足羽神社

Last-modified: 2013-05-10 (金) 23:27:22
 

足羽神社
あすわじんじゃ
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(参拝日:平成24年10月7日)
住所:福井県福井市足羽上町108mapionlogo.gif
主祭神:継体天皇
社格:式内小社、県社
主な祭礼:7月31日(わくぐり祭)
webサイト:足羽神社

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↑鳥居↑
(由緒:現地案内板より)
継体天皇は、応神天皇六世の皇孫で、御名を男大迹王といわれ
御母の里高向(現・岡町南部)でお育ちになり、大変徳の高い御方に成長されました。

その頃の越前の国は、沼地で人の住むにも限られた土地しかない国でしたので、
男大迹王は大変心を痛められ、足羽山に土地を卜して御社殿を建て、大宮地之霊を祀って、
神前に誓い、地の理を調べて現在の九頭龍・足羽・日野の三大川を作り、
三国に水門を開き、諸水を海に流されて越前平野ができました。

これによって農業が盛んになったばかりでなく、川を利用して舟で荷が運べるようになりました。

また、道を作り人々の住居を定め、耕種、養蚕、採石、製紙その他諸産業興隆の道を教えられ、
昔より越前開闢の御祖神と称え尊ばれてきました。

時恰も二十五代武烈天皇が崩御され、御世継がおられなかったので、
諸大臣が相談し幾度となく男大迹王を天皇として御迎えに参り、
ついに二十六代天皇の御位に即かれました。

此の時天皇は、越前の国を離れるに当たり、この地を慕い、
また後に残す人々のことを心配されるあまりに、「末永く此の国の守神に成ろう」と、
自ら御生霊を此の宮に鎮め、御子馬来田皇女を斎主とされ、都に立たれました。

皇女は天皇の御霊と大宮之霊を守護り、阿須波の神明により足羽宮と称え奉ることになさいました。

福井、足羽郡、足羽川などの名も皆、御神名に縁起している訳です。

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↑拝殿↑
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↑六地蔵宝塔↑
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↑枝垂桜↑
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↑継体天皇像↑
(以下、余談)
足羽山にある神社です。境内は七五三詣りの車がたくさん泊まっていました。

神社のある足羽山には、継体天皇石像があり福井市街を見守っています。
5世紀頃のこの周辺は、人が住むのに適さない沼地であったので、大宮地之霊を足羽山に祀って祈願したそうです。
継体天皇は九頭竜・足羽・日野の三大河川を造り、三国に水門を開き、越前平野が形成したと言われています。

この辞世を早くから研究したのが、本居宣長の門人・田中大秀でした。
弘化4年(1847年)、この成果を広めるために、「継体天皇御世系碑」を境内に建立しています。

ちなみに、継体天皇石像は境内にはなく、足羽山頂付近にあります。