熊野那智大社

Last-modified: 2013-04-28 (日) 07:33:10
 

熊野那智大社
くまのなちたいしゃ
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(参拝日:平成24年3月4日)
住所:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1 mapionlogo.gif
主祭神:熊野夫須美大神
社格:官幣中社、別表神社
巡礼:神仏霊場巡拝の道第3番
主な祭礼:7月14日(扇祭、那智の火祭り)
webサイト:熊野那智大社

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↑三重塔と那智大滝↑
(由緒:現地案内板より)
この地を「熊野」と申します。クマとは、「奥まった処」「隠れたる処」との意があり、
そこは「上座」であり「聖」なる地と位置づけています。

「クマ」と「カミ」は同じ意味があり、「クマノ」は「カミの野」で神々の住まえる地といえます。

神倭磐余彦命はこの地に上陸され、八咫烏の案内で大和の地に着き神武天皇となられました。

その時に那智の瀧を大己貴命の御霊代として祀られたのが那智山信仰の起こりと伝え、
仁徳天皇五年(約一六八〇年)この地に社殿を建立したと伝えています。

古来、「日本第一大霊験所・根本熊野三所権現」那智山熊野権現と称し、
御社名を「熊野那智大社」と申し、御祭神は、熊野夫須美大神と申し上げ、
日本で最初の女神「伊弉冉命」を主命とし十二柱の神々をお祀りし、
全国に鎮座する約四千余社の熊野神社の御本社(熊野本宮大社 熊野速玉大社とともに)であり、
熊野三山の一社であります。

重畳と續つく紀伊の山々の果て、前面に大海原が拡がる温暖の地は京洛より山川八十余里、
往復1ヶ月を要し、後白河法皇の三十四度・後鳥羽上皇の三十一度を始め
数多くの人々が続々と熊野詣を為し、その様子を「蟻の熊野詣」と称しています。

御社殿は、熊野権現造りと称し正面五棟・側面一棟と御縣彦社・鈴門・瑞垣から成っており、
往古、織田信長により焼き討ちに逢い、豊臣の代に再興し、享保・嘉永に修復し、
最近では昭和九年の室戸台風の被害により解体修復が行われ、平成七年に国指定文化財となりました。

更に、平成十四年より檜皮の葺き替え・丹塗りの塗り替えを行い、
御社殿及び境内内域はこの度『紀伊山地の霊場と参詣道』として世界遺産に認定され、
この那智山社域一帯は吉野熊野国立公園特別地域であります。

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↑社殿の一部↑
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↑青願渡寺↑
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↑飛瀧神社と那智大滝↑
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↑那智山から見た風景↑
(以下、余談)
朝早かった(午前7時くらい)ことから、那智黒を店先に並べる土産屋も開いておらず、心が洗われるほど静かな山内でした。
JR那智駅から30分くらい車を走らせると見えてきます。那智山に入る直前の道が九十九折で標高を稼ぎます。
徒歩だと辛そう・・・

熊野三山のうち、今回の水害の被害が最も大きかったのが那智山ではないでしょうか。
台風来襲から半年経つので、通行止はありませんでしたが、道路の土砂を撤去するための信号機がありました。

那智四十八滝のうち、陰陽の滝などいくつかが確認できない状態になっていると言います。
那智山の自然を取り戻すため、山伏の方々が地道に活動を続けていらっしゃるそうです。

神社ではありませんが、西国三十三箇寺の第1番札所「青願渡寺」が隣接しています。
天正18年(1590年)建立の本堂は、熊野地方で一番古い建築物らしいです。
こちらも御朱印を頂きました。機会がありましたら、掲載したいと思います。

那智山を下っている時、土産屋の業者なのだろうか、はたまた観光客なのか、次々と山を登る車とすれ違いました。
災害直後は観光客の足が遠のいていたようですが、「蟻の熊野詣」を取り戻す日も遠くはないのでしょうか。