FF4
リディアがFF4のエンディングで言うセリフ。
幻獣でも人間でも何も変わらない、大切なのは心である、と言う名言であり、
続編で引きとったマイナスの名前を見ても、彼女のこの思いは変わっていない。
- 続編で洗脳されていたセシルは「心が消えていった」と当時の状況を話している。まさしくこのリディアの言葉通り、大事なのは心である。
ちなみに、彼女が初めてセシルの名前を口にするシーンでもある(DS版除く)。
- マジで!?それを知ったうえでこの言葉を聞くとさらに心に響く言葉だな…
- DS版だと、地下水脈での心のセリフの「セシルも…あの人がすごく大切なんだ…」がお初。
- 「いつかセシルが言ったでしょ。」…探せば他にもあると思うけど。
それまでは「この人」や「あの人」だった。
リディアも最初はわだかまりがあったのだろうが、
一緒にいてセシルの優しさに触れる内に、距離が縮まっていったことを感じさせてくれる。
普段は子供じみた言葉遣いの目立つリディアだが、
どうやら密かに物事の本質を見据えていたようだ…。
リディアにとって1番大切な人は、セシルだろうか。
FF8
シュミ族の村のラグナ像完成イベントで、長老の回想の中のラグナが似たようなセリフを発している。
尤もマジなのか照れ隠しなのか「なんかの本に書いてあった」とラグナらしいオチもついているが。
その後長老と話しかけると、どこまでも対極にある自分達とスコール達の唯一の共通点が『心』を持っていることだと悟り、だからこそ分かり合えたと述べている。そしてノーグにもそれがあれば、とも。
DFF
これをモチーフにしたセシルの勝利台詞が存在する。
「大切なのは…心」と、「大事」の部分が「大切」に変わっている。
- 相手にボコボコにやられ、自分が瀕死状態の時に勝利すると言う。
心の持ちようで勝利が変わるという意味で使われているっぽい。
スポーツの世界では強気である選手のほうが有利なので、なかなかいい台詞だと思う。
考察・ネタ
何がきっかけでこう考える様になったのかよく分からん。
- 一応FF4TAの小説版では「種族の違いなど関係ない、心が大切なのだ」
とアスラに教えられたという事になっている。- その割には幻界の皆様は人間に冷たい…。
- 幻獣同士とはいえリヴァイアサンと結婚してるアスラが言うと説得力を感じる。
- セリフだけ聞くと「大切なのは心」だとセシルに教わった様に聞こえるが、
逆にリディアがセシルに教えた、と言う事なのだろうか? - クルーヤの「正義よりも正しいことよりも大事なもの」に対するセシルの答えだったのでは。
リディアに話したのだろうか。- たしか幻界の図書館に「強さとは正しき心」とか書かれた本があったような。
- 直接セシルに聞いたとか、あるいは彼にその答えを教えたのが彼女だとかではなく、感覚の共有というか。
リディアは、セシル(まあカインもなんだけど)に直接肉親を奪われているんだよね。
その彼女が、彼と共に過ごし、巨悪に立ち向かっていった中で導き出した「答え」。
そして実兄ゴルベーザに対し「答え」を出した彼の姿をみて、同じ想いであることを確信しての「そうでしょ‥‥ セシル!」なんだと思う。
リディアの好意はセシルに寄っているようにも見える台詞でもあり、
そう感じた人も多いようだがそれは人それぞれであろう。
同時に『エッジ涙目』と思った人もいたそうだが…。
- FF4TAの小説では恋愛事情には疎いと本人が言っているので、
このセリフをセシルへの恋心に結び付けるのは無理があるだろう。 - 好意といっても、懐く程度のものだろう。
とはいえ、忍者の直後にこの台詞が来れば
『忍者よりもセシルが大事か』と思われるのも仕方がない気もする(特にFF4初見プレイの人辺り)。
少なくともリディアの心の中で一番大きな存在はセシルであることは確かである。 - FF4小説版にカイポイベント後「お父さんてこんな感じなのかな」という独白がある。
つまり恋心云々ではなく親を思う子心といったところか。 - リディアにとってセシルは(義理ではあるが)唯一の肉親なのだろう。そういった意味での好意。
- 実の親がいなくなったリディアにとって、セシルとローザが親代わりなのだろうか。
大事なのは…心じゃよッ!