古四王神社
住所:秋田県秋田市寺内児桜1-55-5
主祭神:大彦命、武甕槌命
社格:国幣小社、別表神社
主な祭礼:5月8日(例祭)
↑鳥居↑
(由緒;パンフレットより)
往古のことは詳かならねど、和が北門の鎮護として大毘古命先づ武甕槌命を奉祀し、
鰐田浦神と称し次いで阿部比羅夫将軍下向の砌り、大毘古命を合祀して、
古四王と崇めたりと、斎明天皇紀に齶田浦神見え、又彼地の神を祭るなどあり。
往古のことは詳かならねど、和が北門の鎮護として大毘古命先づ武甕槌命を奉祀し、
鰐田浦神と称し次いで阿部比羅夫将軍下向の砌り、大毘古命を合祀して、
古四王と崇めたりと、斎明天皇紀に齶田浦神見え、又彼地の神を祭るなどあり。
三代實録に出羽國正六位上高泉神並從五位下とあるは当社のことなりと。真澄遊覧記に云へり。
蓋しこの地古へ齶田村と称し、鎮座の地を高清水岡と云ふ。
聖武天皇天平五年出羽柵を遷してこの高清水岡に置かれ後秋田城となりて、
北辺防備の根據地となり、坂上田村麿将軍これに據られたれば其の守護神となり給ひ、
中世秋田城鎮守、古四王大權現と申して、武人並に地方民の崇敬篤く、
秋田城之助しばしば社殿を造営し、佐竹藩主特に崇敬ありて、
社領六拾石を寄るせられ、明治九年縣社、同十五年四月二十九日國幣小社に列せらる。
↑拝殿↑
↑田村神社↑
↑菅江真澄 句碑↑
(以下、余談)
国指定史跡・秋田城に近い場所にありました。
伝説の域を出ませんが、境内の田村神社は坂上田村麻呂が参拝したそうです。
「こしおう」には、古四王、越王、巨四王、胡四王、高志王、腰王、小四王、小姓など
様々な表記がありますが、すべて当社の関連社と考えられているそうです。
東北・北陸地方の「越の国」を中心に分布しています。
仏教の影響からか、寺内地区では肉、牛乳、卵を食さない風習が近年まで残っていたとか。
中世には、秋田城の鎮護のために建設されていた四天王寺と習合していました。