当神社の神体山三輪山に鎮り坐す御祭神大物主大神は、
世に大国主命(大国様)の御名で広く知られている国土開拓の神様であり、
詳しくは倭大物主櫛魂命と申し上げます。
古典の伝えによれば、神代の昔少彦名命と協力してこの国土を拓き、
農、工、商、すべての産業開発、方除、治病、禁厭、造酒、製薬、
交通、航海、縁結び等世の中の幸福を増進することを計られました
人間生活の守護神であらせられます。
後にこの神様の御思召しにより、その御魂(幸魂・奇魂)を
三輪山(三諸の神奈備)に永くお留めになり、それ以来、
今日まで三輪山全体を神体山として奉斎して来ました。
それ故に、本殿を持たない、上代の信仰の形をそのままに
今に伝えている我国最古の神社であります。
この三輪の地は古く大和の文化の発祥の地で、
政治・経済・文化の中心地でもありました。
三輪山麓を東西に流れる初瀬川の水路の終点に、
日本最古の市場であります海石榴市が八十のちまたとして開け、
又、南北に走る日本最古の産業道路である山の辺の道と共に
この三輪の地は交通の要所ともなったのであります。
第十代崇神天皇の御代には、文化も全盛を極め、更に中古からは大和国の一の宮となり、
二十二社の一つとして上下民衆の厚い信仰を集めてまいりました。
又中世に於ては「三輪流神道」と申します特殊な宗教哲学が生まれ、
上古以来の信仰に一つの組織と哲学とを添えることになりました。
神社背後の三輪山が御神体ということで有名な神社です。大物主神が鎮まります山、三諸の神奈備と称されます。
この付近の名産品・三輪そうめんも知られていますね。そうめん発祥地とも言われています。
大神神社には本殿がありません。三輪山が御神体なので、拝殿から三輪山を仰ぎ拝むといった手法を取ります。
原初の祭祀形態を残しているとされ、神社の歴史を扱った書籍では必ずといっていいくらい登場しますね。
周辺には卑弥呼の墓と推測されている箸墓古墳がある纒向遺跡があり、ヤマト政権と関わりがある説もあります。
以前にこの三輪山を登拝した際には、鬱蒼とした樹林の中を進むと、禊を行う滝場と2箇所の磐座がありました。
ここは飲食・喫煙・撮影禁止です。ですが、実際には携帯やデジカメで撮影している不届き者がいました。
水分補給としての飲用は認められています。この時は知らなかったので、飲まずに登山をして大変でした。
往復2時間はかかる道のりでしたが、すれ違う人が多かったことを覚えています。
夕方で駆け足で参拝をしたので、今回は慌しくなってしまいましたが、今度はゆっくりと参拝したいです。