冬姫

Last-modified: 2010-02-24 (水) 10:26:20

生まれ

ふゆひめ
1561~1641

どんな人?

織田信長の次女で、蒲生氏郷の正室となる

冬姫年表

1561年1歳織田信長の次女として生まれる
1569年8歳蒲生賢秀の息子・氏郷が織田家の人質となる  
 歳信長が氏郷をとても気に入り、娘婿に迎えた  
 歳娘を出産(のちに前田利政と結婚する)   
1582年21歳本能寺の変。父親の織田信長が死去  
1583年22歳蒲生秀行を出産   
1595年34歳夫の蒲生氏郷が40歳で死去   
 歳会津から宇都宮12万石にうつる   
1600年39歳関ヶ原の合戦。息子の蒲生秀行が東軍に入り武功をあげたため会津60万石に戻る   
1612年51歳息子・蒲生秀行が30歳の和坂で死去   
1627年66歳あとを継いだ孫の蒲生忠郷が25歳で死去。子供がいなかったため断絶しそうになる   
 歳冬姫が信長の娘であり、秀行の妻が徳川家康の娘・振姫だったため、特別に存続を許される  
 歳冬姫の孫・蒲生忠知(忠郷の弟)が家督を継ぐ。会津から松山藩20万石となる   
1634年74歳蒲生忠知が死去。子供がいなかったためとうとう断絶となった   
1641年81歳死去   

逸話

蒲生氏郷との夫婦仲はとても良かった
●夫である蒲生氏郷の40歳という若さでの死には謎が多く残っています。才覚を恐れた豊臣秀吉石田三成による暗殺という説もあります
●ものすごく美人だった。そのため氏郷が死んだ後、豊臣秀吉から側室になるよう迫られた。冬姫が断ると腹いせに会津100万石のから下野宇都宮12万石に移させた

関連のある人々

夫・・・蒲生氏郷

父親・・・織田信長

娘・・・前田利政の正室

源秀院・・・南部利直の正室

蒲生氏俊・・・秀行が生まれる前に廃嫡となっている

蒲生秀行・・・家督を継ぐ

養女・・・三の丸殿 豊臣秀吉側室になる

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・愛