福田正八幡宮

Last-modified: 2013-10-05 (土) 18:33:58
 

福田正八幡宮
ふくだしょうはちまんぐう
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(参拝日:平成25年6月15日)
住所:鳥取県西伯郡南部町福成1157mapionlogo.gif
主祭神:応神天皇、稲田姫命、仲哀天皇、菅原道真命、他6柱
主な祭礼:9月15日(例大祭)

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↑参道・神門↑
(由緒:パンフレットより)
【福田正八幡宮】
創立年代不詳であるが、古くからこの地に稲田姫命を祀った福田ノ社があり、福貴幸福の神として地名を福田保(庄)と伝う。
建久年間(一一九〇年ころ)源頼朝公の伯耆国に勧請せる八幡宮と合せて「福田ノ庄ノ大社、正八幡宮」と称した。
福田庄とは現在の福成・境・大袋・下安曇の地で五百石の神領と十三ヶ寺の神宮寺を領したという。

戦国の世、山名・尼子・毛利の角逐の難に遭い社伝荒廃したのを、毛利元就の孫で、当時の領主吉川広家が、
社領五百五十三石に加増寄進し現在の本殿を再建したのが天正十八年(一五〇九年)のことである。(古棟札による)
この故により幕末まで周防岩国城主吉川家より、銀幣の奉饌が毎年行われていた。

降って徳川の世となり因伯の初代藩主池田光政は八棟造神輿を寄進し、神徳の顕彰に尽くし、
爾来領主領民の信仰をあつめて明治に至る。

明治元年太政官布達(神仏判然令)神祇官令により「神田神社」と改め昭和五十四年再び「福田正八幡宮」と旧称に復した。

現在の拝殿は明治十三年建造。末社に宇賀神社(境)、飛地境内社に春日神社(坂根)、小鷹神社(柏尾)等あり、
旧福田庄の総氏神、又開運、勝運、除厄、家運繁栄の神として多くの尊崇をあつめている。

【相見家及庭園】
正八幡宮社家相見氏の住宅で徳川初期元和二年建築の社家造り、上段の間、武者隠、割竹天井、
手斧削りの柱、板戸、又各部屋が違い間となって居る等現存する住居では県下有数の古家であり後、
生活様式の変化により改造はしてあるが当時の地方豪族紀氏の子孫の生活が偲ばれる。

徳川初期の築庭になる池辺回遊蓬莱庭園、池の中央に亀島があり、その規模様式ともに県下では数少ない古庭園である。
(※ 一般公開をして居りませんので御覧になり度い方は前以て御連絡下さい)

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↑社殿↑
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↑相見家庭園↑

(以下、余談)
旧西伯町にあたる南部町、その米子市との境目近くに位置する神社です。
近くには米子ニュータウンや工業団地があり、山間部にあっては人口はそこそこある地域です。

神社は建物が新しく、最近に神門や社殿を建てかえたようでした。

ここの宮司さんとお話していますと、なんと元・大神山神社本社の神職だったことが分かりました。
今はご子息の方が後を継いでいらっしゃるようです。

実は神社の参拝よりも、県下随一の庭園を鑑賞するために訪れる人の方が多いそうです。
梅雨の雨がしとしと降るなか、紫陽花が庭園を彩っていました。