概要
モーゼル社が開発した半自動小銃。

↑Gewehr41(M)を構える兵士。
諸元
| 制式名称 | Gewehr 41(Mauser) |
| 開発元 | モーゼル |
| 口径 | 7.92×57mm |
| 重量 | 4.6kg |
| 装弾数 | 10発 |
| 全長 | 1172mm |
解説
1940年に半自動小銃開発で各国から遅れていたドイツがその間を埋めるため国内の銃器メーカー4社に依頼し、モーゼルが設計した半自動小銃。
ワルサー社製のGewehr41(W)と同様、銃身にガスポートを設けず、発射ガスを別の部品で捉えてピストンを稼働させる方式を採用した。大まかな作動方式等はワルサー社のものと同様なのに対し見た目は異なった。軍からの要求により、半自動射撃の機構が故障した際に手動での射撃が行えるようKar98kに似たボルトハンドルが取り付けられており、ただでさえ重く部品点数*1が多い本銃はさらに重量バランスが悪化。特異なガス作動方式を採用したため連射すると銃身が加熱して射撃が困難となり、照準器はその影響をもろに受けて不安定化しまともに狙うことも難しい有様だった。もちろん、前線で兵士が分解清掃するのは困難で発射時のススが堆積することによりそもそも射撃が不可能な個体さえ報告された。
結局モーゼル社は1941年4月に5000挺の試験量産を受注したものの、すでに多数の銃器の生産中で手間がかかる本銃を量産する余裕がなかった同社は1942年1月になっても半分に満たない数の生産しかできていなかった。この時点で生産計画は大幅に遅延しており、破綻は明らかだった。
それでも全体で約6700挺が生産され前線に送られたものの、やはりと言うべきか作動不良や故障の頻発、清掃の難解さを兼ね備えた本銃が前線の兵士に好評な訳もなく、圧倒的な不評で1600挺あまりが使用不可能として送り返されている。一応1944年のワルシャワ蜂起の際には前線で使用された記録が残るが、そのほとんどは訓練用の器材として保管された。後継のGewehr43の配備開始により完全に価値を失った本銃が真価を発揮する場所はなかった。
アタッチメント
ZF-40

Kar98k用のスコープであるZF-41を元にGewehr41(W)などに適合するよう改良されたスコープ。実戦投入はなかった。
ギャラリー

↑ゴリアテの整備を行う兵士。Gewehr41(M)を背負っている。

↑ゴリアテの整備を行う兵士達。左前の兵士がGewehr41(M)を背負っている。