検見川神社

Last-modified: 2013-07-29 (月) 22:49:01
 

検見川神社
けみがわじんじゃ
けみがわ.jpg
けみがわ11.jpg
(参拝日:平成25年5月2日)
住所:千葉県千葉市花見川区検見川町1-1mapionlogo.gif
主祭神:宇迦之御魂神、素盞嗚尊、伊弉冉尊
社格:村社
主な祭礼:8月1-3日(例祭神幸祭)
webサイト:検見川神社

けみがわ1.jpg
↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
検見川の地は、二千年前の蓮の実として有名な「大賀ハス」と三隻の丸太舟が出土した検見川泥炭遺跡(落合遺跡)が
ある事からも分かるように、古代より稲作・漁労を中心とした生活が営まれていた土地であります。

古代人は、毎日の生活の中で自然の恩恵に感謝し、その中に神を感じ、家庭内に於いて神を祀る行為(祭祀)を
怠ることなく行っていたと考えられています。

又時代は下りますが、当地には七九四年平安京に遷都した第五十代桓武天皇の皇子で第五十一代平城天皇の弟
第五十二代嵯峨天皇ゆかりの地として伝承されている「嵯峨」という地名があり、
朝廷との関係と共に歴史ある土地ということも知る事ができます。

そういった歴史と伝統のある検見川の地に鎮まります検見川神社の御創祀は、およそ千二百年前平安時代前期
第五十六代清和天皇の御代にまで遡ります。

当時は、人臣として初めての摂政である藤原良房が清和天皇の外祖父として実権を掌握し、
養子基経と共に摂関政治を藤原氏が確立した時代であります。

この天皇の御宇貞観十一年(八六九)全国に流行した疫病を鎮めるため、その消除を全国規模で祈りました。
その時下総国(現在の千葉県)で素盞嗚尊が祀られ、災厄消除を祈った場が嵯峨の地であったのです。
古来より国家単位の災いをも取り除くほどの神威の轟きます地なのです。

その後、下総国は桓武天皇の子孫である桓武平氏が実権を握ることとなっていきます。
承平元年(九三一)に勃発した承平の乱(平将門の乱)に見えるように、国内は少々乱れもしましたが、
祭祀の伝統は尚も連綿として永続していきます。

当時嵯峨天皇にゆかりある五位蔵人後胤平春績の子孫が、葛飾原に土着の際に付近の開墾を始めたところ、
災害が重り疫病が流行したことがありました。

その時期、嵯峨の地より素戔嗚尊の御鏡が出土し、開墾によって土地を犯したことから起きた災いであるとお告げがありました。

そこで、第六十一代朱雀天皇の御宇承平四年(九三四)に嵯峨の地に社殿を建立し、
検見川大明神として祭祀を営み謝罪したところ、無事災いが取り除かれ開墾することができたとと伝承されています。

その後、豊臣秀吉の豪華絢爛な桃山文化の華開いた時代、第百七代後陽成天皇の御宇文禄年間(一五九二~一五九六)、
現在の花輪台の地に社殿が遷されましたが、祀りの伝統は衰えることなく、人々の厚い崇敬を受けています。

宇迦之御魂神は、平安時代後期藤原氏の勢力が衰微し、天皇が院庁に入って政治を見る所謂院政期に祀られ始めました。

第七十四代近衛天皇の御宇久寿二年(一一五五)、勅命により平良文(将門の叔父)の流れを汲む千葉氏庶流で
鎌倉初代将軍源頼朝配下として活躍する上総介廣常・金田小太夫頼次兄弟並びに頼次縁者三浦義澄等が、
下野国(現在の栃木県?)奈須原に於いて妖狐九尾の狐を退治した事件がありました。
その内の一人頼次は、九尾の狐の霊威を畏み、崇敬していた宇迦之御魂神を祀りました。

その後金田氏は執権北条氏、足利将軍家又松平清康(徳川家康の祖父)広忠(家康父)と代々支族及び
徳川恩顧の家臣として仕え栄えることになります。

そして頼次の二十世の孫である金田銀太夫正明が検見川の地を領有した時代、第百八代後水尾天皇の御宇元和二年
(一六一六)検見川大明神の御神域に宇迦之御魂神を御奉賽し、現在に至っています。

伊弉冉尊は、室町三代将軍足利義満が南北朝を統一せしめた時代第百代後小松天皇の御宇応永十六年(一四〇九)
以来嵯峨の地に祀られていました神であります。
尊は伊弉諾尊と共に我が国の母神として御神徳の高い神として人々に敬われています。

江戸時代になり、金田正明が日頃崇敬していたこの神を寛永年間(一六二四~一六四四・第三代将軍徳川家光治世下)に
現在地に遷し、祭祀を営んだのが最初とされています。

このように、古来より民衆は勿論有力武将の崇敬も厚いいともかしこき神を祀る神社として、
その御神徳を高揚してきたのであります。
この三柱の神の鎮まります社を「神祇三社検見川神社」と尊称し、今日に至っているのであります。

けみがわ2.jpg
↑社殿↑
けみがわ5.jpg
↑三峯神社↑
けみがわ3.jpg
↑摂社↑
けみがわ4.jpg
↑君が代石↑
けみがわ6.jpg
↑真石↑
(以下、余談)
京成電鉄検見川駅近くにあります。国道14号にも大きな看板が出ているので分かりやすいです。
駐車場は第3駐車場まであったので驚きました。初詣や七五三シーズンは埋まるくらいに混むのでしょうか。

市街地に近い神社ですが、小高い丘は森に囲まれていてよい雰囲気でした。
御朱印に「神祇三社」とありますが、 これは宇迦之御魂神・伊弉冉尊・素盞嗚尊 三柱の神の総称です。
このような呼び方は初耳です。神社の創祀は約1200年前の平安時代初期らしいです。歴史のある神社ですね。

神社名で調べると、結構式場の案内がでてきました。ほかには、パワースポット検索にも。
そっち方面では有名なのでしょうか。