生まれ
いまがわよしもと
1519年生まれ
1560年没
どんな人?
戦国時代の名門生まれの武将
おいたち年表
1519年 | 0歳 | 駿河国の守護・今川氏親の五男として誕生! |
1522年 | 4歳 | すでに兄がいたため、4歳で仏門に入る。今川家の禅僧太原雪斎に養育されることに |
1531年 | 13歳 | 太原雪斎とともに京都五山で勉強の日々 |
1535年 | 17歳 | 8代目当主の兄・今川氏輝が死んだことにより駿河国に帰り還俗 |
1536年 | 18歳 | 花倉の乱で兄に勝利する |
1536年 | 18歳 | 今川家9代目当主に。将軍の足利義晴から「義」の字を貰い今川義元となる。 |
1537年 | 19歳 | 対立していた武田家から武田信玄の姉を貰い結婚。が、北条家と対立するようになる |
1542年 | 24歳 | 第一次小豆坂の戦い。織田信秀と戦い敗北 |
1548年 | 30歳 | 第二次小豆坂の戦いで織田信秀 |
1549年 | 31歳 | 三河の松平家を帰属させる。織田家に奪われていた松平家の長男である竹千代 (後の徳川家康)を取り戻す |
1554年 | 36歳 | 義元の嫡男・今川氏真と北条氏康の娘が結婚 |
1555年 | 37歳 | 太原雪斎死去 |
1560年 | 42歳 | 武田と北条と同盟を組んだため、天下をとるべく上洛する。 が、桶狭間で織田信長に急襲され討死する |
今川家は戦国時代初期、絶好調の家だった
あの徳川家康のいた松平家も今川家の家来みたいなもんで、徳川家康はチビッコの頃、今川家の人質だった。
軍師である太原雪斎と二人三脚で今川家をビックにした
が、太原雪斎が死んでからストレスのためかブクブク太り、やばいことになってきた
「ここらで一発、今川家の士気を高めねば!」と、京都上洛を決意
京都に行く途中、邪魔くさかったのが織田信長のいる織田家
だけど織田家は小さい家だったのでナメてかかってた
連戦連勝で織田を打ち破り、桶狭間で休憩中のところを織田信長に奇襲され死んでしまった
これにより今川家は衰退の道をたどる
その他
性格・・・京好み
趣味・・・お歯黒・薄化粧・京都グッズ集め
大事な人・・・太原雪斎
ヒトコト・・・「くっそー!あの時(桶狭間)まったりしなければ・・・」
逸話
●織田信長に討たれたことでダメな武将というイメージがあるが、結構いい武将だった
●外交センスはピカイチ
●お歯黒・薄化粧をしてた
●後に幕府を開く徳川家康によって、ダーティイメージをつけられたという説がある
●ほんとはいい男??
義元の容姿といえば、顔は白粉で真っ白。でもって歯はお歯黒べったり
さらには馬にも乗れないくらいデブ・・・といった義元像が出来上がってますが、実はコレ後の人たちが語ったものだという説が浮上!
やっぱ今川家を戦国を代表とする強い家にしたてあげただけあって、容貌はもっとカッコよかったとか
関連のある人々
今川氏親・・・父親
寿桂尼・・・母親
定恵院・・・正室
今川氏真・・・長男
太原雪斎・・・軍師
玄広恵探・・・家督を争った兄
岡部親綱・・・家臣
朝比奈泰能・・・家臣
祐筆の人物批評
ハガクレ・・・愚将のイメージ強いですよね(^^;)お歯黒してたり、なんか麻呂風?みたいな。でも実際は愚将ではなかったんですよね。徳川家康の時代になってから江戸で「悪」のイメージをつけられた気の毒な武将ですよー
祐筆
●一番手・・・ハガクレ