渡海神社

Last-modified: 2013-07-29 (月) 23:31:04
 

渡海神社
とかいじんじゃ
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(参拝日:平成25年5月5日)
住所:千葉県銚子市高神西町2mapionlogo.gif
主祭神:綿津見大神、猿田彦大神
社格:郷社
主な祭礼:20年毎4月(式年銚子大神幸祭)

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↑参道・鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
元明天皇の和銅二年外川浦日和山(今の外川町一丁目大杉神社境内)に創祀、后津波のため貞元元年高神の地に奉遷。
渡海安全、大漁満作を祈るところとなり庶民の信仰篤し、明治六年新治県より郷社に指定さる。

(天然記念物「渡海神社の極相林」)
私達の郷土銚子の渡海神社は今を去る約千参百年の昔(和銅二年)東海鎮護、銚子半島の鎮めと当地(初め外川浦日和山)に
まつられ、代々の藩主をはじめ郷土の人々の篤い信仰をあつめて参りました。

その証拠にはこの二千坪余り(約七〇アール)の境内林は学術上稀にみる貴重な文化財となる程尊い神の森として
永い間犯されることなく大切にされて参りましたので去る三十四年春千葉県より特に指定の光栄に浴したものであります。

極相林と申しますと一寸むずかしい名前でおわかりにくいようでございますが、県文化財専門委員の沼田先生
(千葉大学理学部教授)のお話を伺いますと、初め松林などから次第に発達して行き永い年月かかってその極(クライマックス)に
達した姿になったという林と言う意味です。

地球上の樹木を大別しますと、陽樹(日蔭をきらい日向でないと育たない木、松や楢等)と陰樹(日蔭でも生育出来、
または日蔭を好む気、シイ、カシ、ツバキ等)とになりますが、まず海岸などの芝原に風で運ばれて飛んできた松の実が落ちると
発芽してだんだん大きく育ち、松林になります。何年もたち落葉が下に積り、肥料になります。

そこへ陰樹の実をついばんだ小鳥が飛んで来て翼を休めている時その種子の含まれている糞を落したり、
その他風や人の働きによって運び込まれ、あるいは前からのこっていた種子もあるでしょう、(陰樹の種子は多くは長生きです)
それらがはやしの中で発芽し次第に成長して遂に下層林となり、又その実が下へ落ちて子孫を殖して参ります。

永年経つ間に上層林を形造っている松は老衰したり、害虫におかされたり、あるいは大きな台風に吹き折られたりして
次々に枯れて、陰樹にバトンを渡して交代いたします。

このような自然の樹種の交代は如何に早くとも三百年以上人手を加えず放置して置かねば出来ません。
一旦陰樹にとって代られた林へは陽樹の実が落ちても生育出来ず、その群落(植物の社会)の木々の子孫によって
ずっとその地上が支配されて参ります。
艶やかな葉を持つ女性的な感じの陰樹が如何にたくましい、底力を持っているおわかりの事と存じます。

この広い境内に生えている植物全部が一つの群落として保護されるように指定されて居ります。
つまりシダ類や、ヤブコウジ等、草のようなものまで集まって極相林を構成し互いに助け合って生きながら生物学の研究に
役立って居ります。

典型的な暖帯性常緑広葉樹林で、主な樹種はタブ(楠木科)を始め、シイ・ツバキ・トベラ・ヤブニッケイ・カクレミノ等であり、
種類は実に約十種に及びます。

タブを主木とした極相林は本州中南部の海岸林として発達との学説がありますが中々サンプルが残らない貴重なものであります。

今地球上の樹木の分布では松の仲間が非常に多く、岩石の上に生えればその岩を割っても育つと言う旺盛な生活力を
持っているため生育が早く経済林として広く植林されており、また防風林等には最も適した樹種であります。
しかししの反面地表を老化させる傾向があります。

東洋のドーヴァーとしてその雄大な景観を誇るこの屏風が浦の基点台地上に、荒波育ちの銚子っ児がこういう変わった
文化財を育てて来たことを、海辺で拾った貝がらと共にお忘れなく、いつの日かまたお越し下され折角御愛護を
賜りますようお願いいたします。

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↑社殿↑
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↑八坂神社↑
(以下、余談)
銚子には銚子電鉄がありますが、その終点の外川駅からさらに西へ進んだところに神社が鎮座します。
近くには、銚子マリーナや千葉科学大学がありますが、緑の豊かな閑静な住宅街でした。

宮司さんに御朱印をお願いすると、野菜を荷台に積んだ軽トラから降りて来られました。
神社と農家の兼業をされてらっしゃるのでしょうか。

神社のパンフレットを見ましたら、極相林について詳しく書かれていました。
あちこちの神社を訪れていますと、たまに眼にする言葉でしたが、そういう意味だったのか~と納得しました。