麻賀多神社

Last-modified: 2013-11-25 (月) 23:29:25
 

麻賀多神社
まかたじんじゃ
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(参拝日:平成25年5月3日)
住所:千葉県佐倉市鏑木町933-1mapionlogo.gif
主祭神:和久産巣日神(稚産霊命)
社格:郷社
主な祭礼:10月14-16日(例大祭)

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
当社は旧佐倉藩の総鎮守で、古くから「まかたさま」とこの地方の人々に親しまれ、崇敬されてきたお社です。

麻賀多神社という神社は、当社をはじめとしてこの佐倉市内に十一社・隣接する酒々井町二社・
成田市二社・富里市二社・八千代市一社を数えます。

一見多く存在するようですが、これを全国的に見ますと他の地方には見られない、
珍しい名前の神社で、印旛沼の東側から南にかけての地域にのみ存在する神社です。

しかしながら今から約一〇五〇年程前に完成した政令集「延喜式」の巻第九・下総国の項に、
この「麻賀多神社」の社名が記載されており、当時すでに中央にまで知られていた神社である事がわかります。

その御鎮座は佐倉地方開闢の頃と云われており定かではありません。
しかし社名については口伝によると以下のようになっております。

鎮座している千葉県は古来、麻の産地であり「総国・ふさのくに」の総は麻を表しております。
その中にある印旛地方は下総国成立以前は印旛国であり、朝廷より国造が派遣されておりました。
その国造に多一族の伊都許利命が就任してたとの記録が先代舊事本紀に記載されております。
その国造が代々祀ってきたのが当社であり、「麻の国で多氏が賀す神の社」と訓読みすることが出来ます。
鎮座地の「佐倉」という地名も「麻の倉」が転じてと言われており、
佐倉地方が古代物流の中心的地位を占めていたことが判ります。

時代が下がり、徳川時代になると神社の西方に土井利勝公が佐倉城を築き、その城主となってからは、
当社はこの地方の氏神様であるばかりではなく、城の追手門近くに鎮座する神社なので、
城地鎮護・佐倉藩総鎮守の神として代々の城主・家臣に篤く崇敬され、
社殿の度々の造営・神号額・神鏡・絵馬等の奉納が続きました。

現在の社殿は天保十四年、のちに幕府の老中首座を務めた藩主堀田正睦公が新たに建て替えたものです。
尚、平成十五年に氏子一同の奉賛により大修営が行われ、厳かに正遷座祭が斎行されました。

明治維新以降は佐倉城趾に陸軍連隊が配置され、県内各地から入隊した房総健児が武運長久を祈願しました。  

先の大戦よりすでに久しく、現在は安産育児・家内安全・病気平癒などをお祈りする人々が
いつの世に変わらず社前に見られ、樹齢800年以上の大銀杏をはじめ古木・大樹に囲まれた境内は
氏子・崇敬者の憩いの場となっております。

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↑社殿↑
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↑三峯神社↑
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↑疱瘡神社(なで恵比寿)↑
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↑みむすぎ銀杏↑
(以下、余談)
国立歴史民俗博物館佐倉城跡公園がある市街地に神社はあります。
麻賀多神社という社名は全国的に見ると珍しく、印旛沼の東~南側にかけてのみ点在します。
「佐倉」という地名は「麻の倉」が転じたといわれ、古来から物流の中心的な地位にありました。

樹齢800年以上の御神木を中心とする親子三代の「みむすぎ銀杏」がパワースポットとして人気のようです。
御祭神の稚産霊命は、恋愛成就・安産子育・健康守護などの御利益があります。