宮崎八幡宮

Last-modified: 2014-02-14 (金) 00:33:22
 

宮崎八幡宮
みやざきはちまんぐう
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(参拝日:平成25年8月15日)
住所:宮崎県宮崎市宮田町3-27mapionlogo.gif
主祭神:誉田別尊、足仲彦尊、息長帯姫尊、伊邪那岐命、伊邪那美命、橘大神
主な祭礼:10月15日(例大祭)

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
宮崎八幡宮はこの宮崎の開発のはじめにあたり勧請されたお宮です。

赤ちゃんの宮詣から、七五三、入学、就職結婚式などに際して、私達は必ず氏神様にまいります。

なかでも、氏神様、鎮守様、産土様で多いのは全国に四万社程ある八幡様です。

その総本宮が大分県?にある宇佐神宮?です。

宮崎八幡宮は今より九百年前の永承年中(西暦一〇五〇)頃にこの地方の開拓にあたった
海為隆が、昔しよりお祀りしていた橘大神と共に、宇佐八幡大神をこの地に勧請し、
開拓にあたったと言われています。

鎌倉時代に記された建久図田帳には、その頃の地名として、
渡別府と記されその頃の様子がいくぶんわかります。

当宮も渡別府八幡、宇佐八幡、八幡宮、等の名称で親しまれていたことは、当宮に残る社宝の棟札からも判明します。

それより、内藤の諸候、領主をはじめ宮崎郷の中心として人々の信仰も篤く、
名実共に宮崎一円の氏神(鎮守)として、八幡サマの愛称と共に、人々に崇敬されてきました。

江戸末期から明治五年にかけこの境内地に私塾があり(開設杉田十蔭)
上別府小学校(現宮崎小学校)はそれを母体に明治五年に開設されました。

当宮は明治以来八幡神社と申してまいりましたが、旧棟札や、その後の発展から
昭和四十三年十二月より宮崎八幡宮と御社名を改称になり、つづいて境域の整備、御造営が行なわれ
昭和五十三年御社殿、神門などの竣工を仰いだのであります。

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↑拝殿↑
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↑祓殿↑
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↑稲荷神社↑
(以下、余談)
宮崎県庁のすぐ近くの市街地に鬱蒼とした森があります。
朱色の鳥居と随神門が通りから目立ちます。

この周辺は平安時代に渡別府と呼ばれ、11世紀初頭に開拓者が橘大神と宇佐八幡を祀ったのが始まりです。
江戸末期から明治維新にかけては境内に私塾がありました。現在の宮崎小学校の母体になりました。