生まれ
たいげんせっさい
どんな人?
戦国時代の坊さん
おいたち年表
今川家の家臣だった太源家の雪斎は18歳まで京都で修行をする僧だった
そこに、後の主君となる今川義元がやってくる
今川義元は五男だったので、後継ぎになれなかったため、寺に行かされたのでした
ここで雪斎は、今川義元の面倒を見る役目をすることに
が、今川義元の兄が立て続けに死に、残っているのは三男と義元だけに
ここで三男と五男・義元の家督争いが始まる
雪斎はこの時、出せる知恵を全て出し切り、花倉の乱というバトルを繰り広げ、見事義元を今川家の跡取りにさせることに成功
徳川家康が今川家に人質になった時も、全て雪斎プロデュースのもと行われた
さらに雪斎は「今川・北条・武田」との間に三国同盟を締結させ、今川家に繁栄をもたらしまくった
が、そんな雪斎も病魔には勝てなかった
義元のことを心配しながら死んでいった
戦い上手な雪斎が生きていたら、歴史は変わっていたかもしれない
逸話
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関連のある人々
主君・・・今川義元
祐筆の人物批評
由衣・・・今川義元も、この人がいなければ東海一の弓取りまで成長しなかったんでしょうね
祐筆
●一番手・・・ハガクレ