一之宮神社

Last-modified: 2014-02-14 (金) 00:21:47
 

一之宮神社
いちのみやまんぐう
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(参拝日:平成25年8月13日)
住所:鹿児島県鹿児島市郡元2-4-27mapionlogo.gif
主祭神:天照大神
社格:村社
主な祭礼:11月9日(例祭)

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↑鳥居↑
(由緒:現地案内板より)
人皇第三十八代天智天皇の御代(約一三五〇年前)、天智天皇の一之姫宮が、現在の揖宿郡開聞町鎮座枚聞神社
(薩摩一之宮)の御分霊を供奉し、初め涙橋畔に奉祀されたが、その後現在地に移転されたと伝えられる。
鹿児島市内最古の神社である。

当初より一之宮大明神と称え、神領は七十二町歩(現在の郡元、鴨池、武、田上、宇宿一帯)におよび、
隣接の延命院(明治以前焼失、現中郡小学校)と共に、島津藩はもとより近郷の崇敬殊の外厚く隆盛を極めた。

島津初代忠久以来、毎年元旦に当主自ら先ず一之宮、次に二之宮(現草牟田鹿児島神社)、
次に三之宮(現川上町川上天満宮)を巡拝するを例とし、十八代家久公までその例が続いた。

元禄の御代神社名を一條宮と改称、下って明治初年の地租改正の折、更に郡元神社と改称したが、
昭和三十三年当初の一之宮神社に復した。

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↑拝殿↑
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↑一之宮住居址↑
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↑大永の名号板碑↑
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↑力石↑
(以下、余談)
鹿児島市電の郡元電停付近に鎮座します。鹿児島神社と川上天満宮と共に鹿児島三社の一社です。
往古は御代神社、元禄時代には一條宮、明治時代は郡元神社と変わり、昭和30年に現在の社名になりました。

昭和25年に境内の発掘調査が行われ、弥生時代の集落が発見されました。
天智天皇の頃、枚聞神社を勧請したのが創祀とされていますが、それ以前にも集落があったのですね。

かつては広大な荘園を抱え、別当寺として延命院をもつ薩摩国有数の大社でしたが、
何らかの理由で現在のような小社になったようです。

空襲で焦土と化した鹿児島市内で現存する唯一の木造社殿をはじめ、
延命院の遺品と考えられる大永の名号板碑力石や大楠など見所が多い神社です。