多賀城政庁東門跡地と加瀬沼との間に鬱蒼とした木立に囲まれて陸奥総社宮が鎮座されています。
入り口階段両側に数多くの神社名が列記されていますのが目立ちます。
神社の創立は今から1千年余りにさかのぼります。
神亀元年(西暦724年)多賀城に国府が創建されてから
177年後は醍醐天皇の御代で年号は「延喜」でした。
律令政治の基本となる「延喜式」の編纂が始まった頃です。
醍醐天皇の勅命で日本全国の由緒正しい神社を選別して「神名帳」に記載し「延喜式内社」と称しました。
その数は3,132社、うち188社を大社、その他を小社に分別しましたが、
参拝に不便なため、各国府毎に多くの祭神を1か所に合祀勧請しました。これが総社宮と称せられます。
陸奥総社宮は陸奥国31郡の100社(大社15、小社85の祭神)が合祀されて奉り、国土鎮護の神として、
多賀城国府とともに東北の政治・文化・軍事の中心的役割を果たしてきた由緒深き神社です。
多賀城国府は平安末期の10世紀後半で廃絶しましたが、陸奥総社宮は1716年(享保19年)に改築され、
心願成就の神として歴代伊達藩主を始め世間一般から篤い信仰が続く一方、
安産守護、海上守護、歳徳、武徳、大難除けの神として尊崇されて現在に至っています。
神殿横には樹齢600年余の老杉と220年余の老白木蓮が対になっています。
古人は長寿で仲の良い夫婦にみたて、家族円満の神樹として『老杉に白木蓮の花化粧』と
愛され、読まれ、語りつがれてきました。
拝殿にある「疣取り神箸」と「安産枕」は今でも効果てきめんとか。
多賀城市の郊外、国府・多賀城の政庁東門跡地近くに神社がありました。
神社の周囲は、鬱蒼とした木立に囲まれています。
境内には、樹齢600年余の老杉や220年余の老白木蓮が対になっており、
「老杉に木蓮の花化粧」と家族円満幸せの神樹とされてきました。
ずらりと書かれた「延喜式神名帳陸奥国一百座」が神社入口にありますが、
この1箇所に陸奥国すべての神社を合祀したことを表しています。
巡拝せずとも、国内すべての神社に参拝したことになるとは、ありがたい神社ですね。