【ファミコン神拳】

Last-modified: 2024-04-24 (水) 05:43:33

概要

【週刊少年ジャンプ】で1985年8月から1989年5月にかけて掲載された、一連のコンピュータゲーム記事の総称。タイトルの通り、扱ったハードはファミリーコンピュータが中心であったが、末期には僅かながらPCエンジンなども扱った。
DQシリーズはDQ1からDQ3までがここで扱われている。
 
コーナー自体が当時同誌で連載されていた人気漫画『北斗の拳』のパロディになっており、攻略や裏技を「奥義」、スタッフを「伝承者」と呼び、ゲームの評価は「あたたたた」の擬音で採点を表現していた。
開始当初の伝承者はゆう帝【堀井雄二】)とミヤ王【宮岡寛】)、初代担当編集は【鳥嶋和彦】で、ドラクエを産むきっかけになった。
 
もともと不定期でパソコンゲーム記事を掲載、その流れで【エニックス】【千田幸信】から紹介された「第1回ゲームホビープログラムコンテスト」に堀井雄二が応募・入選し、ゲーム作家としても活動するようになる。
しかし、当時のパソコンはジャンプ読者層には高価だったため、手頃な価格のファミコンに記事がシフトしていった。同じ鳥嶋和彦担当ということで、この頃から【土居孝幸】がイラストを担当。
 
ゲームレビューや裏技紹介がメインだったが、『ファミリーコンピュータMagazine』など専門誌の登場に伴い、差別化のためにライターである堀井雄二たち自らがファミコンゲームを開発、独占スクープ記事として【ポートピア連続殺人事件】(FC版)、ドラゴンクエスト(DQ3まで)を紹介するようになった。
当時、堀井雄二はゆう帝であることを公表していなかったが、製作者たち自らがジャンプという発行部数日本一の雑誌で作品の宣伝をしていたこともドラクエが成功した要因のひとつであるといえよう。
【ファミコン神拳 奥義大全書】として書籍化もされている。

主なスタッフ(伝承者)

  • ゆう帝(堀井雄二)
  • ミヤ王(宮岡寛)
  • キム皇(木村初)
  • てつ麿(黒沢哲哉)
  • カルロス(とみさわ昭仁)
  • コマル大王(小丸良人)

 
当然のように紹介しているスタッフの中に堀井雄二当人が入っているが、書面では自らバグ技などを紹介することもあった。
自らプログラムミスをネタにするとはなんという豪胆さであろうか。

掲載内容

コーナーの形態としては複数存在し、以下のものがあった。

  • 巻頭カラーページ「ファミコン最新ゲームあたた大紹介!!」(不定期掲載)
    ゲームレビューやスクープ記事などが中心。DQの記念すべき第一報はここで扱われた。
  • 巻頭袋とじ「ファミコン神拳奥義」(不定期掲載)
    縦12.5cm×横11.5cmサイズの小型袋とじ。攻略記事や裏技の紹介が中心で、DQ2・DQ3の最新情報もここに掲載。
  • モノクロページ「キム皇のファミコン神拳110番」(毎週掲載)
    読者からのQ&Aが中心で、発売前のDQのシステムなどに関する質問も多く載せられた。
    また「誌上バトル」として、【低レベル攻略】などを競う企画も行われ、DQでは【りゅうおう】到達時(討伐時ではない)や【いなずまのけん】発見時の経験値の低さを競った。
    2ページ体制になってからは、あたた大紹介と同じ形のレビューも掲載された(ゲームの画面写真は使わず、イラストを使用)。

 
人気が増すにつれ、不定期だった巻頭掲載は1988年半ばより、「大紹介」と「奥義」を統合する形で月イチの「月刊ファミコン神拳」(「奥義」時代よりも大サイズの縦17cm×横16cm袋とじ)となった。
しかしドラクエシリーズ開発との両立が難しくなり、巻頭袋とじは1989年初頭よりスタッフ総入れ替えの「ファミコン怪盗芸魔団」(後述)にバトンタッチした。
 
一方「110番」の方は「キム皇のファミコン神拳EXPRESS」と名を変えてしばらく残存。「芸魔団」を補完する形でDQ4に関する質問にも答えていた。
EXPRESSではゲームレビューが100点満点制でファミ通クロスレビューにやや近い形式となったが、FF2に対しては辛口コメントとともに40/15/40点と惨々たる評価を付けていた('89年10号)。
このEXPRESSも1989年23号をもって終了し、「ファミコン神拳」は4年の歴史に幕を下ろした。

復刻

月日は流れ、2004年の【月刊Vジャンプ】DQ8増刊では、ゆう帝のキャラクターが【主人公(DQ8)】の衣装を着て復活した。
 
2011年にDQ25周年記念【集英社】から出た【Vジャンブブックス ドラゴンクエスト25周年記念BOOK】では、当コーナーのDQ紹介記事を電子データとしてパソコンで見られるDVD-ROM「ファミコン神拳アーカイブス」が付録として付いてきた。ただしあくまでDQの記念本であるため、同じページに掲載されていたDQシリーズ以外のゲームの情報は伏せられている。
 
