マグとツバキ。どっちにも断られた」
「あー、まあその二人なら仕方ないわ……」

 私が誘った二人の名前を聞き、納得顔のショット。どちらも名門ウマ娘であり、しかもどちらも既にトレーナーがついている。急にトレーニングメニューを変えることはできない、とのことで、どちらからも断られてしまったのだ。マグことエスエヌマグネットの残念そうな顔と、ツバキことタマユラツバキの悲しそうな顔が思い出された。
 とはいえ、ショットの言うとおりだ。こういうこともあるだろう。仕方ない、仕方ない。むしろショットだけでも釣れたことを喜ぶべきだ。

 二人で連れ立ってトレーニング場へ向かう。その間にも会話は絶えない。私によるハゲへの愚痴、ショットによるトレーナーが見つからない愚痴。二人ともなかなか勝てないことへの愚痴。愚痴ばかりだ。しかし、

「まあ、それでも良かったと思うよ」

 トレーニング場まで後少しのところで、愚痴の切れ目にショットがそんなことを言った。怪訝に思い、そちらに目を向ければ、安心したような表情のショット。その安心感が何に由来するものかわからず、少し困惑する。その感覚が伝わったのか、ショットが続けた。

「ちょっと前までのハイア、見てらんなかったし。今は随分と良い顔してる」
「はあ……? なにそれ」
「自覚ないんだ?」

 言って、ショットが笑う。
 ちょっと前までの私? 今は随分と「良い顔」? 何を言っているんだこのやきう民。何か反論してやろうと口を開きかけたものの、どうにも言葉にならない。くそ、レスバで負けた気分だ。

「ちっ……」
「目つき悪い上にガラまで悪くなってるよー。顔だけはいいんだから、もうちょっと振る舞い気をつけなー」
「うっさい。私は顔だけじゃなくて体も良い」
「あんた外見には無駄に自信あるよね……」

 私の外見が完璧なのは事実だろう。自信を持って何が悪い。胸を張って見せれば、呆れたようなショットの顔。ふふん、どうだ。大きかろう。羨ましかろう。
 はいはい、わかったわかった。なんて雑な返答を聞いたところで、トレーニング場に到着。その場にはすぐにハゲが待っており、こちらに手を振っているのが見えた。今の私は間違いなくうんざりした表情を浮かべている。

「ねえハイア」
「何」

 そして、手を振っているハゲを見たショットが、ちょっと引きつったような表情を浮かべつつ、

「マジでハゲてんじゃん」

 容赦ない一言。どうやらその言葉が聞こえたらしく、視線の先にいるハゲが崩れ落ちた。
 くっそウケる。ざまーみろ。




 その後、トレーニングは順調に進んだように思う。

 ハゲているし、下心を持っているけれど、それでもハゲは中央トレーナーだったらしい。自分の体のあちこちに、こんなにも使っていない筋肉があったのかと驚かされるほど、毎日のように筋肉痛に襲われた。しかも毎日違う箇所。トレーニング内容を調整し、負荷のかけ方を変化させることにより、超回復させつつ、他の筋肉を鍛えている、とかなんとか。

 ショットもまた、私と同じ様子だった。あの後すぐにトレーナーが見つかったとのことで、毎日合同でトレーニングしていたわけではない。しかしやはり、トレーナーありのトレーニングは自主トレとは違うというのは共通しているようで、二人揃って死んだような目で夕飯を食べる機会は多かった。
 ショットではなく、マグやツバキとも何度か合同でトレーニングを実施した。この三人は得意な走り方、戦術が違う。低性能ではあるが、自在脚質の私にとって、こうして多様な走り方を知れることは二重の意味でありがたい。真似するという意味と、対策するという意味で。

 そうしてトレーニングすること、数ヶ月ほど経ったある日のことだった。

「ワットハイア!」

 トレーニング場の芝コース。その1600メートルを走り抜け、クールダウンを済ませたところに、ハゲから声をかけられた。相変わらず眩しい頭だが、数ヶ月も一緒にやっていればいい加減慣れる。私はタオルで汗を拭きながら、ハゲのもとへと近づいた。

「何」
「ああ、これ見てくれ」

 そう言って、ハゲが差し出してきたのは一枚の紙。紙の上部には私の名前に加え、ハゲとの初トレーニングの日付と、今日の日付が書かれている。他にも芝、1600メートル、トレセン学園トレーニング場、といった文字が見えるが、それ以上に目立つのは中央にある表とグラフだ。
 表には日付の列と、タイムの列。グラフは横軸が日付、縦軸がタイムになっている。グラフの縦軸は90から110までで、中心付近に太めの横線が引かれている。太めの線の左横には、小さく「メイクデビューライン」と書かれている。
 なるほど、どうやら私のタイム記録で、メイクデビューの見極めをするためのものだったらしい。納得してしっかりと眺めて見る。まあどうせ、ラインにはまだまだほど遠いんだろうなー、なんて考えつつ。

