セリフ/【ただでは死なぬ。一人でも多くの貴族を道連れに!】

Last-modified: 2024-04-24 (水) 10:57:00

FFT

骸旅団団長時のウィーグラフのセリフ。
Chapter1の終盤、北天騎士団などによる掃討作戦によって骸旅団が壊滅状態に陥る中、
フォボハム平原風車小屋に逃れていたウィーグラフと、
逃走の盾とするために警備が手薄になっていたイグーロスのベオルブ邸を独断で襲撃し、
アルマと間違えて)ティータを誘拐したゴラグロスの問答の場面で発せられた。

このセリフに負けず劣らず、その前の「我々の投じた小石は~」というセリフもインパクトが強い。
革命に燃えるアナーキストらしい過激な思想である。

騎士ウィーグラフ
「逃げてどうする? いや、どこへ逃げようというのだ?
 この場から逃れようとも我々は奪われる側…。いいように利用されるだけだ!
 我々は我々の子供たちのために未来を築かねばならない。
 同じ苦しみを与えぬためにも!
 我々の投じた小石は小さな波紋しか起こせぬかもしれんが
 それは確実に大きな波となろう。
 たとえ、ここで朽ち果てようともな!

騎士ゴラグロス
「我々に“死ね”と命ずるのか?」

騎士ウィーグラフ
ただでは死なぬ。一人でも多くの貴族を道連れに!

騎士ゴラグロス
「バカな! 犬死にするだけだ!!」

騎士ウィーグラフ
「いや、ジークデン砦には生き残った仲間がまだいるはずだ。
 合流すれば 一矢報いることはできよう!」

この後、ミルウーダの戦死の報告が入り、ウィーグラフがラムザらと交戦している間に
ゴラグロスたちがジークデン砦に撤退。

ラムザたちの運命も大きく動き始めた一方で、ウィーグラフは行方を眩ませた。


骸旅団の思想が「世直し」であるのに対し、この台詞は本末転倒も甚だしい。
世の機構を作っているのは「王権」であり、その前では貴族すら捨て石に等しい。故に獅子は争いを止めないのだ。
石に石をぶつけた処で、良くて両方砕けるだけである。

  • だが、中世真っ只中の封建・身分社会を打破するには力を行使するしかないのもまた事実。
    現実でも中世社会が崩壊するきっかけとなった動きには、往々にして大きな武力が背景にある
    (日本で言うと織田信長の取った統治方針が分かりやすいだろう)。
    問題はむしろ、ウィーグラフの持つ革命理念に対して、それを実現するための
    求心力と時勢が追いつかなかったところにあると思う。
  • 獅子戦争の顛末を見れば直ぐにわかるがイヴァリースの王権は貴族に都合よく扱わるだけの只のお飾りである。王権が貴族を従え、貴族は王権を利用する表裏一体のもの。貴族の打倒を目指すのは全然的外れなんかじゃない。
    • 王権が飾りというのは誤り。飾りなのは王権そのものではなく、それを運用するはずの現在のアトカーシャ王家の方。
      王族でもデナムンダ4世のように王者の気質を持った者がいれば別だったが、現在の王家には残念ながらそれほどの気骨の持ち主はおらず、貴族の言うがままの被支配層同然である(王妃ラーグ公爵家出身なので立場的には貴族寄り)。
      また獅子戦争で王権を手にしようと(表向き)戦っていたのは公爵・大公といった「王権を手にする資格を持った(と自分では思っている)者」だけで、それ以外の侯爵以下の貴族はやっぱり皆捨て石同然である。
    • 力の強弱は関係ない。王権を持つ王族が力を失ってる時点で解るが有力者たちの支えがなければたちどころに失われる権力。実際にそれを勘違いして捨石にした貴族たちの反感を買って失脚した愚かな為政者たちは枚挙にいとまがない。大公や2人の獅子の末路はまさにそれ。王とは畢竟貴族たちの棟梁であって貴族等の権力者達がいなくては力を振るうことなどできない。だから繰り返しになるが世直しのために貴族社会の打倒を目指すのは的外れなどではない。
      • 別に↑の方では「貴族を倒すのは的外れ」とまでは言ってないぞ?
        「倒すべき貴族は選ぶべきであり、無差別に貴族皆殺しは無意味」ってこと。白黒獅子やら武器王やら放ったらかしのまま、命懸けで木っ端貴族倒してもしょうがない。
        ウィーグラフはそれで自分たちが死んでも打倒貴族の後継者が現れてくれるのを期待しているようだが、世の中そう都合良くはいかないわけで。
  • 単に一人でも多く道連れに全滅したところで、ただ貴族側がボムへの対処法を学ぶようなもの。自爆を徹底的に封じるか動く前に一撃で叩き潰すか。そこから状況が変わるとは考えにくい。
    武力が変革の材料であるにしろ、所詮テロリストの局所的な活動では体制を覆すには足りないし、ゴルターナの様な人物が上位にいる以上、中途半端な武力では貴族側の譲歩も見込めないだろう。
  • 彼と同様の論理で行動している組織が現実(2022年12月中旬現在)にもある。イスラム国だ。彼の論理を肯定するならイスラム国の論理や行動も否定できなくなるがイスラム国が民衆に何をしてくれたというのか?ただテロの標的にして大量虐殺を繰り返しているだけだ(まあそれをつぶせないでいる国際社会も情けないが)。内部対立もすさまじく組織の内側でも日常的に虐殺がありとてもじゃないが組織の体をなしていないがそういうところは骸旅団も同じだな。

