鳥取県神祇年表の巻頭に、孝元五年(紀元前二一〇年)今から約二二二〇年前、八千矛神(またの名を大己貴命)が
手羽車大鷲にのってこの山に降りられた。
そこで、この山の名を鷲峯と名づけ、八千矛神をまつって神社とした。と書かれております。
日本三大実録巻六、貞観四年(八六二年)「因幡国鷲峯神従五位下を授く」とあり、
巻二十五、貞観十六年(八七四年)に「因幡国鷲峯神従五位上を授く」と国史にものっております。
現在の宮森鎮座となるまで、つぎのような年代をへています。
○上古時代は参拝に便なく、山のふもとに仰拝所をもうけていた。
○今から約一二〇〇年前御冠嶽に建てられる。
○今から約六八〇年前中尾崎に改め造られた。 今でも「古宮」と氏子の方で知る人も多くいます。
○更に慶長十七年十一月一日(一六一三年)、亀井豊前守政矩によって現在地に再興された。
社殿は三間四方総欅造となっております。再興された当時は、志加奴神社鷲峯大明神と称えていましたが、
一社に二号を称えるいわれのない事と、明治二年五月に鷲峯神社と改めました。
万延元年(一八六〇年)尾崎六郎兵衛(川六)の作品のひとつである鷲峯神社の狛犬、
丸っこくてかわいく、全国的にも珍しいもの。
(以下、余談)
茂宇気神社の御朱印を頂くために社務所を訪ねますと、この神社も兼務されていらっしゃるとのことでした。
そこで色々と由緒を教えていただきました。ありがとうございます。
この神社の狛犬は日本原産の愛玩犬として知られる「狆」の姿を模していて、とても愛らしい姿です。
どうして狆なのかはよく分かりませんが、祭神がイノシシを嫌うためにこの姿にしたとの説があります。
青谷の石工、北河原住川六(尾崎六郎兵衛)の作で、江戸末期の万延元年(一八六〇年)のものです。
もうひとつ有名な伝説として鷲峰山と大山の神様が背比べをしたという伝説があります。
全国の神様が出雲に集まった帰り、鷲峰山と大山の神様が互いに自分の方が背が高いと言い争いになり背比べをしました。
その結果、鷲峰山が勝ちましたが、悔しがった大山の神様は杓子で頭をすくいとりました。
追いかけてくる鷲峰山の神様に驚き慌て逃げようとした途端、杓子についていた土が落ち、青谷町の建山になりました。
鷲峰山の神が「土はもうないのか」と怒鳴り大山の神は袖を振りました。
その時、土が落ちて北栄町の袖振山になったそうです。
ちなみに、現在の鷲峰山は921m、大山は1709mです。
なかなかに大胆な神様のお話ですね。