小槻神社

Last-modified: 2013-05-10 (金) 23:31:15
 

小槻神社
おつきじんじゃ
おつき8.jpg
(参拝日:平成24年10月8日)
住所:滋賀県草津市青地町873mapionlogo.gif
主祭神:於知別命、天児屋根命
社格:式内社(小社)、郷社
主な祭礼:5月3日(例祭)

おつき1.jpg
↑鳥居↑
(由緒:現地案内板より)
小槻神社と延喜式神明帳に載るところの旧粟太郡八座の内にあり
第十一代垂仁天皇の皇子於知別命より出て、粟太に連なる山脈を守った名族小月山公の氏人が
祖神を祀り産土神となすを始とします。

天児屋根命は中世合祀され勧請年月不詳ながら
旧記によれば貞観二年(八六〇年)正一位小槻大明神の宣旨を賜うとあり、
天徳三年(九五九年)志津池(香の池)の傍に遷座の頃より池の宮と申すとあります。

延慶宝暦年間二度社殿宝蔵を焼き惜しくも古記神宝を失いましたが
天正九年(一五八一年)宗源宣旨正一位池の宮大明神号証を現存します。

貞治三年(北朝)(一三六四年)青地城主神輿造営以来例祭には
城中に迎えて礼を尽し下戸山小槻社に向かい尚小汐井社を経て還御、
後年これを廃し後日の証として瓶一個宛を別ち、
今も小汐井社の神宝となし当社は焼失した模様です。

弘長永禄年間崇敬厚い青地城主は幾度か寄進修造を重ねて
明治十四年後本社大造営の結果現社殿を拝し、同十六年郷社に加列せらる。

当社には伝来の龍神池竜王像を安置尊像を池中に沈めて
喜雨を得近邑の人々大いにこれを祈ります。

おつき5.jpg
↑本殿↑
おつき7.jpg
↑竜王社 竜神池↑
おつき2.jpg
↑境内地図(クリックで拡大)↑
おつき3.jpg
↑古墳の石垣↑
おつき6.jpg
↑湯立所↑
(以下、余談)
草津市と栗東市の市境近く、名神高速の高架に沿って神社はあります。

神社の周辺には古墳が多く、小槻氏と関係が指摘されています。
明治の御造営の際に、境内から古墳の石材が発見され、神社の石垣に一部が流用されています。

小槻山氏が於知別命を祀ったのが創祀とされていますが、その年代や社地は詳らかではありません。
それから、幾度の奉遷を経て、現在地に鎮座しました。

戦国時代には、青地城が隣接してありました。鎌倉時代から室町時代にかけて、青地氏12代の居城でした。
現在の志津小学校横にある城池がその遺構と言われており、他にも土塁などが残っているようです。