晴明神社

Last-modified: 2013-05-10 (金) 23:33:36
 

晴明神社
せいめいじんじゃ
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(参拝日:平成24年4月30日)
住所:京都府京都市上京区晴明町806-1mapionlogo.gif
主祭神:安倍晴明御霊神
主な祭礼:9月秋分日(晴明祭)
webサイト:晴明神社

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↑賑わう境内↑
(由緒)
寛弘2年(1005年)、安倍晴明没。享年85歳。
寛弘4年(1007年)、一条天皇は晴明の遺業を賛え、屋敷跡に神社を創建。広大な境内地を擁した。
(戦火や都市整備により社地は荒廃・縮小)
嘉永6年(1853年)・明治11年・明治36年・昭和3年、それぞれ改修が行われる。
昭和25年、境内地を堀川通まで拡張。
(平成初期、夢枕獏『陰陽師』小説シリーズがヒット。後に漫画化、映画化される。)
平成17年、安倍晴明千年祭を斎行。
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↑安倍晴明像↑
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↑晴明井↑
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↑一条戻り橋↑
(以下、余談)
言わずと知れた『陰陽師』安倍晴明の屋敷があった場所です。また、晴明を祀る神社です。
今や参列するのに並ぶ程の盛況ぶりですが、受難の時代もあったようです。

境内には、晴明が念力で湧出させたという井戸があります。
真偽は不明ですが、1000年近く経っている現在でも水が湧き出ていました。

少々、神社からは離れますが、晴明と縁の深い「一条戻り橋」も堀川通を挟んですぐにあります。
橋からは風情をあまり感じられませんが、式神が橋の下に封じられていたということで有名です。
平成7年(1995年)に架け替え前の先代「戻り橋」は、一の鳥居付近に移設してあります。

最初に橋が架かったのは、なんと平安京造営時の延暦13年(794年)、洛中と洛外の境界だったようです。
当時は「土御門橋」でしたが、延暦18年(918年)に三善清行が蘇生したことから名付けられたみたいですね。

安土・桃山時代には、罪人の首晒しに利用されるようになり、千利休の首も晒されています。
戦時中には、無事に還ることを願い「戻り橋」を通ってから、出征したという逸話も。

戻り橋のエピソードの数々は、安倍晴明や神社のバックグラウンドに欠かすことはできないでしょう。
一見すると何の変哲もない橋ですが、神社に参拝するだけでなく、是非足を運んで頂きたいと思います。