柳澤神社

Last-modified: 2014-01-06 (月) 00:03:34
 

柳澤神社
やなぎさわじんじゃ
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(参拝日:平成25年4月27日)
住所:奈良県大和郡山市城内町2-18mapionlogo.gif
主祭神:柳澤美濃守吉保公
社格:村社
主な祭礼:11月2日(例祭)

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
御祭神柳澤吉保公は、万治元年(一六五八年)、江戸に生まれ本名を保明、通称を弥太郎と称し、晩年に保山と号した。
父君安忠の代から館林の綱吉公に仕え、吉保公も父のあとをついで小姓組番頭を勤めた。
綱吉公が五代将軍につくと幕臣となり、元禄元年(一六八八年)綱吉公の寵愛によって一万石を加えられ側用人となる。

もとより英俊敏捷にして学を好み将軍綱吉公の意をよくとらえ、しばしば加禄されて、
元禄七年には、武蔵国川越城主で老中格となる。

宝永元年(一七〇四年)、甲府城に封じられ、表高は十五万石を与えられる。

民の疾苦を問い、強く仁政を施し、名士も多く其門に集まり、細井廣澤、荻生徂徠は、最もよく知られるところである。

宝永綱吉公の死後、吉保公は東京駒込(六義園)に移り隠退する。後、剃髪して保山と号す。

正徳四年(一七一四年)十一月二日保山吉保公死す。享年五十七歳。

御子柳澤吉里公が甲府より享保九年(一七二四年)郡山に国替えとなり、柳澤藩が十五万一千石余の大名として
六代一四〇年、明治維新まで続く。

柳澤神社境内および、城跡一帯で「お城まつり」が毎年三月下旬から十日間開催され、お花見をかねて、参拝者が訪れる。

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↑社殿↑
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↑大和郡山城跡↑

(以下、余談)
大和郡山城跡の本丸付近に鎮座する神社です。
明治維新後、旧藩士たちによって明治十三年十月に創建しました。
御祭神は徳川綱吉の側用人となり、大老にまで登りつめた柳沢吉保をお祀りしています。
吉保は川越甲府城主となり、吉保公の子・吉里公が国替して郡山城に入府、以来柳澤藩として明治を迎えます。

入口に有栖川宮熾仁親王による「柳澤神社」の板が掲げられていましたが、
昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で拝殿が倒壊した時に壊れたようです。