2016年5月20日には【ドラゴンクエスト30周年記念プロジェクト】の一環として、復刻記事やインタビューが掲載された書籍「週刊少年ジャンプ秘録!! ファミコン神拳!!!」が発売された。

後継コーナー

●ファミコン怪盗芸魔団(げ~まだん)
1989年5-6合併号よりスタッフ総入れ替えでスタートした巻頭袋とじコーナー。こちらのライターのひとりは【三条陸】
「怪盗」という名の通り、ゲームメーカーから情報を盗んでくるというコンセプトで演出が行われていた(もちろん、実際は許可を得て取材している)。
第1回でDQ4の第一報が掲載され、その後DQ5の事前情報も扱い、1992年24号まで続いた。「堀井雄二のゲーム大好き!!」というコラムも毎月掲載された。
当時から登場した【カードダス】などを扱った「ファミコン怪盗芸魔団SPECIAL もっとあそび隊!!」も本家(ゲーム紹介)と交互に連載され、アニメ版『ドラゴンクエスト』の情報もその中で紹介された。
 
●ペーパーROMマガジン V-NET
1992年26号から(V-NET’は28号から)スタート。V-NETはバーチャル・ネットワークの略語。
DQ5の発売直前からDQ6、トルネコの大冒険や初代DQMなどが扱われた。またこの「V-NET」からはファイナルファンタジーシリーズも扱うようになった。
初期は毎週掲載の2色刷りページ「V-NET」と、「芸魔団」を引き継いだ月イチのフルカラー袋とじ「V-NET'」の2本体制が続いた。
しかしやがて後者は袋とじが廃止されてカラー折り込みページの形態へ変化。それとともに定期体制は崩れ、両者の違いはフルカラーであるかどうかしか無くなっていた。末期にはタイトルも「V-NET」に統合された。
中期までは「堀井雄二のゲーム大好き!! II」も「芸魔団」に続いて不定期に掲載されていた。一時期のみ【鳥山明】デザインのロボットキャラがマスコットに使われていたが、短命に終わっている。
なお、DQ6発売前後の一時期はこれとは別の「CHIBIダス」というコーナーで特集されることもあった。
 
●ジャンG(ゲ)堂
1998年34号からスタート。ほぼ毎週の掲載となり、これ以降のゲーム記事はカラー記事(折り込みまたは巻頭カラー・センターカラー)が中心となった。
漫画家「つの丸」のデザインをCG化したキャラクターが使われたが、わずか1年ほどで終了。
第1回でDQ7のゲーム画面とキャラクターを初公開した。
 
●ジャンG(ゲ)塾
1999年37-38合併号からスタート。
こちらも第1回はDQ7情報。PS版DQ4や、DQ8の第一報なども扱った。
各IPごとに担当の「講師」がゲームを解説(講義)していくという内容で、DQ担当講師はファイヤー中野だったが、DQ7の序盤ストーリーを無理やりトライアスロンに当てはめるなど、DQの世界観から外れたような熱血コメントを書くことも多かった。
DQ7発売直後は特別にモノクロページでQ&Aコーナーを掲載したこともある。
 
●チームG59上(ゲコクジョー)!!
2003年25号からスタート。
DQ8の事前情報から少年ヤンガス、スラもり2などを扱った。
 
●無名コーナー(目次では「ドラゴンクエスト情報」。ナンバリングを含む場合もあった)
2006年のジョーカー発表以降のDQ情報は「チームG59上!!」から独立して無名のコーナーで扱われるようになり、DQ9、DQ10オンラインなどがこの体制で扱われた。
2015年半ばでのDQ11をトリとする新作発表時は「スーパーハイテンションスクープ」と名付けられていた。
ちなみに、その他のゲームコーナーは「G(ゲー)人道!!」(2011年から)、「WJゲーム特捜班 ジャンG(ゲー)部!」(2015年から)と変遷している。
 
●週刊少年ドラクエ!!
DQシリーズが30周年を迎えたことを機に、2016年1号からスタートしたDQ専門コーナー。マスコットは「スラジャン」。週刊とは言いつつも実態は不定期掲載で、DQ関連情報があるときのみ掲載される。
ジャンプ本誌では「ジャンG部!」の最後に掲載されるため、目次では独立している。
Vジャンプの公式サイト内ブログ「DQネクスト!」でもWeb版が更新されている。一時期「Vジャンプレイβ」内に移動していたがそちらが短命で閉鎖され、その後はブログ「DQネクスト!」に出戻りした。
DQ10オンラインのアップデート情報を引き続き掲載し、新作はDQ11以降を扱っている。
 
●ダイ冒険の書
【ダイの大冒険】のアニメ&ゲーム情報コーナーとして、2020年33/34合併号からスタートした。