唐王神社

Last-modified: 2013-10-05 (土) 18:32:15
 

唐王神社
とうのうじんじゃ
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(参拝日:平成25年6月15日)
住所:鳥取県西伯郡大山町唐王725mapionlogo.gif
主祭神:須勢理毘売命
主な祭礼:4月25日(虫よけ大祭)
webサイト:壹宮神社 兼務社

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
「まーむしまむし、よーけよけ、唐王御前のお通りだ」とは、山の茂みや草むらなどにわけ入る時の唱え言葉でありますが、
当社の御神徳はこの地方に広くゆきわたっております。

ご祭神須勢理毘売の神差は、女神様で御父神様はあのご気性のはげしい素戔嗚命です。
当時賢明で御徳高く信望の厚い大国主命が、須勢理毘売命を妻にと申出のあった際、
素戔嗚命は姫の夫をしてふさわしいかどうかを色々な方法で試されたのでした。

最初の試練は、毒蛇の室で一夜を過すことでした。
大国主命が部屋に入られるや否や、大蛇や蝮等毒蛇が数知れずどっと襲いかかって来たのです。
その時すかさず須勢理毘売命は「この比礼を三度打ち払い給え」と申されて、
その通りに比礼を振ると毒蛇はみな姿を消して危機を助けられました。

その次は、むかでと蜂の部屋でした。
又火ぜめの試練もありましたが、その都度姫のご神徳によって危機をのがれられ目出度くご夫婦となられました。
後御子事代主命の神々と共に力を合わせてこの国の農業の開拓、医療の進展、温泉の開発等と人々の福祉を
進められたご功績は甚大なものがあります。

この神社は、この須勢理毘売命を崩った地として、以前には毎年出雲大社から祭官が参向されていたそうであります。

現在も害虫毒虫蝮よけの守護神として県内外からの参拝者も多くあり、ご本殿下の砂をいただいて田畑にまけば害虫が去り、
家屋敷にまけばさそりやむかでが退散するし、又お守を身につけて居るならば蝮の危害をのがれることができるし、
更に神社裏奥にあるご神井の水は如何なく旱魃にも涸れたこともなく(※)、蜂にさされた折等いち速くこのご神水をぬれば
忽ち治癒するといわれて居ります。(※現在は構造改善事業の為水脈が変わり、水は出なくなりました)

往年の旧八月三日には早朝から参拝者で賑わい、特に地方の名産干瓢市が立ち見る間に数百貫の干瓢も売り切れてしまうとか、
又芸能奉納や名物「どじょう汁」の売店のあったと云うことです。

唐王という村名は、実に奇妙です。鳥取県神社誌にありますように、往古殆ど交通のなかった頃は、
海の向こうや遠方の国はみな加羅と称していました。
ですから夜見の国から船で来られた須勢理毘売命を唐の王と称していました。それが村名になったとのことです。

尚、須勢理毘売命は海辺の近くの国信辺りにお着きになったが、波の音が近すぎると末吉へお移りになった。
しかしそこも音が近く末長へお移りになった。そこでもまだ音が近いと唐王へお移りになったとの言い伝えもあります。

現在のように医薬が発達していなかった時代、蝮や毒虫は人々の暮らしに危険この上ない存在だったと想像できます。
明治初期の氏子が12,300人で、その範囲は中山町から東出雲町にまで及んでいたのはそれ故でしょう。

しかし蝮や毒虫の危険が減るに連れ、往年の参詣者は減り賑わいも無くなりました。
蝮や毒虫の危険が去った時代にはなりましたが、昔ながらの悪い虫はまだいます。
それは、女性にとっては男性、男性にとっては女性です。
この「害虫」に対する須勢理毘売命の神通力は今なおこの地で信じられています。

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↑社殿↑
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↑周辺風景↑

(以下、余談)
田園地帯の畦道を通り抜けると、ぽつんと小さな森があります。
初見ではたどり着くのがなかなか難しいのではないでしょうか。

蝮や害虫、毒虫などに対して御神徳があるという一風変わった神社です。
明治十三年は12,300人の氏子がいたと記録されていますが、現在は40戸を数えるばかりです。
やはり、昔ほど害虫・毒虫の危機が減ったことが原因でしょうか。

ちなみに、壹宮神社の兼務社ですので、そちらの社務所で御朱印をいただけます。