奈良町天神社
住所:奈良県奈良市高畑町1049
主祭神:少彦名命、菅原道真
社格:村社
主な祭礼:10月12日(例祭)
↑鳥居↑
(由緒:現地案内板より)
当神社の境内地を合むこの丘陵一帯は、平城京がわが国の首都であった八世紀、平城の飛鳥とよばれれた聖地でありました。
ここに祀られたのが国つ神の中心の一柱である少彦名命で、手間茨神とよばれ医薬や学問の神としてあがめられました。
当神社の境内地を合むこの丘陵一帯は、平城京がわが国の首都であった八世紀、平城の飛鳥とよばれれた聖地でありました。
ここに祀られたのが国つ神の中心の一柱である少彦名命で、手間茨神とよばれ医薬や学問の神としてあがめられました。
平安時代になって、奈良の菅原の地を出自とする菅原道真の名声が高まり、道真の霊を祀る天満宮が各地に
奉祭されるのにともなって、ここの神域にも相殿が建てられて御霊信仰の主神であり、
学問勉学の神でもある菅原道真公の霊(天満天神)が併せ祀られることになりました。
社伝によると平安時代の白河天皇の時であろうということです。
その後、元興寺禅定院あるいは興福寺大乗院の鎮守となり、近世には奈良奉行や近郷の信仰を集めて現在に至りました。
↑社殿↑
↑稲荷社↑
(以下、余談)
奈良公園の南側のこのエリアはならまちという旧市街地の情緒が色濃く残るスポットです。
付近には御霊神社や霊符神社、元興寺や新薬師寺などの神社仏閣が点在しています。
平城京に遷った当時は、神社のある当地を平城(なら)の飛鳥と呼んでいました。
もとは少彦名命・手間天神がお祀りされていましたが、白河天皇の時に菅原道真が相殿に祀られました。
中世は元興寺禅定院・興福寺大乗院の鎮守、近世は奈良奉行や近郷の信仰を集めました。
小さい神社ながらも、由緒正しい歴史がありますね。
残念だったのは、訪問したときは社殿が修理中で見れなかったことです。再度の訪問をしたいです。