高千穂神社
住所:宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1037
主祭神:高千穂皇神、十社大明神
社格:国史見在社論社、村社、別表神社
主な祭礼:11月22-23日(神話の高千穂夜神楽まつり)
↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
当宮は初め高千穂皇神と申しあげてこの地に宮居をさだめられた天孫瓊々杵尊以下三代の神々を
お祀りし千百余年前の承和十年に従五位下、天安二年には従四位上の位を授けられたことが
六国史にはっきり記されており、日向国で一番位の高い神社でした。
当宮は初め高千穂皇神と申しあげてこの地に宮居をさだめられた天孫瓊々杵尊以下三代の神々を
お祀りし千百余年前の承和十年に従五位下、天安二年には従四位上の位を授けられたことが
六国史にはっきり記されており、日向国で一番位の高い神社でした。
神武天皇の御兄三毛入野命が高千穂に帰られ神籬をたてて日向御三代の神々をお祭りされたのが初めで、
その子孫が長く奉仕されたので後には三毛大野命御夫婦と八柱の御子とを配祀して十社大明神と
申し上げました。後更に多くの神々を合祀しています。
社殿は十一代垂仁天皇の御代の創建といわれ、天慶年間豊後国から大神氏が来て三田井家を興し
十社大明神を高千穂郷八十八社の総社と崇めました。
源頼朝は畠山重忠を代参として多くの宝物を奉納し重忠手植の秩父杉は
八百年たった今もなお社頭に高くそびえています。
文永、弘安の役には勅使が見え、南北朝の頃征西将軍懐良親王御祈願など古記録や宝物が多数残っています。
天正年間三田井氏が滅んで延岡領となり高橋、有馬、三浦、牧野、内藤と歴代藩主は
それぞれ社領を寄進し例祭にはたえず奉幣して明治に及びました。
大正四年秩父宮御成をはじめ十数家の皇族が参っておられ昭和四十六年七月一日には
別表神社(旧官国幣社)に列せられました。
二千年に近い歴史をもつ当神社は古来、国家鎮護・縁結び・厄除交通安全の神として、
幅広い信仰をあつめております。
↑拝殿↑
↑夫婦杉↑
↑荒立神社と四皇子社↑
↑秩父杉↑
↑鎮石↑
(以下、余談)