天岩戸神社

Last-modified: 2013-10-06 (日) 16:39:04
 

天岩戸神社
あまのいわとじんじゃ
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(参拝日:平成25年8月16日)
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住所:宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸1073-1mapionlogo.gif
主祭神:(西本宮)大日孁尊、(東本宮)天照皇大神
社格:村社、別表神社
主な祭礼:11月3日(天岩戸神楽まつり)
webサイト:天岩戸神社

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↑西本宮 鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
古事記、日本書紀等に皇祖天照皇大神は御弟素盞嗚尊を御避け遊ばして暫く天岩戸へ御籠り遊ばされた事を
記して居ますが、当神社は其の言蹟天岩戸を斎ひ奉る神社で、天孫瓊々杵尊御降臨あり、
初で天が下知食し給ひし時に斎ひ創め給はれたと伝へます。

境内社殿の背後断崖の中腹に御寝あり天照皇大神龍らせ給ひし処と伝へ、
古より其の御神域を御神体としてお祭り致して居ります。

社殿は東本宮天岩戸直拝の西本宮と岩戸川の渓谷を挟み相対して御鎮座主しますが
東本宮関係の昌泰年間(西暦八九八年)の記録に天照皇大神、天岩戸より御出ましの節、
思兼神其の御手を取りて東本宮の土地に御造営の御社殿へ御鎮りを願ったと記してあります。

弘仁壬辰三歳中秋には三田井候の遠祖、大神大太惟基公霊夢に恐惶して額廃せる社殿を
再興し深く其神明を崇敬したと申します。

又神社に由縁の舞楽として岩戸神楽三十三番の古雅なる手振を宮司社家代々伝へ氏子達習ひ伝へて
祭典に奉奏する外、毎年十一月下旬より二月初旬にかけ、各集落において、民家に〆かざりして
終夜舞続け黎明に及びて岩戸開きと称するを舞納むる慣習があります。

往時名士の此の地を訪ふ者も多く寛政の奇士高山彦九郎の参詣紀行あり薩摩の歌人八田知紀礼参し、
水戸の烈士井上主人義秀等八名参籠して俳句「落つるには 手もなきものよ蝸牛」を残して居ます。

又大宝の昔京都神祇官ト部朝臣参拝の記録あり相当古くより中央に認られて居た事が考へられます。

皇室の崇敬も厚く秩父宮殿下、秩父宮妃殿下、高松宮殿下、三笠宮殿下、朝香宮殿下、常陸宮(義宮)殿下を
始め皇族、侍従の代参等、度々の御参拝がありました。

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↑西本宮 拝殿↑
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↑神楽殿↑
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↑天岩戸遥拝所↑
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↑神門↑
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↑境内地図(クリックで拡大)↑
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↑徴古館↑
(以下、余談)