彌高神社

Last-modified: 2013-05-10 (金) 23:06:28
 

彌高神社
いやたかじんじゃ
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(参拝日:平成24年8月19日)
住所:秋田県秋田市千秋公園1-16mapionlogo.gif
主祭神:佐藤信淵大人命、平田篤胤大人命
社格:県社
主な祭礼:6月15日(佐藤信淵大人命生誕祭)、8月24日(平田篤胤大人命墓前祭)
webサイト:彌高神社

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↑鳥居↑
(由緒:現地案内版より)
彌高神社は明治四十二年(一九〇九)に、国学者平田篤胤、経世済家佐藤信淵の両大人を祀る神社として創建され、
大正五年(一九一六)現在地に移築したものである。

この社殿はもと久保田城内にあった佐竹氏の氏神八幡神社の正八幡社で、文政二年(一八一九)の建造である。
本殿は桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝三間、銅板葺である。

向拝は吹放しとなり、虹梁と手狭を重ねた珍しい手法があり、また縁腰組などの扱いと彫刻類の多用などに、
この時代の特徴がよくあらわれている。

拝殿は桁行正面五間、背面七間、梁間四間、入母屋造、向拝一間、軒唐破風付、銅板葺で
平面計画に独特なものをもっている。

本殿、拝殿は現在石の間で結ばれ、権現造の形式をとるが、石の間は後年の建造とみられる。
彌高神社拝殿は、秋田藩の造営した数少ない神社建築として重要なものである。

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↑社殿↑
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↑平田篤胤句碑↑

(以下、余談)
久保田城二の丸に鎮座する神社です。平田篤胤、佐藤信淵の二柱を祀っています。
webページを見ますと、平田篤胤の叢書がダウンロードできます。古いものは、昭和に刊行されたものです。

無学な私は知りませんでしたが、復古神道(古道学)の大成者であり、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに
国学四大人の一人に数えられるそうです。
島崎藤村『夜明け前』に平田学派について詳細に描かれています。
討幕運動の最中、大衆には広く受け入れられましたが、明治の国家神道が形成される中では次第に排除されました。

千秋公園は散歩するにはちょうどいい公園で、実際にこの日もジョギングやウオーキングに勤しむ人を見かけました。
夏のこんな日は、ババヘラアイス片手に日陰を求めたくなりますが、神社のあたりがちょうどよかったです。

久保田城は今でこそ、城門や隅櫓が復元されていますが、当社には藩政時代の建物が残ります。
千秋公園の中でも凛として佇む、存在感のある神社だと思います。