姉埼神社

Last-modified: 2013-11-25 (月) 23:42:30
 

姉埼神社
あねさきじんじゃ
あねさき.jpg
(参拝日:平成25年5月2日)
住所: 千葉県市原市姉崎2278mapionlogo.gif
主祭神:支那斗弁命
社格:式内小社、県社
主な祭礼:7月20日(例大祭)
webサイト:姉埼神社

あねさき1.jpg
↑鳥居↑
(由緒:「神社のひろば - 神社探検隊」より)
第12代景行天皇40年11月、日本武尊が御東征の時、風神志那斗弁命を奉祀する。

同53年天皇御東幸の時、日本武尊を相殿に祀る。第57代陽成天皇元慶8年7月15日癸酉、
上総国正五位下勲五等姉埼神社に正五位上を賜う。

『延喜式神名帳』に「上総国二座島穴神社姉埼神社」と記す。
朱雀天皇天慶3年2月、平将門追討のとき逆賊降伏の勅願あり。剣一口を奉納。
第80代高倉天皇治承4年8月、右対象源頼朝が神前で兵馬を閲。
慶長2年松平三州候が社殿を造営。元和4年松平羽州候神領36石を寄進。明治6年県社。

あねさき2.jpg
↑社殿・茅の輪↑
あねさき3.jpg
↑北側鳥居・神門↑
あねさき4.jpg
↑浅間神社↑
あねさき5.jpg
↑天神社↑
(以下、余談)
国内有数規模の石油化学プラントが林立する工業都市・市原市の南西、姉崎の高台に鎮座します。
平安中期の『延喜式神名帳』には「上総国海上郡 姉埼神社」と記載がある由緒正しい神社です。
地名は「姉崎」ですが、社名は「姉埼」と異なっています。

景行天皇40年、日本武尊が東征を行った際、走水の海(浦賀水道)で暴風雨にあいましたが、
弟橘姫の犠牲により下総に渡ることができました。
日本武尊が現社地の宮山台で弟橘姫をしのび、風の神である支那斗弁命を祀ったのが始まりとされています。

境内には松の木がなく、神社氏子では正月に松を飾らないという風習が残っています。
支那斗弁命と島穴神社の御祭神・志那都比古尊の深い関係を指摘する説がいくつかあります。

異説としては、元の地名が「姉ヶ松」であったとするもので、この地域の姉妹は妹ばかりが嫁いで行くので、
地名に原因があると考えた人々は「あねがさき(姉が先)」という地名に変えたというものです。

どちらが正しいのかは分かりませんが、後者のほうが個人的には面白いとは思いますね。