仙台東照宮

Last-modified: 2013-05-10 (金) 23:07:53
 

仙台東照宮
せんだいとうしょうぐう
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(参拝日:平成24年8月12日)
住所:宮城県仙台市青葉区東照宮1-6-1mapionlogo.gif
主祭神:東照大権現
社格:県社
主な祭礼:4月17日(例祭)
webサイト:仙台東照宮

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↑随身門↑
(由緒:パンフレットより)
仙台市の東北に位置するこの地は玉手崎とよばれ、遠く蒼海を望む風光明媚な丘陵である。

天正十九年(一五九一)九月末、徳川家康公が奥州仕置の視察を終えて岩出山から江戸へ戻る途中、
当時天神社の境内であったこの場所で休息されたとの故事により、
御祭神ゆかりの場所として鎮座地に選ばれたという。

仙台藩二代藩主伊達忠宗公は、東照大権現を伊達家の守護神としてお祀りするため、
慶安二年(一六四九)五月、三代将軍徳川家光公に東照宮造営を願い出て許しを得、
同年八月に普請を始めを行い、本殿、唐門、透塀、幣拝殿、本地堂、御供所、随身門、鐘楼、石鳥居、御厨、
別当仙岳院、御旅宮等が完成し御遷座が行われたのは、着工以来五年後の承応三年(一六五四)三月である。

造営に携わった総人数八十三万四千八百三十五人、総工費小判二万二千四百四十三両を要した。

諸国に良材を求め、当時としては珍しい七宝金具を使用した精巧な錺金具や金箔押しの彫刻で社殿を装飾し、
屋根には銅瓦葺きを採用する等、伊達文化の粋を結集した仙台藩の総力を挙げての大事業であった。

明暦元年(一六五五)より九月十七日を祭礼日と定め、
神輿渡御の先駆として城下の町々より山車が出る藩内最大の祭りで、
この祭りを仙台祭りと称し、江戸時代末期まで盛大に行われた。

明治維新後、伊達家の保護を離れたため危急存亡の秋を迎え境内は一時荒廃したが、
氏子の尽力により整備され明治十二年郷社に列し、大正四年には県社に昇格した。

大正十年四月、明治以降中断していた神輿渡御が復興され、盛大に祭礼が執り行われた。

昭和十年八月、不慮の火災により幣拝殿・神饌所が焼失したが、昭和三十九年十一月に原形に復元される。

昭和五十二年から昭和五十四年にかけて唐門、透塀、本殿の修理工事が実施され、
創建当初の荘厳華麗な姿に復元された。

平成十五年四月、御遷座三百五十年記念奉祝事業として
参集殿・社務所改築工事・境内整備工事が実施され、竣工する。

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↑拝殿↑
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↑石灯籠↑
(以下、余談)
仙台東照宮は、JR仙山線・東照宮駅のすぐ近く、杜の都・仙台の高台に鎮座しています。

参道には、37基の石灯籠が並びます。伊達騒動後に奉納されたものだそうです。
この日は、暑さが厳しい日だというのに、石段を何往復もランニングしている親子がいました。

石段の両脇には、赤いコーンが並んでいましたが、工事の準備中だったのでしょうか。
工事といえば、随身門の両脇にはカバーが覆われていました。

随身門を潜り、社殿前に到着しました。
随所に木彫が施された建物にしばし目を奪われます。重要文化財に指定されています。
御朱印と一緒に頂いたパンフレットを見ると、煌びやかな本殿と唐門が遺されていることが分かります。

神輿渡御の時は賑やかなのでしょうが、蝉の声が響き渡るのみの境内でした。
今度は涼しい季節に参拝したいですね。