志に殉じようという、1章のウィーグラフの性格がよく表れているセリフ。
この後、3章では合理性に溺れ、教会、悪魔に魂を捧げていくわけだが、
このころのウィーグラフはまだ青臭く、ラムザ曰く「理想の実現に燃えていた戦士」だった。

  • このセリフをかっこいいと思うならそれはかなり危ない兆候なので知っている人間が同様の兆候を示したら絶縁したほうが文字通り身のためだ。自分や家族、友人が無惨に殺されたいのだろうか?

彼の投じた小石は2人の男に大きく影響を及ぼすことになる。理想破れ堕ちた男の前に立ち塞がった仇敵が実はかつての理想に燃えた自分が望んだ存在というのは皮肉なものである。


イデオロギーに凝り固まり同志はおろかかつての自分の理想すら裏切りその果てがかつて自身が理想した姿勢に倒されるというあたり究極の哀れみを感じる。無論これでもかってくらい皮肉をこめて。いずれにしても現実にこんな奴いたら絶対に関わり合いになってはいけない。転職、引越ししてでも縁を切るべき。

  • まぁどんだけカッコいいこと言っててもテロリストなので……。
    現実のテロリストも理想に燃えて燃え過ぎた結果ああなったというパターンは多い。
    • 理想とか正しさとかそれだけで動くのは、結局車輪の片方だけしか持ってないってことだからね。
      片輪走行じゃ危ないに決まってる。
      大手を振って正しい道を行けるのはもう片方の車輪、優しさや愛を持つものだけ。
    • 完璧危険人物。動乱期であることを差し引いても(もちろん平時でも)イデオロギーに凝り固まっている人間は深入りはもちろん刺激してもいけない。いいことははっきり言ってまるでないから。現実にこいつに似たような人間を見たら絶対に関わり合いになってはいけない。人生を棒に振っても構わないという人間だけ彼と関われ。
    • 特異思想を持っている人間に真人間はいないという代表選手的セリフ。ちなみに特異思想はラムザも該当するが(というか本作の主要登場人物の大部分が該当する。というか例外を探したほうが早いが)ウィーグラフよりは多少マシだったためあまり突っ込まれていない。
      • ラムザの場合は「貴族にしては特異」といったところで、平民に混ざって市井で暮らす分には何の問題もない。
        あのまま成長しても貴族社会に馴染めはしなかっただろう、という程度であってウィーグラフと比較するのは流石にラムザに悪い。
      • 本編開始時の甘っちょろさのラムザが平民に混じったら、問題ないどころか普通に野垂れ死ぬと思う……まあ他人に迷惑かける事はないと言う点ではウィーグラフよりマシだが。
        2章以降やっていけてるのは、ガフガリオンと言う師の元で傭兵やって成長したのが大きいだろう。
      • たらればの話になるとあれだが、ディリータと共にいるのならラムザは問題なくどこででも過ごせはする。二人がまともに手を取り合わなかったことが今作のラストにつながるのだから。動乱に巻き込まれなければそれこそ貴族らしくなく、普通に市井で生きていく未来はあった。