兵主大社
住所:滋賀県野洲市五条566
主祭神:八千矛神
社格:式内社(名神大社)、県社
主な祭礼:5月5日(例祭)
↑鳥居と楼門↑
(由緒:パンフレットより)
「兵主」の神は、全国に五十社近くお祀りされていますが、その内延喜式神名帳に記載されている社が十九社、
その中でも当社は大和国穴師坐兵主神社・壱岐国兵主神社と並んで名神大社に列せられています。
「兵主」の神は、全国に五十社近くお祀りされていますが、その内延喜式神名帳に記載されている社が十九社、
その中でも当社は大和国穴師坐兵主神社・壱岐国兵主神社と並んで名神大社に列せられています。
元来、中国の八神信仰に由来する「兵主」の神を、渡来人が奉斎し但馬国を中心に
全国各地にお祀りしたと考えられます。
「兵主大明神縁起」によれば、御鎮座は養老二年(七一八年)と伝えられます。
「兵主」を「つわものぬし」と読むことにより、中世には武将の信仰が厚く、
源頼朝・足利尊氏による社殿の造営を始め数多くの武器・武具類の寄進があり、
社宝として伝えられています。
一方では、旧不動堂・不動明王立像を始め仏教色を残す宝物が多く残存し、
当社の信仰圏の広さがうかがえます。
又、当社は「兵主十八郷」と称する氏子地域の総氏神として住民より心のよりどころと仰がれ、
他方、三十番神信仰に代表されるように全国各地よりの崇敬者の参拝も跡を断ちません。
↑拝殿↑
↑境内地図(クリックで拡大)↑
↑乙殿神社↑
↑神鶏↑
↑護摩堂↑
本殿北側から南側にかけて国指定名勝の庭園が拡がっています。
近年の発掘調査により、平安時代の洲浜敷護岸が発見され、導水路・排水路、築地塀など相次いで見つかりました。
平安時代の庭園では、浄土式庭園や寝殿造が多いですが、
祭祀が行われていることを裏付ける土器が出土していることから、国内でも数少ない神社庭園と言われています。
境内の建築物は、造営年代が古いものが多いです。
本殿は江戸初期の寛永20年、一間一戸の楼門は室町末期の天文19年です。
地上にも、地下にも、歴史のある神社でした。