 なのに。

「え──」

 目に映ったのは、間違いなく右肩下がりのグラフ。
 そして、メイクデビューラインのタイムを、ここ数回は上回っているという事実だった。

「こ、これ……!」
「ああ、おめでとう! トゥインクルシリーズに出られるぞ!」

 まるで我が事のように喜ぶトレーナー。今にも飛び跳ねたり駆け出したりしそうなほどに嬉しそう。頭頂部ではなく、目の端に輝くものが少しだけ見える。自分自身のことではなく、私のことだと言うのに。本当に、まるで自分のことのように喜んでいる。
 確かに喜ばしいことだ。メイクデビューに出走できるのは、トレセン学園に入学した生徒のうち、およそ6割程度。大抵の場合は、メイクデビューに出る能力が不足していると判断されて、出走すら許可されない。だからこそ、こうして「メイクデビューに出ても良い」という事実は、間違いなく、喜ばしい事実であるはずだ。

 でも。それなのに。嬉しいこと、のはず、なのに。
 私が感じていたのは、喜びではなく。何故、どうして、という疑問だった。

「ワットハイア?」

 トレーナーの声が聞こえるも、答えることができない。何故、どうして、わからない。思考がぐるぐる回っている。なんでタイムが上がっている? なんでメイクデビューできるラインを超えている? 私が? 何故?
 わからない、わからない、わからない。だって、私には才能がないんだから。どれだけトレーニングしても、一度だって勝てなかったんだから。あれだけ辛くて、苦しくて、しんどい日々を送っていたんだ。にもかかわらず、どれだけ望んでも、勝利だけは手に入らないという現実を突きつけられ続けてきたのに。

 こうして速くなるというのなら。速くなれるというのなら。
 どうして、私はあのとき勝てなかったんだ。

 疑問を飲み込む。わからないけれど、いっそ怒りすら感じるほどにわからないけれど、今は飲み込む。今は。

「……なんでもない。メイクデビュー、いつできるの」

 疑問も感情も何もかも、自分の中に押し殺して。私は、自身のデビュー日を問うた。
 手にある自分のタイム表を通して、過去の模擬レースの思い出を睨みつけながら。トレセン学園にしがみつくため、脅迫まがいの契約を迫った記憶を睨みつけながら。
 そして、それら全ての疑問の答えが、メイクデビューの先で待っていると──そんな予感を、握りしめながら。




 いよいよ、メイクデビュー当日になった。

 東京レース場、芝1600メートル。左回り。選抜レースと同じバ場、同じ距離。直前に降った雨と、今もなお続く曇り空のせいで、バ場状態は稍重とのことだ。長い直線が特徴的なコースで、差しと追込が有利とされる。
 今日のメイクデビューは9人が出走する。私は6番だ。これまでの傾向から、逃げ1人、先行3人、差し3人、追込2人と予想されている。私は追込だ。自在脚質であることは、こうした明確な有利不利のつくコースほど輝く。後方脚質が有利というのなら、それを採用しようと決めた。

「ふぅー……」

 レース直前の控室。着替えも済ませ、今は集中力を高めている。
 あの日から、ずっと疑問が頭の中にある。何故私は速くなれたのか。何故私は模擬レースで勝てなかったのか。そして、何故私はトレセン学園にしがみついたのか。その答えがきっと、このメイクデビューの先にある。
 ハゲは落ち着きがなさそうに、控室の片隅で時計を見たり、こちらを見たりを繰り返している。しかし、それを気にすることもできないほどに、私は自分に埋没していた。

 しばらくそうしていると、私の出るメイクデビューのアナウンスが聞こえてくる。それを合図に立ち上がる。ハゲもそれに気づいたようで、時計から目を離し、こちらを向く。

「行ってくる」
「ああ……行ってこい」

 その声がどのような音だったのか、私は思い出せない。その顔が、どのような表情だったのかも。
 きっと、様子のおかしい私を、心配するそれだったのだろう、と。そんな回顧ができるようになるのは、随分と後になってのことで。

 私は疑問と共に、メイクデビューのゲートの中に入っていた。

『曇り空のもと、東京レース場、芝1600、9人のウマ娘たちが挑みます』

 実況の声が聞こえる。ゲートの左右から、他の出走者たちの息遣いが聞こえる。勝つんだ、という必死さが伝わってくる。必ず勝って、次に進んで、そしていずれはG1レースへ。そんな意気込みが、伝わってくる。
 ああ、きっと、彼女たちは速いのだろう。すごく速い。あの模擬レースでやりあった連中より、もしかしたら速いかもしれない。私がちょっと早くなったところで、きっともっと速い。

