志駄岸神社

Last-modified: 2014-01-03 (金) 19:29:09
 

志駄岸神社
しだきしじんじゃ
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(参拝日:平成25年7月20日)
住所:山口県大島郡周防大島町大字小松宮の下682-4mapionlogo.gif
主祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、天照皇大神
主な祭礼:4月3日(例祭)

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
周防国の鎮守として七七二年、屋代の徳珍に宇佐八幡宮を勧請して建てられた朝字は洪水で流出し、
一二八二年現在地の小松山に再建され、志駄岸八幡宮と称し、
椋野郷から戸田郷までを氏子として鎮守して、明治初年、政令により、恋駄岸神社と改称。
一九五二年宗教法人に組織変更をした社有地は一万六千平方メートル(約五千坪)

神殿は三殿五社で、祭神として、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・天照皇大神及び海上神として
住吉三神・産土神として天児屋根之命を合祀している。

例大祭は四月三日・風鎮祭は九月一日・他、由緒祭・祈年祭・新嘗祭は恒例日に斎行される。

現在の社殿は一八九〇年に改築され、江戸時代の神社様式に権現造りを加えた豪葦な工匠を見ることができる。
又、同時に寄進された、胴廻り、三・五メートルの大太鼓は、九州島原城の天守閣で使用されていた由緒深いもので、
その音量・音韻は今も昔と変わらないようである.

石造のうち、中、一〇五石段 下、一七石段は夫夫、福元長右衛門氏・永田幸一氏の一建立であるが、
二面の大灯龍は塩田・御開作によって一段と繁昌した商工海運業者が、一八四〇年~四六年に寄進した物で、
大阪・九州等島外一八名を含む一四七名の問屋名が刻銘されており、
夜間には高く灯火を掲げて塩田越の海路標識に役立てた。

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↑拝殿↑
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↑境内社↑
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↑市街地遠景↑
(以下、余談)
周防大島と本州側を結ぶ大島大橋の近く、大島町役場がある集落内に鎮座します。
神社の前には大島商船高専があります。商船の高専は珍しいですね。日本に5校しかないそうです。

島原城で使用されていた大太鼓が奉納されているそうです。どういった由緒でここに着たのか気になります。
御朱印は鳥居付近の宮司宅で頂きました。