倭文神社

Last-modified: 2013-08-24 (土) 15:02:31
 

倭文神社
しとりじんじゃ
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(参拝日:平成25年6月16日)
住所:鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宮内754mapionlogo.gif
主祭神:建葉槌命
一宮:伯耆国一宮
社格:式内小社、国幣小社、別表神社
主な祭礼:5月1日(例祭)

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
安産の神として崇敬されている当神社には、伯耆国の一ノ宮で下照姫命が出雲から海路御着船従者と共に現社地に住居を定め、
当地で死去される迄、安産の指導に努力され、農業開発、医薬の普及にも尽くされたという。

創立当時当地方の主産業が倭文の織物であったので、倭文部の祖神建葉槌命に当地と関係の深い下照姫命を
加えて祭神としたもので、他の五柱の神は大国主命のお子神か関係の深い神々である。

当神社に対する安産信仰は古来からのもので、数々の霊験が伝えられているが、倭文の織物は姿を消したので、
安産の信仰が残り、当神社は安産の神として、本県は勿論広く県外にも御神徳が及んでいて、
安産祈願の参詣者で社頭は賑わっている。

平安時代延喜式神名帳(西暦九二二)には、当神社の名が見え、神階は、度々昇進し、承和四年(西暦八三七)従五位下、
斎衡三年(西暦八五六)従五位上、天慶三年(西暦九四〇)には従三位から正三位に進んでいる。

平安時代当神社にも多数の神宮寺が建立されたが、戦国時代武将に社頭を没収され、神社のみを残して各寺院は四散した。

当神社には勅願と称する古額が現存し、正一位伯州一ノ宮大明神と刻されている。

往古の社殿広大で、千石の朱印地を有したと伝えられるが、戦国時代荒廃。
天文二十三年(西暦一五五四)尼子春久社殿を造営神領七十石寄進。
後神領中絶したが、元亀元年(西暦一五七〇)羽衣石城主南条宗勝これを復旧した。

徳川時代には池田藩主の祈願所となり祭日には藩老和田氏から境内警備のため、鉄砲六人を付されている。
明治以降県社であったが、昭和十四年に国幣小社となった。例祭は五月一日。

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↑社殿↑
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↑随神門↑
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↑伯耆一ノ宮経塚↑

(以下、余談)
訪れた日はハワイトライアスロンの開催日でしたので、神社に通じる道路を含めて付近は通行規制がかかりました。
その間、中国庭園風の道の駅から東郷池を眺めていると、何だか日本ではないような気分になりました。
ハワイとか、中国庭園とか、ちょっと面白いところですね。ちなみに、この庭園は『西遊記』のロケ地になったそうです。

お話を神社の参拝に戻します。少し薄暗い参道を進むと神社の鳥居が見えてきます。
参道脇の階段を上がると、下照姫命の墳墓と考えられていた場所に出ます。
ですが発掘調査が行われ、経塚が埋められていたことが判明しました。

御祭神は建葉槌命ですが、神社の伝承には下照姫命のものが多く、大正時代までは祭神と考えれていたようです。
織物の神である建葉槌命が産業の発展とともに忘れ去られたのではないかと、『式内社調査報告』では記しています。