 私、なんでここで走ろうとしているんだろう。

『スタート! ──おっと6番、出遅れた!』

 疑問に気を取られ、スタートの合図に遅れる。出遅れ。一瞬焦るも、私の作戦は追込だ。すぐに飛び出して、集団を追走する。出遅れといっても本当に一瞬だったようで、致命的な程の距離はない。まだ勝負になる程度の距離。
 そこで、再度の疑問。勝負になる程度の距離だって? それは実力が伯仲しているからこその言葉だろう。彼女たちは速い。きっと私よりずっと。それならば、こんな出遅れた私が「勝負になる」などと言えるはずもない。

 最初の直線を駆け抜ける。私は最後方。1バ身ほど先に、自分と同じ追込のウマ娘がいる。せっかくなので利用させてもらおうと、そのウマ娘の後ろについた。風よけにさせてもらおう。
 そのまま直線を進み、コーナーへ。視界の端に見えている限り、バ群はそこまで広がっていない。前方脚質のウマ娘たちの焦りを感じる。ここは東京レース場。最終直線の長さが特徴的であるならば、後方脚質が有利。だからこそ焦り、

『3番と5番、ペースが早い!』
『掛かってしまっているようですね』

 掛かる。スタミナを消費してしまう。こうなれば、あの子達に勝ち目はないだろう。冷静に状況を見極める。目の前にいる追込のウマ娘は、これほどピッタリと後ろについている私のことなどまるで気にしていない。3番と5番のような掛かりは期待できないだろう。とはいえ、私は彼女を風よけにしてスタミナを保っている。
 コーナーの中程へ。左に大ケヤキが見える。勝つのならば、そろそろ仕掛けるべきか考えるタイミング。そして、だからこそまた疑問。おかしい。おかしい。おかしい。何故?

 前の子たちは崩れそうになっていて。
 そろそろレースも終盤に差し掛かっていて。
 そして、私はスタミナを保っていて。

「あれ?」

 足に力が入る。まだ入る。地面を蹴りぬくような加速をする体力は、まだ残っている。だからこそ、浮かんだのは一つの可能性。

 このままいけば、私勝てるのでは?

 ぞくり、と背筋を寒気のようなものが駆け抜ける。それは恐ろしさを感じたためではなく、年単位で味わっていない勝利が、手の届くところに転がり込んできたことへの興奮。
 唇が釣り上がる。大ケヤキを抜け、更にバ群が縮まっていく。縮まっていく。縮まっていく!
 最終コーナーを回り、いよいよ直線。私は風よけから抜け、ちょっと外目のポジションへ。目の前にはなにもない。このまま最速で駆け抜けることができれば、もしかして。

 もしかして、私は。勝ててしまうのでは、ないだろうか。

 期待を抱く。その期待のまま、体を前傾姿勢へ。ウマ娘が最速で走れるフォーム。私が最速で駆け抜けるためのフォーム。
 足に力を込める。そして、ターフを抉るようにして、体を打ち出した。

『外から追い込んできたのは6番ワットハイア! 一人、二人、止まらない!』

 視界の端に、ウマ娘。一人。二人。三人。四人──!
 世界が流れていく。この直線が私の勝利につながっている! 足はまだ動く! もっと、もっと、もっと!
 勝利への興奮。かつて見た先頭の景色への期待。そして、抱いていた疑問は確信へと。

 勝てる、勝てる、勝てる!
 このままいけば、私が!

 そう思った私を、




「笑止。『勝てそうだから勝ちに行く』などという惰弱、貴様はこの舞台に相応しからず──疾く、降りよ」




 一振りの刀が、斬って落とした。

 左隣から、風。視線を向けてみれば、そこにいたのは私が風よけに使っていた、あの追込のウマ娘。その視線は鋭く、刃物の切っ先を向けられたような恐怖すら覚えるほど。その視線から感じたのは、私を侮蔑する感情だった。
 トゥインクルシリーズという舞台に相応しくない愚者が、何故勝てるなどと驕っているのかという、赫怒の念だった。

「──ひっ」

 その視線に、その感情に、その怒りに恐怖する。走りが乱れる。冷静さを取り戻そうとも、もう遅い。

『ワットハイアを捉えたのはメイヴライト! そのまま躱し、並ばない! 並ばないぞ!』

 走りの乱れた私の横を、刀が斬り裂き抜けてゆく。その光景を、私は恐怖とともに眺めていて。
 そして、彼女が1と1/2バ身先でゴールする光景が、目に入り、

『ゴール! メイクデビューを制したのはメイヴライト! センターの栄光を手にしました!』

 実況の声に、メイクデビューの終わりを知る。
 私は、彼女の目と、声と、その恐怖を心に刻み込まれながら、なんとか二着でゴールしたのだった。